2017-10

旅行日記 最終日
12・11(火)バレンボイム/シェローの「トリスタン」

  ミラノ・スカラ座

 早朝5時に起き(二度とこんなスケジュールは御免だと言いながら、性懲りも無く繰り返している)ウィーン空港から7時半のオーストリア航空でミラノに向かうはずが、8時半まで待たされた挙句、欠航になり、10時発のアリタリア便に振り替えられる。
 それはいいのだが、ミラノのマルペンサ空港に着いてみたら、ウィーンで預けたスーツケースが出てこない。こういう時、単独旅行は不便なものである。長蛇の列を成すLOST AND FOUNDのカウンターに、要領よく立ち回って調べてもらったら、荷物はまだウィーン空港にあるとのこと。明日には日本に帰るから、もうこちらに転送せず成田に送ってくれと頼んでおき(それでも空港の女性係員は親切なものだった)、とりあえず市内のHOTEL DE VILLAに向かう。
 このホテルは、スカラ座へ歩いて数分の距離にあり、すこぶる便利だが、フロントのオヤジ2人はすこぶる愛想が悪い。
 この騒動で、昼寝もできぬ状態。それで6時半開演、深夜12時までの「トリスタンとイゾルデ」は辛い。何より困ったのは、洗面用具もネクタイも「ちゃんとした」服もなかったこと。

 そんな状況の中での「トリスタンとイゾルデ」だったが、これがまたなかなか素晴らしく、憂鬱な想いを吹き飛ばしてくれるものであった。これはスカラ座の今シーズンの話題の新制作で、7日にプレミエが行なわれたばかり。今夜は2回目の公演だが、事実上の「一般向き」プレミエに相当するのだそうだ。

 まずバレンボイムの指揮。10月の東京公演におけると同様に圧巻で、この作品で描かれている心理の精緻な陰影を余すところなく再現していた。数年前まではまだテンポやデュナミークの面にフルトヴェングラーの「トリスタン」の影が窺われたものだったが、今やそこからも解放され、彼独自の様式による「トリスタン」を確立しているように感じられる。それは10月の東京公演でもはっきりと聴き取れたものだったが、今夜の演奏でも同様だ。
 しかもスカラ座のオーケストラを、まるでベルリンのそれのように、地霊の叫びのごとく咆哮させ、うねりつつ進ませる手腕も凄まじい。ワーグナーの音楽にこれほどの官能的で豊潤な感性を再現できる指揮者は、今日彼を措いていないのではないかとさえ思える。
 網の目のように張りめぐらされた無数のライト・モティーフを、決してこれ見よがしにさせずに、その時々の必要性に応じて浮かび上がらせる術も見事と言うべきであろう。

 次に、パトリス・シェローの演出が持つ、名状しがたい緊迫感。このところまた彼は快調な進撃を続けているようだ。全篇にわたり灰色に満たされた舞台と、その中で展開する人物の動きとが、非常に重苦しい、出口の無い悲劇性を感じさせてやまない。
 この雰囲気は、今年5月にアン・デア・ウィーン劇場で観た彼の演出による「死の家から」と似ているなと思ってプログラムを見たら、舞台美術担当がそれと同じリカルド(リシャール)・ペドゥッツィだった。

 全幕に共通しているのは、舞台の背景いっぱいにそそり立つ、高さ20メートルほどにも及ぶ灰色の巨大な壁。その中央部分が時に船の艦橋になったり、繰り抜かれて扉になったりする。
 舞台には主役たちだけでなく、第1幕では水夫たち、第2幕ではマルケ王の廷臣と兵士たち、第3幕ではトリスタンの郎党たちといったように、かなり多数の人間が登場するのが特徴だ。しかも彼らが主人公たちに合わせて激怒、動揺、反発といった演技を実に細かくやるのだから、舞台の動きはきわめて律動的になる。
 第2幕では、クルヴェナルはすでに兵士たちに捕われ、引き立てられながら叫びつつ入って来る。第3幕では、郎党たちがマルケ王の軍勢と戦い、全員が打ち倒されるが、これはト書通りで、マルケ王の「だれもかれも死んで行く、みんな死んで行く」と嘆く言葉と完全に呼応しているだろう。

 第1幕では、水夫たちとイゾルデたちが同一平面上にいる。
 とりわけ息を呑まされたのは、クルヴェナルの楽観的な勧めに対し、イゾルデが突然彼の腕を掴んで「わたくしは上陸などいたしません、トリスタン殿にしかとお伝えなさい」と言い切るくだりだ。ここでは、野次馬気分で2人を取り巻いていた水夫たちの間にピリリとした緊張が走り、舞台全体が凍りついたような雰囲気に変わる。
 それ自体も見事なものだが、その一連の演技が音楽の移行と完璧に合致しているのが、圧倒的な迫力を生むのである。シェローは今やここまで音楽を深く読むようになったのか、と改めて感嘆せずにはいられなかった。本当にこれは、日本のファンにも観てもらいたい舞台である。
 ただ唯一、疑問なのは、第1幕の最後で、トリスタンとイゾルデが衆人環視の中で愛の行為に耽ることだろう。これでは、2人の不倫が、あっという間に噂となって広まってしまうに違いない。

 トリスタンはイアン・ストレイ、この日は第2幕途中から不調覆い難く、第3幕後半ではほとんど声が出ず(平土間2列目にいた私には、オーケストラの陰で彼がオクターヴ下げて歌うのすら聞こえたほどだ)。だがお詫びが入っていたせいもあって、ブーイングは一つも飛ばなかったようである。
 ブランゲーネのミシェル・デ・ヤング、クルヴェナルのゲルト・グロコウスキも以外に冴えず、マルケ王のマッティ・サルミネンが相変わらず底力のある声で重みをつけたが、やはり何より見事だったのは、イゾルデのワルトラウト・マイヤーだった。声のコントロールの巧妙さのゆえか、最後まで全くバランスを失わない歌唱だったのは絶賛に値する。本当にこの人は、「巧い」歌手である。
                           

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/114-f8b8c2f5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」