2020-06

2020・6・29(月)METライブビューイングも再開 「ポーギーとベス」 

        東劇(銀座)  6時

 しばらく中断していた「METライブビューイング」が再開。新型コロナ蔓延のため途中閉鎖されてしまった2019~2020シーズン・プロの配信作品のうち、制作されていた残りの3作がこれから上映される。
 まずはガーシュウィンの名作オペラ「ポーギーとベス」。上映時間は約3時間40分。

 これは2月1日上演のライヴ映像で、デイヴィッド・ロバートソンの指揮、ジェイムズ・ロビンソンの演出、マイケル・ヤーガン美術によるプロダクションだ。
 主役歌手陣は、エリック・オーウェンズ(ポーギー)、エンジェル・ブルー(ベス)、ゴルダ・シュルツ(クララ)、ラトニア・ムーア(セリナ)、フレデリック・バレンタイン(スポーティング・ライフ)、アルフレッド・ウォーカー(クラウン)、デニース・グレイヴス(マライア)。

 出演は、作品の内容に従い、ソリストと合唱を含めたほぼ全員が黒人で、さすがダイナミックな演技と歌唱ぶりである。実直で素朴な人間像を見せるポーギーのオーウェンズも悪くないが、何度も道を誤る気の弱さを表情に滲ませたベス役のエンジェル・ブルーが素晴らしい。
 そして、「サマータイム」をはじめとするガーシュウィンのお馴染のナンバーとともに、ミュージカルの要素を含んだオペラとしてのこの作品を十全に楽しませる。ここでは未だ、貧しくとも率直な、ヒューマンな精神を垣間見せるアメリカが描かれているだろう。素晴らしいオペラである。

 ただ、ロバートソンの指揮とMETのオーケストラの演奏が穏健で、かなりソフィストケートされているのが私には物足りなく、もう少しジャージーな躍動感と土臭さがあったらな、と思わせたのは事実だ。

 METの客席には、もちろん黒人だけとは限らず、白人も東洋人もいろいろ混じっていたはずだが、この上演ではいつものMETの客層と違い、黒人歌手たちに異様なほどの熱狂的な歓声を上げ続ける客(女?)がいて、特に最後のカーテンコールでは、その騒々しい喚き声に些か辟易させられた。
 第3幕ではポーギーを虐待する暴力的な白人警官たちも現われるのだが、彼らを演じた白人歌手たちにカーテンコールの際に客席からブーイングが浴びせられたのは、ドラマに対する観客の強い共感性の表れだろう。

 「ポーギーとベス」の上演は、METでは30年ぶりとのこと。METはこのプロダクションに力を入れ、昨年9月23日のシーズン開幕公演として取り上げたのみならず、それに関連して、METにおける「アフリカ系アメリカ人」歌手たちに関する歴史展をも開催していたそうだ。「歓迎された歌手、出演を拒否された歌手などを含めて」の大規模な展示会だったという。

 ━━こうした黒人問題と関連する記念展も、新型コロナ蔓延の影響で3月12日にMETが閉鎖されたため終了してしまっただろうが、しかしそれから2か月ほど後に、あの白人警官の黒人青年に対する暴力事件をきっかけにした、アメリカの社会体制を揺るがせる騒動が巻き起こったのだから、皮肉というほかはない。前述の、黒人ポーギーに暴力を振るう白人警官のシーンは、われわれをもぞっとさせる光景であり、まさにアメリカが抱える永遠の課題を象徴するものであったろう。

 なお今シーズンのMETライブビューイングは、このあとにすぐ、ヘンデルの「アグリッピーナ」(2月29日上演ライヴ)と、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」(3月10日上演収録の記録映像による)が続く。ただし、そのあと予定されていた「トスカ」と「マリア・ストゥアルダ」は、本番が中止となったため、それぞれ2年前と7年前の上演映像で代替されるとのこと━━。

2020・6・28(日)東京交響楽団、公開定期の再開2日目

     ミューザ川崎シンフォニーホール  2時

 東京響は、すでに先週金曜日に、聴衆を招いての定期演奏会をサントリーホールで再開している。

 今日は同一プログラムでの川崎定期だ。曲目は当初の予定通り、ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲と「ピアノ協奏曲第3番」、メンデルスゾーンの「交響曲第3番《スコットランド》」。
 ただし指揮者のユベール・スダーンとピアニストのイノン・バルナタンの来日が不可能になったため、飯守泰次郎と田部京子がそれぞれ見事に代役を務めた。コンサートマスターは水谷晃。

