2017-08

9・23(金)あらかわバイロイト ワーグナー:「神々の黄昏」

    サンパール荒川大ホール  1時

 TIAA(東京国際芸術協会)主催の「あらかわバイロイト」シリーズ。ワーグナーものの全曲舞台上演は、「パルジファル」(09年5月)と「ヴァルキューレ」(10年4月)に次ぐこれが3作目で、長大な「神々の黄昏」が取り上げられた。今日は、3回公演のうちの初日。

 とにかく、よくここまでやったものである。いわば「国立」に対する「私立」のような、もしくは「愛好家協会」の自主制作――のような立場の上演だが、水準は既にそれを超える域にまで達していると言っていい。
 だが、毎年上演で3作目ともなれば、もはやプロ並みのペース。観客の要求水準も高くなりつつあるのは当然だ。甘えは許されなくなって来る時期だろう。

 何はともあれ、このシリーズおなじみの指揮者、クリスティアン・ハンマーのまとめの巧さを賞賛したい。
 TIAAフィルハーモニー管弦楽団(特別編成)から引き出した音は、本当にワーグナーの雰囲気――曖昧な表現だが――を湛えていた。序幕冒頭の音を聴いた瞬間、これはいけるぞ、と誰もが思ったに違いない。
 編成の大きくないオケを率いて、ここまで密度の濃い音楽をつくり出した彼の職人的手腕は、今やこのシリーズには欠かせぬ存在である。

 オーケストラも健闘した。全体としては賞賛されて良い演奏であった。ただし管のソロに頻々と生じる不安定さは、どう贔屓目に見ても、許容範囲を超えるものと言われても仕方あるまい。聴衆の方も、そういつまでも「頑張っているんだからまあいいでしょう」とは思ってくれなくなるだろう。

 配役は、トリプルキャスト。
 初日の今日、舞台と演奏を引き締める筆頭となったのは、やはりハーゲンを演じた木川田澄であった。悠揚迫らざる紳士的なハーゲンといった演技と、悪人ぶりを抑えた歌唱表現とで、ドラマの黒幕的なキャラクターとしての存在感を見事に発揮していた。第2幕の「ホイホー!」でオーケストラを衝いて聴かせた底力のある歌の凄味は、彼ならではのものであろう。

 次いでグンター役の田辺とおる。特に第2幕中盤以降、恥辱に打ち拉がれ、自棄的になってからの役柄表現は絶品、演技賞ものとさえ言っていい。
 ジークフリート役の角田和弘は、演技の面では時に様式的なスタイルに陥ることもあったが、歌唱の素晴らしさで、この役を成功に導いた。
 ブリュンヒルデの及川睦子は、最後まで実によくやったし、健闘を称えたいが、この人はやはりドラマティック・ソプラノではなく、この役にはあまり向いていないのではないか? 何か良家のお嬢様のようなブリュンヒルデで、大詰めの場など、声質・容姿ともにとても世界を救済するべきキャラクターに見えないのである・・・・。
 グートルーネを歌った山本真由美は、可愛らしさを出そうとした第1幕の演技は、むしろ裏目に出たように感じられる。他に女声陣では、ヴァルトラウテを歌った小畑朱美と、第1のノルンを歌った諸田広美が、個性を感じさせる声と表現で印象に残った。

 佐藤美晴の演出は、奇を衒ったところはなく、ストレートな表現に徹していたが、主役たちの演技には、細かいニュアンスも比較的よく出されていたように思う。もっとも、ベテラン歌手の演技の中に演出家の目指すものがどこまで正確に反映されていたかは、知るよしもないが。
 しかし、第1幕の最後、「崩折れたブリュンヒルデの眼が変装したジークフリートの眼を一瞬かすめる」というオリジナルのト書の指定が、少し異なった方法であるとはいえ、忠実に再現されていたことは好ましい手法であると言えよう。
 またハーゲンが、当初は槍を持っておらず、第2幕冒頭で幻影の如く現れたアルベリヒ(筒井修平)から初めてそれを受け取るという設定も、当を得ているだろう。

 一方、要所に炎の神ローゲ(ダンサーの岩渕貞太)をモティーフのように登場させるのはいいアイディアだが、「ラインの黄金」が未だ制作されていない段階としては、少々意味が解りにくいかもしれない。
 だがそのローゲも舞うラストシーンでは、松村あやの舞台美術および望月太介の照明とともに、赤と黒の色調が、舞台奥に妖しく光る樹木や花と相まって、すこぶる怪奇な幻想的光景をつくり出していた。それは非常に印象深いものがあった。
 ただし今日は、何の手違いか、赤い火の粉のようなものを降らせるための揺れるバー装置(あれは何と呼ぶのだっけ?)の位置が下がりすぎて、客席から全部見えてしまっていたのは興醒めだった。あれさえなければ、大詰めの場はさらに妖艶怪奇になったであろうと、惜しんでも余りある。

 衣装デザイン(小山花絵)の趣旨は、私には少々解りにくい。冒頭、3人のノルンが、零落した花魁みたいな格好で舞台にいるのを見た時には、もしや今回は日本的舞台かと興味をそそられたのだが、そうでもなかった。しかし、ヴァルトラウテが短いドテラみたいなのを着ていたり、ギービヒ家に拉致されて来たブリュンヒルデが派手なキモノを羽織っていたりしたのは、面白いけれど、この舞台の構図の中では、どうも違和感を抑え切れない。当然、何かの意図があるのだろうけれど。

