2017-10

2・5(土)新国立劇場 團伊玖磨:「夕鶴」

  新国立劇場 オペラパレス  2時

 栗山民也の演出で、2000年12月にプレミエされたもの。雪が猛烈に降る光景が強く印象に残っている。
 あの雪は悲劇的な迫力があって、なかなかよかったが、今回の上演では何故か量がだいぶ減ったようだ。芸術的な理由なのか、経済的理由なのかは知らない。しかし、装置(堀尾幸男)も照明(勝柴次朗)も、相変わらず美しい。

 今日は3日間公演の2日目で、出演は腰越満美(つう)、小原啓楼(与ひょう)、谷友博(運ず)、島村武男(惣ど)、世田谷ジュニア合唱団(子供たち)。
 ヒロインはなにせ美女だし、顔の表情の演技もすこぶる細かいので、舞台映えがする。高音域にもう少し柔らかさがあれば理想的だが、魅力的な「つう」である。どちらかといえば、音楽的にも演技的にも、悲劇的な部分に良さがあるだろう。

 「与ひょう」はまさにどうしようもない、「お前は本当に馬鹿だよ」と言いたくなるようなキャラクターだが、それゆえ演じるのはむしろ至難の業ではなかろうか。今回の小原には、まっとうな芝居の他にも、もう少し心理の複雑な綾の表現が欲しいところだ。

 演奏は、高関健指揮の東京交響楽団。
 高関のオペラは久しぶりだ。いわゆる劇場的な芝居気のない、やや渋くシリアスに沈潜した傾向の指揮という印象だが、それが彼の持ち味でもあろう。
 東京響は、メンバー表によると、高木和弘をコンサートマスターに、すべてのパートに首席奏者が顔をそろえているとのこと。確かに、コンサート並みの手堅い演奏が聴けた。こういう演奏なら有難い。

 今回演奏されているのは、1956年改訂以来広く使われている管楽器の一部縮小版である。
 プログラムの解説によれば、作曲者は「簡素で澄んだ音にした」と語ったそうだが、私はどうしても、オリジナルの編成版――現行版と異なるのはオーボエ、クラリネット各2、ホルン4、トロンボーン3、テューバ1という編成の大きさ――の分厚い、ミステリアスで不気味な音色(特に第2部ではそれが凄味を発揮する)に魅力を感じてしまう。
 高関氏の話によれば、このオリジナル・スコアは現在入手不可能とのこと。

 かつて1970年にビクター・レコードに録音された若杉弘指揮、伊藤京子主演の演奏がその版を使用したものではないかと思われるのだが、以前若杉氏に直接尋ねた時には「何使ったかなあ、覚えてないよ」と言われてしまった上、関係者に当ってもあやふやな返事しか得られなかったので、定かではない。
 しかしあのディスクを聴いてみると、この「夕鶴」の音楽が、今日演奏されるのと異なり、非常にロマンティックでデモーニッシュで、陰翳の濃い、劇的で色彩的な音楽に聞こえるのだ。そういう魔性の「夕鶴」も魅力的だろう・・・・。

コメント

猫は6日の「夕鶴」の客席に紛れ込んだニャり。つうの人間的側面が強く出た上演に思えた。東条さんのおっしゃる「デモーニッシュな」夕鶴が、実は作曲者の意図するところだったのかもしれない、とこの日記を拝読して思う。作品の一人歩きは始まっている。そのときどき作品に取り組むチームのカラーが反映されていく。つうは鶴の化身であることを常に意識して歌い演ずるには、ことオペラとなると、演劇以上にますます容易ではないのだろう。今後、「夕鶴」の上演が、安易な方向へ流れていかないようにするには、上演チームが常に自分たちの感性を研ぎ澄まし、ぎりぎりの極限まで作品、人物の極限に迫る努力が欠かせないだろう。今回の上演は、声楽的にも無理のない、多分これまでの伝統的上演に縛られない大らかなよさはあって、これも一つの道なんだろうと納得はできた。猫もよく化けるだけに考えせられた。化けている間は人間だから、人間ぽくっていいのか、それともやっぱり元の性質を、ぞくっ、と感じさせる化け方がよいのか、どっちかニャ・・・やっぱり本当は後者を目指すべきじゃないのか・・・演奏はしかし強要されてするものでもないから、当事者の手に任されるわけだニャあ。

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