2020-05

10・9(日)新国立劇場 R・シュトラウス「サロメ」

   新国立劇場オペラパレス  3時

 新国立劇場オペラ芸術監督の尾高忠明が「やっと」新国での指揮デビューをする公演とあって期待していたのだが、やはり降板してしまった。
 「やはり」というのは、オケ・ピットから舞台上を見るために頸をそらした姿勢で指揮をすることが、頚椎かどこかの持病の関係で無理、という話を以前から聞いていたからである。やっと快癒されたのかな、と思っていたのだが・・・・。

 代役として登場したオーストリアの指揮者ラルフ・ヴァイケルトは、さすがオペラ指揮のベテランらしく、後期ロマン派的な色合いを其処此処に感じさせつつ、手際よくまとめてみせた。東京フィルの演奏も、初日にしては安定していたと言えよう。

 タイトルロールを歌ったのはエリカ・スンネガルドゥだが、これまでに聴いたMETでのレオノーレ(フィデリオ)、ウィーンでのマクベス夫人(ヴェルディの「マクベス」の方)に比べれば、一応無難にこなしたと評していいのかもしれない。
 しかしそれでも、彼女の以前からの癖である、低音域の声に力と凄味がなく、歌唱にもニュアンスと表現力に不足して単調に陥る傾向は、如何ともし難い。このプロダクション(2000年プレミエ)で歌ったシンシア・マークリス、エファ・ヨハンソン、ナターリャ・ウシャコワらと比較してみても、最も存在感の希薄なサロメとしか言いようがあるまい。残念ながらこれは、予め予想された通りである。

 他に、ジョン・ヴェーグナー(預言者ヨハナーン)、スコット・マックアリスター(ヘロデ王)、ハンナ・シュヴァルツ(王妃ヘロディアス)、望月哲也(ナラボート)、山下牧子(小姓)らが出演。

 演出はアウグスト・エファーディング。装置も含めてもう何度も観た舞台で、プレミエ以来の当り役である原純の「儀典長」も以前と変わらぬ。今回も、踊るサロメを好奇の目で見る周囲の人物群の演技など、ちゃんと行き届いていたのは好ましい。
 舞台の両端で背を向けて立っている「警護の兵士たち」が、サロメが踊っているうちにだんだんと振り向き、見とれはじめるという演技には、今回初めて気がついたが、なかなか細かい仕上げである。

コメント

ヨハナーンのテーマ

東条先生、お久しぶりです。私も「再再再演」の初日に行き、バイエルンのアリアドネ楽日と合わせてシュトラウスな週末となりました。
降板された尾高芸術監督はさぞ無念だったとは思いますが、R.ヴァイケルト指揮の影響かいつもの初日の東フィルとは思えぬ重心の低い演奏で退廃感にはやや欠けるかもしれませんが重厚感も充分でバイエルンに引けをとらない演奏を楽しめました。
タイトルロールのE.ズンネンガルドは始めて聞きました。スレンダーな体型で元バレリーナかと思わせる柔軟な所作ゆえ、前半(3場まで)は線は細いもののよく通る高音域に好感度大だったのですが、後半は存在感がどんどん薄くなり、ダンスの後の新国サロメ始まって以来の大胆なご「開帳」はあれど、肝心の音楽を通じて官能の極み達することができず欲求不満が残りました。不調なのかと思ったのですが、どうもそうではないようですね。
ただし、何度も観ている演出のはずですが、3場最後にヨハナーンが井戸に逃げ去った後に何度も繰り返される「ヨハナーンの動機」の最後で井戸の鉄格子に仰向けのサロメが腰を高くのけぞらせる様な演技は、あの低弦の打音は肉感のエクスタシーの極みを表現、首チョン以降は性愛を越えた倒錯のエクスタシーだったのかと妄想させる嬉しい(?)新発見がありました!
他の役がいずれも高水準だっただけに16歳の少女にイゾルデの声を求めたR.シュトラウスの残酷さを再認識しました。

新国立劇場 シュトラウス「サロメ」(10月9日)

上手2列目で鑑賞。前方席では聴覚より視覚の影響が強くなるのかも知れない。ズンネガルドについての印象は東条さんの評価とはやや違うものであった。終演後の観客の会話として「今日のサロメは良かったね。ウシャコワより上だね」との声も聞えてきたが筆者の印象もこの方々と同じ。

