2020-05

10・20(木)スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団

   東京オペラシティコンサートホール  7時

 昨日に続く東京公演、今夜はシューマンの「第4交響曲」とブルックナーの「第9交響曲」で、ニ短調の作品が二つ組み合わされた。

 スクロヴァチェフスキは、今夜も凄い。シューマンの冒頭の一撃からして、ぶちかまされたという感。単なる音量的な次元の話ではなく、音に籠められた気魄がただものではない、ということである。
 その後に続く弦楽器のフレーズにあふれるニュアンスの細かさも素晴しく、強弱自在で起伏の大きい、実に表情豊かなカンタービレが展開して行く。この見事なエスプレッシーヴォは、この交響曲の演奏全体に共通する特徴でもあった。

 そしてまた特に印象深かったのは、第3楽章の最後、音楽が次第に沈み込んで行く個所でスクロヴァチェフスキが各パートに施した微細な表情と、緊張感あふれる「間」の雄弁さだ。
 上昇・漸強の中に緊迫感が生まれるのは珍しくないけれど、下降・漸弱の中にそれを与えるのは、ただ名匠の演奏のみに可能なことだろう。そのあとの第4楽章冒頭のクレッシェンドが思ったよりあっさりしていたためもあって、この第3楽章最後の「沈潜への下降」の面白さがいっそう印象に残ったわけである。

 ブルックナーの「9番」でも、第1楽章と第3楽章にこの大ワザはしばしば聴かれたが、それ以上にこの「9番」の演奏全体には、何か一種のデモーニッシュな力があふれていたと言ってもいいのではないか。それは第1楽章の途中あたりから次第に力を増し、壮烈な終結部で全開し、速めのテンポで激烈にたたみかける第2楽章のスケルツォ部分で頂点に達した。
 故あらえびすの表現を借りて言えば、「管弦楽団の張り切った良さと、それを制御するスクロヴァチェフスキの気力が、壮烈を極めて見事というも愚かである」ということになるか。

 第3楽章では、何度も大波のように反復される起伏もニュアンス豊かで、大詰めの個所では浄化に向かって流れ行く弦楽器群の動きもとりわけ美しかった(特に【Ⅹ】の2小節目のヴィオラ!)。

 オーケストラは金管が時に粗いこともあったが、なまじ洗練された完璧な均衡のオーケストラが演奏する場合と違い、その荒削りな響きが、むしろブルックナーがこの作品(特に第2楽章以降)で示した大胆な和声を浮き彫りにする結果を生み、もし彼がもっと長生きしていればどんなことをやっただろうかと想像を逞しくさせられる基にもなるだろう。
 今日はホルンとワーグナー・テューバ群も健闘、昨日の「4番」で良いソロを聴かせてくれた東洋人奏者も引き続きトップを吹いていた。

 客席はほぼ満員。聴衆の殆どが男性であるという光景は、朝比奈隆のブルックナー演奏会以来、久しぶりに見るものだ。
 昨夜も今夜も、スクロヴァチェフスキが完全に指揮棒を降ろすまで息詰まる静寂が保たれ、それから拍手が沸き起こるという形に――理想的とは言えぬまでも――近くなっていた。
 今夜の指揮者へのソロ・カーテンコールは4回という聴衆の熱狂ぶり。彼は昨夜と同様、舞台に再登場する際にときどき何人かの奏者をも一緒に引っ張り出していたが、しかし、その奏者はせっかく一緒に出て来ても、聴衆の本音は・・・・。

コメント

故あらえびすとは、野村胡堂さんニャリね。ねこ、知っとるニャり。岩手県に記念館あるニャリ!まだ行ったことにゃあが。文章もまだ読んだことにゃあが・・・興味出てきた。

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