2017-11

5・26(木)クリスティアン・アルミンク指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団

   サントリーホール  7時15分

 大震災犠牲者追悼の意をこめたヒンデミットの「葬送音楽」で開始され、クルタークの「断章~ヴィオラと管弦楽のための」(日本初演)が続く。
 この2曲でのソリストはアントワーヌ・タメスティAntoine Tamestitで、鋭い切り込みを持った鮮やかなソロであった。

 そのあとに栗友会合唱団が登場してブラームスの「運命の歌」を演奏し、休憩。そして後半にシューマンの「交響曲第2番」。渋いプログラムだ。

 演奏はやはり、最初の近・現代作品の方が冴えていただろう。古典的な清澄さを持った小品「葬送音楽」での弦の透徹した音色は美しく、「断章」では管弦楽とヴィオラ・ソロとの息詰まる対話がスリルを生んだ。
 「運命の歌」も悪くはなかったが、冒頭の旋律――ブラームスが如何にメロディストだったかを証明する甘美な主題――での管がピン・ポイントで決まらず、旋律と和声の美しさをぼかしてしまう傾向があったのは残念だ。

 この曲から次の曲の第1楽章にかけては、何か緊迫感に不足する演奏で、些かある種の危惧の念を抱かされたが、――幸いに交響曲の後半は持ち直し、第4楽章はすべての陰鬱さを吹き払うような、高揚感に満ちた演奏で結ばれた。
 特にこのシューマンで、アルミンクと新日本フィルが念入りにつくり出していた、まろやかで緻密ではあるが一種の憂いを含んだ音色は、この作品の性格の一つの面を浮彫りにした表現として、印象深いものであった。

 こういう演奏を聴くと、やはり今の新日本フィルにとってはアルミンクという指揮者が必要な存在である、という思いを新たにさせるのではなかろうか。

 しかし、私の知人で、さる欧州系企業に勤務する音楽好きのビジネスマンのO氏が先日、こういう見解を聞かせてくれた。
 ――もしアルミンクが、あの騒ぎの期間中に欧州で入れてしまった指揮の仕事を「日本の被災者へのチャリティー・コンサート」とするとか、もしくはその時のギャランティを、あるいはキャンセル後の最初の日本での指揮のギャランティを被災者に寄付するとか、・・・・たとえばそんなことをすぐ発表していたら、新日本フィルとの空気や、日本の聴衆への印象も、もう少し違った方向を辿ったのではなかろうか――と。
 なるほど、一理ある。
 その方法がいいかどうかは別としても、アルミンクの周りに、だれかそういうことをアドヴァイスする知恵者がいなかったのか。

 まあ、知恵者がいるいないはともかくとして、アルミンク自身も――「自分には家族を守る責任がある」などという弁明もいいだろうけれど――日本で重要な仕事をしているからには、日本人の心情というものをもっと理解しようと努力することも必要ではなかったろうか? 
 若い彼は、これから世界のあちこちで仕事をして行くだろう。それぞれの国に合った人心掌握の術というものを、さらに学ばなくてはなるまい。

コメント

>もしアルミンクが、あの騒ぎの期間中に欧州で入れてしまった指揮の仕事を「日本の被災者へのチャリティー・コンサート」とするとか、もしくはその時のギャランティを、あるいはキャンセル後の最初の日本での指揮のギャランティを被災者に寄付するとか

えっ、本当にただ別の仕事を入れただけだったの?驚きました。

メータ「音楽の力で日本の人々を勇気付けたい」
ドミンゴ「私は行くと決めたら行くんです。キャンセルなんて考えはありません」
カンブルラン「日本でポストを得ている以上、来日は当然。キャンセルした同僚【音楽家】に失望」
ヴロンスキー「プラハでも東京でも、いつ何が起こるかわかりませんからね」
ノリントン「思ってたより平気じゃないか。すごいヴィブラート【余震】だけど(笑)」

……アルミンク「私には家族を守る義務があります。日本の皆様理解してください」

並べてみると、確かに音楽家失格だなぁ。使命感がないんだよね、アルミンクさんには。ものすごい「フツウの人」。器小さっ!!!

音楽監督は、しばらく頭を冷やして考えるべき。新日団員も、つまらぬゴタゴタを続けないために、「呟き」だの「ブログ」だのは用心した方がいいと思う。

この文章の主旨、同感です。
新日本フィルとして、一種の謝罪コメントまで、出していますが、バッシングしても、された側双方にとって、感情論になるだけで、溝が埋まりません。

人って、言葉と行動(言動)でしか観てくれませんから。立ち居振る舞い。お国柄もでるでしょうね。人様に合わせるって、難しいですね。生きてきた体験に委ねられますから。

シューマンの交響曲はともかく、7月のトリスタンはどうなるのでしょう。
あるバイロイトの奏者が「ワーグナーのオペラは、歌手と指揮者とオーケストラが、共に助け合って行う集団競技のようなもの」と雑誌で語っていました。
もう少し双方、気持ちの歩み寄りがないと難しいでしょうね。

音楽監督

音楽監督たるもの(圧倒的な音楽性があれば別かもしれないが)
今の時代、人間性や人柄も極めて大切だと思う。

彼は所詮、育ちの良いお坊ちゃま。

期待が大きすぎたのかもしれない。

(こうなってしまっては)
彼にとって今までの日本での仕事は
一時的な踏み台みたいなもの

今後、原発で危険な日本での仕事は、
あってもなくても、どちらでもいいのかもしれない。

本当は交代させるのが望ましいのであろうが、
来シーズンのプログラム、会員の更新も終わっていて、
いまさら別の音楽監督を探すわけにもいかず・・・
というのが実態なのではないか。

新日フィルも足元を見られたものだと思う。

いくらなんでも楽員が気の毒だ。

定期会員もお気の毒さまです。

一部の楽員の態度は、人としても当然であろう。

お客が大人しい(過ぎる)と思われる。
これも、世界が驚く日本人の品の良さの表れか?

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/1107-d7adb895
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」