2017-11

1・29(土)シズオ・Z・クワハラ指揮日本フィルハーモニー交響楽団

   サントリーホール  2時

 シズオ・Z・クワハラは34歳。両親は日本人で、東京生まれだが、現在の国籍は米国だそうだ。バージニア響正指揮者を務めたことがあり、現在はジョージア州オーガスタ響の音楽監督に在任中の由。

 彼が今日指揮したプログラムは、ウィリアム・シューマンの「アメリカ祝典序曲」、スティーヴ・ライヒの「管楽器、弦楽器とキーボードのためのヴァリエーション」、ストラヴィンスキーの「春の祭典」。

 1曲目と3曲目では、実に凄まじく、痛快無類なほどにオーケストラを轟々と大音響で鳴らす。これは、この指揮者の、米国で育まれた感性なのだろうか? 
 一昔前の日本の批評なら、こういう指揮は「乱暴だ」とか「大きな音を出せばいいってもんじゃない」とか言うだろう。だが私はむしろ「大きな音を出さなければいいってもんじゃない」と言いたいところで、演奏に良い流れがあれば、大音響もそれに美点を添えるものになるのではないか、と思っている。

 ライヒの作品を、この2曲の間に挿入したのもよいアイディアであろう。滅多に聴けない作品だが、これが日常の定期公演の曲目として、しかもこういうプログラム構成で取り上げられれば、「現代音楽」に尻込みしている聴衆の「耳に触れる」好い機会になる。
 しかも非常に耳当りのいい曲だし、「同じことばかり延々とやっているんじゃないの」という不満は与えたとしても、それ以上に一種の不思議に快い時間の魅力を感じてもらえるのではないかと思う。

 それにしても、キーボード奏者たち、とりわけ同じモティーフを弾き続ける電子オルガン奏者には、お疲れさまを申し上げたい。

 私はあれを聴きながら、1970年の大阪万博の鉄鋼館で、テリー・ライリーの「イン・C」が日本初演された時のことを思い出していた。
 その時には、「ハ」音のみをかなりの速度で数十分間弾き続けるはずの日本人女性ピアニストが(予定外か想定内か知らないけれども)途中でダウン、ルーカス・フォスがそれを引き取って弾き続け、しばらくしてまた彼女が復帰して――という場面があった。また、同じモティーフがモワレ効果で延々と反復される可笑しさに、聴衆がこれ見よがしにゲラゲラ笑い出す一幕もあった。

 しかし、今日の奏者たちはビクともせずに弾き切っていた。聴衆(客席はほぼ埋まっていた!)も、もちろん笑い出すようなことはなかったのである・・・・。

 演奏に関しては  音楽の友3月号演奏会評

コメント

出色のハルサイ

「大きな音が出せるのは大切な要素」と、どなたかの評論で読んだことがありますが、仰るとおり大きな音も、一方小さな音もキチンと出て出色の「ハルサイ」だったと思います。それにしても60年当時、マルケヴィッチ来演の際下稽古をつけた渡邉暁雄さんが、「弾けないところは弾く振りをすれば良いから」と言ったというエピソードを楽員から聞いた事があります。今昔の感に堪えません。

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