 管楽器奏者たち以外は全員━━指揮者もソリストもマスク着用だが、特にマエストロ飯守は黒マスクをかけての登場で、2CBの遠い席から見ると、何となく厳めしく不気味な迫力を感じさせる。
 そして、その迫力も見かけだけではない。音楽づくりも強烈で、これほどドラマティックな「スコットランド」は聴いたことがない、というほどの演奏になっていたのには度肝を抜かれた。荒々しく鋭角的なアタック、激しいデュナミーク、ティンパニの豪打による強いリズム感など、恰もメンデルスゾーンの交響曲をベートーヴェンの流れを汲む強靭な世界として位置づけるような解釈を、些か戸惑いつつも興味深く聴かせて貰った。

 冒頭の「プロメテウスの創造物」序曲の序奏でも、豪快な音の構築と遅いテンポが見事であり、しかもそれらの和音の間につくられた長い休止が全く緊迫感を失っていない、という演奏にも感服させられたのである。
 この序曲は、あっさり演奏されると拍子抜けさせられるものだが、今日はそれが終った時には爆発的な拍手が巻き起こった。演奏に籠められた並々ならぬ力を、聴衆もまっすぐに享け取ったのだろう。

 続くコンチェルトでも、黒マスクの飯守と東京響はどっしりと構えた演奏を繰り広げた。それに呼応した白マスクの田部京子のピアノは、まるで黒騎士と貴婦人の対話の如き━━飯守の黒色と、田部の輝かしい清純な白色とのコントラストをイメージさせるような音楽を感じさせたのである。久しぶりに聴いた堂々たるベートーヴェンは、実に懐かしく、快かった。

 聴衆は700~800人の入りと見えたが、確認したわけではない。定期会員の中にも、未だ外出やホールに集まるのは怖いとかで、欠席する人も居ると聞く。各々両側1席ずつの間隔を置いてのソーシャル・ディスタンス方式着席で、マスクも着用。黙々、粛々も例の如くだが、今日の拍手は、実に強く、そして大きかった。東京響に対する「わが町のオーケストラ」という思いも籠っているような拍手に感じられたのだが、どうだったろう。

 なお、「終演後に通路での密状態を避けるため、何々階のお客様から順番に・・・・何階のお客様はしばらくお待ちを」という意味のアナウンスが為された(先週の東京フィルでもそうだった)が、これは事実上、意味がない。構わず退席して行く人もいるし、それに第一、そんなにうるさく言われなくてもみんな「密」を避けるための心構えは充分に持っており、歩く時には自らちゃんと互いに間隔を取りあっているからである。

 東京響は、ネット配信の多用も含めて、苦しい中でも企画は積極的だ。7月の定期等では、ジョナサン・ノットが映像出演して指揮をするという超風変りの、一種実験的なスタイルで開催されることが、すでに同楽団のサイトに発表されている。

2020・6・27(土)関西フィルも公開で定期演奏会を再開

     ザ・シンフォニーホール  2時

 こちらザ・シンフォニーホールでも、関西フィルハーモニー管弦楽団が当初の予定通り客演指揮の鈴木優人を迎え、聴衆を入れた定期演奏会を再開した。

 ただしプログラムは、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」序曲以外は変更され、当初の予定だったブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」と「第2交響曲」の代わりに、モーツァルトの「交響曲第29番」、シューベルトの「交響曲第5番」という小編成の作品が加えられた。弦6型による室内楽団的な編成だったが、これは古典派系プログラムには悪くない規模だ。コンサートマスターは岩谷祐之。

 とはいえ、今日の演奏は心なしか慎重で、オーケストラの表情も重い。それはほぼ4カ月に及んだ活動休止のあとの緊張感の所為か、間隔を空けてのオーケストラ配置になかなか馴染めなかった所為かは判らないけれども、シューベルトの「5番」などはもっと闊達さが欲しく、特に第2楽章ではシューベルト特有の転調の妙味━━明から暗、暗から明への対比という、陰影の明確さが欲しかった。
 最もバランスが良かったのは、モーツァルトの「29番」の演奏だったのではないかと思う。