筆者はこの作品の新国立劇場での初演は見逃したがその後の再演は2回観て今回が3回目であるとの記憶。少女の無邪気さ故に残酷な結末に向かうというストーリーのタイトル・ロールには細身の少年のようなズンネガルドが合っているように感じた。無邪気な雰囲気もよく表現出来ていた。ウシャコワの歌は上手かったのだと思うが、記憶の中では少女役を歌うにしては「肉感的だったなぁ」と言う印象だけが残る。

ズンネガルドの7つのヴェールの踊りはダンサーのような軽やかな踊りであった。一瞬、ダンサーが代わって踊っているのかと錯覚したが、この演出ではそのようにはなっていないはずなので歌手本人が踊っていると思い直した。初演時の歌手もそうだったと聞いた気がするが、最後はごく自然にセミ・ヌードにまでなる。オペラ歌手は何と過酷な職業であるかと感じる場面。
かなり激しく踊った後すぐに歌うのだが、息も上がらず何もなかったかのように歌っていたのも感心した。彼女の低音は確かに弱かったかも知れないが前方席ではあまり気にならなかった。

再演を繰り返している作品だが、演出が全く間延びしていないのが好ましい。今回は中央のテント内がよく見える席でテント内細部の美術や演技なども面白かった。ヨカナーンの首が登場した後の長い場面でのそれぞれの登場人物の表情なども細かくスキの無い演技・演出であった。
プログラムの最後に再演演出の三浦安浩氏の再演における努力に関するインタビュー内容が紹介されていたが、彼の力に負うところが大きいのだなと感じた。
前方席では黙役の細かい演技までは(近すぎて逆に)目に入らなかったのは残念なところ。

演奏にも満足した公演であった。

ところで、筆者にとって1人シュトラウス・フェスティバルを体験することが出来た贅沢な週末であった。前日は素晴らしい演出のシュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」を観て(聴いて)、翌日もまたこのシュトラウス「サロメ」を聴いたからである。「ナクソス島のアリアドネ」のオペラ部分は普通何となくドタバタし、歌の競演だけ楽しめば良いというのが過去の鑑賞体験だったのだが(そして、競演と言っても、アリアドネやバッカスよりツェルビネッタのみが圧倒的な存在感になるのだが)、カーセン演出では見事にひとつのシリアスな作品になっており「愛する人と生きることは素晴らしい」とのメッセージになっていた。3名の歌手(バッカス役のディーン・スミス、ツェルビネッタ役のファリー、アリアドネ役のピエチョンカ)がそれぞれ魅力的で等価の存在感だったのも良かった。この演出はふと、ピナ・バウシュのダンス作品を思い出させた。作曲家役はバルツァで聴いた時ほどではなかったかも知れないが、クートも良かった。

次々に新しい演出家が登場し同じオペラ作品を様々に演出するが、全世界規模で見れば才能の泉は枯れることがないのだ…と(伝統的な意味で良い演出の「サロメ」と別の意味で)「ナクソス島のアリアドネ」は久しぶりに心から感動を得た公演であった。

10月19日、行こうと思ってました。なんとなく、観た気持ちになってしまって。仕事することにして、人様に譲りました。オペラ体験の少ない人に。

エリカ・スンネガルド。<<ウィーンでのマクベス夫人(ヴェルディの「マクベス」の方)>>、今でも、インターネットのホームページのとあるところから、聴けますね。キーンリサイトが舞台事故を救って、観客から大喝采さらっているらしき、音も含めて。

5月連休中、ドレスデンでサロメ。レパートリー公演だけど、ヘルリツィウスで観ようと思っているし。
今度のVieenaの日本公演、グン・ブリット=バークミンがサロメだし。どれだけ成長したのか興味あるし。ドホナーニ指揮のチューリヒオペラ以来。

急に、ラルフ・ヴァイケルトの指揮になったから買って、行きたかったんだけど。。。。

卒なく無難だから。。。本来、劇場を鍛える礎を担うような指揮者が2演目から3演目を振ると、もっと質が向上するのに。レパートリー公演ほど。

お客様の呼べる秀逸な何回もリバイバル上演できる演出。あまり持ってないこの劇場。同じ指揮者が年に2演目振ることのない劇場。「ふーん」っていつも思っています。


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