2020-05

4・12(火)METライブビューイング
ドニゼッティ 「ランメルモールのルチア」

   東劇(銀座)

 案内役はルネ・フレミング。いつもながら手慣れたものである。
 第3幕の前に彼女は「日本でこれをご覧になっている皆様、心からのお見舞を申し上げます。METはみんなで応援をしています」というメッセージを入れていた。
 これを言うからには、METは6月の東京公演を予定通りやってくれるということだろう。3月19日の収録映像だが、折も折とて、何か気持が温かくなる。

 今回の「ルチア」は、メアリー・ジマーマンの演出によるもので、これは2年前の3月5日にライブビューイングで上映されたのと同じプロダクションだ。
 あの時はルチアをアンナ・ネトレプコが歌い、案内役をナタリー・デセイが担当していたが、今回はそのデセイがタイトルロールを歌っている。

 さすがにデセイ、そこはかとない寂しい表情、ひ弱な女性としての性格表現など、演技の巧味という点でも、実に見事なものだ。
 そのような性格に合わせ、第1幕と第2幕では歌唱も少し抑制気味にし、第3幕の「狂乱の場」では表現力を全開にして凄みを出す。パワーで押すのではなく、じっくりと悲劇性を表わして行くというのがデセイの最近のスタイルだが、いたずらに声を誇示する歌手よりも遥かに説得力に富むルチアであることは疑いない。

 恋人エドガルド役はジョセフ・カレーヤで、もちろん悪くはない。
 が、それよりも、リュドヴィク・テジエがエンリーコ役で登場したのを観られたのは、大いなる喜びだった。歌もいいが、映画「リチャード3世」におけるローレンス・オリヴィエにそっくりの厳ついメイクで、堂々たる悪役ぶりを披露していた。デセイとの二重唱の場面など、息詰まるばかりの迫力である。
 ユン・クヮンチュルがライモンドを歌ったが、彼がワーグナーでなくイタリアものを歌うのを聴いたのは、実はこれが初めて。渋いところを見せていた。

 指揮はパトリック・サマーズ。この人も、渋い音楽づくりだ。渋いけれども、その一方、第3幕第1場のエンリーコとエドガルドの対決場面は、えらくテンポが速く粗い指揮である。せっかく此処をノーカットでやってくれているのに、もったいない。――この場面、古今の批評家先生たちの間では、冗長だ、蛇足だ、とか評判が悪いが、私は大好きなのである。

 このジマーマンの演出では、亡霊が盛んに登場する。
 ルチアの最初のアリアの時にも、実際に女の亡霊が現われ、古井戸(?)ならぬ泉の中へ姿を消す。ジマーマンはこの亡霊を「呪いの象徴」と言っていた。
 大詰め、エドガルドが自殺する場面でルチアが亡霊となって出て来るのも前回同様だが、あの時はルチアがエドガルドの前で微笑を浮かべつつ手招きしてみせるのが何か滑稽に感じられ、白けたものだ。
 今回のデセイはそのような不自然な演技はせず、恋人の周囲を廻り、最後には彼が短剣を胸に突き刺すように仕向ける。この間、デセイのやつれた面影のメイクと表情、いかにも幽霊といった雰囲気が全身にあふれて、すこぶる不気味である。やはり彼女は巧い。

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/1060-32d0e728
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

ブログ内検索

お知らせ

●2007年8月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年8月
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年8月
2006年7月
2006年4月
2006年3月
2005年12月
2005年8月
2005年4月
2005年3月
2004年4月

最近の記事

Category

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」