(付記)
 それならいっそ思い切って、歌舞伎や能の手法を取り入れた舞台にしてみた方が納得が行くかもしれない。故・若杉弘氏は、かつてゲッツ・フリードリヒやヴォルフガング・ワーグナーから、「日本には歌舞伎という素晴らしい独自の芸術があるのに、何故その手法を活用しないのだ」とか、「私にテクニックがあったら、歌舞伎の手法を取り入れてみたいね」と盛んにアドヴァイスされた、と語っていたのだ。
 新国立劇場や二期会がそんな冒険をやるとはとても思えないが、「あらかわ」のような私的集団だったら、外国の歌劇場の後追いをせず、そういうゲリラ的(?)実験が出来る立場にもあるだろう・・・・。

 45分の休憩2回を含み、6時45分終演。

    ⇒音楽の友11月号演奏会評

コメント

あらかわモデル

バイエルンやボローニャの引っ越し公演に客がとられたのでしょうか、ずいぶんと空席が目立ちましたね。(その分、東条さんが「あらかわ」に現れたのには驚きました。)
大歌劇場が荒川にあり、そこに足を運ぶのであれば聴き手としての目的や取り組み方もずいぶん違ったものになったでしょう。
しかし、そこは1000人足らずの観客席の荒川区民の多目的ホールです。
少なくとも私は東条先生のサイトを読んで、この挑戦的かつ実験的な「ムーブメント」に関心をもち、期待して23日の公演に臨みました。

果たして結果はというと、期待をはるかに上回るものでした。
(あまりに嬉しくて、主催者側にではなく、東条先生にご報告をさせていただく次第です。)

第一に、すべてバランスよくコンパクトにまとめられていること。
新国立劇場の半分、文化会館の3分の1の空間では、オケの編成がかりに半分になったとしても、十分です。たしかに弦の厚みがないのだけは寂しいのですが、アンサンブルは確実に高まり、ピアノ伴奏を聴いているように各パートがはっきりと聞こえ、初めて聴き取った音がたくさんありました。
(角笛はバイロイトだってウィーンだってひっくりかえるのですから片耳を塞ぎましょう)
この小さな編成の伴奏にのって歌うのですから、重量級の歌い手ではなくとも声をかき消されることが少ないという利点。
これであれば、必ずしもドラマティックやヘルデンである必要もないと思います。
ワーグナーをはなから敬遠している歌手にも舞台に挑戦してもらえる機会が増えるというものです。

ワーグナーの舞台は、日本では引っ越し公演を含めてまだまだ数えるほどしかその全貌に触れることはありません。
そんなかで、ホールオペラなどの試みもありますが、歌がオケにかき消されてしまう欠点を抱えており、歌手に無理を強いると思います。さらに大きな問題があります。芝居としての要素が欠落するということです。
いくらスター歌手が歌ったとして舞台芸術としては不完全です。
これにくらべ、「あらかわ」での試みは、すべてにおいてコンパクトになっただけであり、楽劇を味わう醍醐味に欠ける要素はないと思います。
東条先生も今回は、演出や舞台についてきちんと評価されています。
こういった批評がなされるということは、とても大切なことだと思うのです。
近い将来、もっともっと実験的で挑発的な舞台だって実現できるはずです。
(それに対して盛大にブーイングを浴びせられるような日が来ればいいですね)

最後に、この舞台を成功させているのは何といってもプロの芸術家達によるプロ意識を超えた情熱にあるのだと思います。プロが敢えてアマチュアのような熱意と愛情をもって作品と舞台に取り組んでいる、その熱さが伝ってくるのです。
公演監督の田辺氏は「黄昏」の大団円ですべて流される神々の世界に「今」を重ねてみていると思われます。「公演できるだけで幸せなのです。」その心意気やよし。


「あらかわ」の実験はますます機会を得て一つのモデルとして全国に広げてほしいものです。意地悪な言い方をすればエコあるいは省エネスタイルとはなりますが、これによりワーグナーに接する機会が増えるのであれば、ファンとしては望外の喜びです。

そだにゃ、小さい劇場では、舞台上の出来事もどの席に居ても、手に採るようによくわかり、ワーグナーの実は緻密な音楽と合間って、とても密度濃~く、人物描写、心理表現を味わえたにゃり。ドイツでも1000人に満たない小さなオペラハウスでもワーグナーやってると聞くニャリ。よいことニャり!

空席はねこにはそんなに気にならなかったが、出演者がチケット販売義務を負っているという体制と聞く(この団体のサイトで、キャスト募集の項に明記されている)。それでさばけなかったとき、かわいそうだニャ、と思ふ。出演者自身がスポンサー、ということになるのは、可能であるならそれはそれで悪くもニャいが。日本でほおっておいて、満席になるなんてことは、どこぞの征爾さんが出るときくらいしかないだろうからニャア。この不況下、さらに震災&原発のダメージ受けた国で、チケットを「買っていただく」というのはそもそも非常に難儀なことと想像されるニャリ。みなさんご苦労様ニャリ。

それに上演時間が長い演目で、少々、難し目に見られて敬遠されたかニャあ。お彼岸の中日の午後、に当っているというのも、本来クラシック界の聴衆の大半をしめるご年配の方々の足を遠のけたかもしれニャいと思ったりする・・・

でも、ホントによい公演だったにゃり。

ワーグナー好き集まれ!ねこも応援旗ふるニャリ。

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