 また、オーケストラの表情の重さに加え、響きも些か重いように聞こえたのだが、これは私の聴いた席が1階の下手側の壁際で、コントラバスの声部がよく響いて聞こえていたためもあるかもしれない。だが、鈴木優人と関西フィルの相性はなかなか良いようで、ステージの雰囲気や、聴衆の反応などにもそれが感じられる。

 弦の奏者たちはマスクなしで弾く。演奏前に鈴木優人が自らマイクを取り、マスクをしていると気が散って演奏に集中できないと皆が言う、と説明。また、先日東京で行なわれたオケの演奏実験の結果なども含め、普通に演奏した場合、まずは飛沫感染の心配はない、ということをも客に伝え、安心させていた。

 客の側における感染症対策の方法は型通りだが、体温測定の方法が「通行しながら測る」システムではなく、一人ひとり額に非接触検温器を向けての測定だったため、客の入場には些か時間がかかったようで、開演時間ぎりぎりにどうやら全員が間に合った。
 クロークもプレイガイドも、このホールの名物であるティールームなども、全て閉じられている。客たちは黙々と、粛々と入退場。客の入りは、ざっと見たところ500~600人くらいかと思われるが、当節の状況からすれば、結構な入りと言っていいのではなかろうか。

 だが、あれこれ注意を促す場内アナウンスが、他のホールのそれに比べかなり綿密なので、お客たちはいやが上にも重苦しい雰囲気に引きずり込まれてしまう。お役所的コメントで厳しく注意して脅かすのも一法だろうが、もう少しユーモアをも交えた、硬軟両様の場内アナウンスのコメントを考える洒落者はいないものか━━まして吉本の上方なら。
 つい先頃までは当然のように感じられていたコンサート会場の華やぐような雰囲気も、今はもう全く消えた。それが復活するのはいつのことだろうか。だがとりあえず今は演奏会が再開されるようになったことを慶ばなくてはなるまい。今日は珍しく20分の休憩を入れての通常スタイルで、終演は3時45分頃となった。

 大阪4オケでは、このあと日本センチュリー交響響楽団が、6月29日(月)に4月定期の延期分を、7月9日に7月定期を、いずれも秋山和慶の指揮で、客を入れて開催する。この楽団は、去る20日(土)に「ハイドン・マラソン」をいち早く公開で再開していたのである。残る大阪交響楽団は、7月16日(木)に小泉ひろしの指揮で7月定期を公開で再開と聞く。

2020・6・26(金)大阪フィル、公開定期演奏会を再開

      フェスティバルホール  7時~8時15分

 「大阪4オケ」のトップを切って、大阪フィルハーモニー交響楽団が聴衆を入れた定期公演(6月定期)を再開した。指揮には、当初の予定通り、かつての音楽監督で現在は桂冠指揮者となっている大植英次が登場。

 ただし新型コロナ感染予防対策の一環としてオーケストラの編成は縮小され、当初予定されていた「ウェストサイドストーリー」や「ツァラトゥストラはかく語りき」などの大編成作品の替わりに、ベートーヴェンの「第4交響曲」と「第5交響曲《運命》」が休憩なしで演奏されるということになった。とはいえ「4番」は弦12型、「5番」は弦14型という編成を採っての演奏だから、通常公演と同じようなもので、プログラム変更という不満感はそれほど強くはなかろう。

 奏者の配置は、広いフェスティバルホールのステージをいっぱいに使って大きく間隔が取られ、弦の前列は舞台前方ぎりぎりまで迫る。上手側の高いバルコニー席から一望したところでは、オーケストラが異様に広く拡がっているという印象だ。昔、カラヤンの映画でこんな配置を見たような気もするが━━。

 弦楽器奏者とティンパニはマスク着用、「5番」のフィナーレにしか出番のないトロンボーンとコントラファゴットの奏者も、待っている間はマスクをして座っていた。
 指揮者の大植はマスクなしだが、コンサートマスター(須山暢大)らと握手をする時にはその都度白い手袋をはめるという念入りな作業で、場内からは笑いが漏れた。

 一方、客の側はというと、これは例のごとくアルコールでの手洗い消毒と非接触機器による体温測定を経て入場、マスク着用を推奨される。当日売りは行わず、定期会員と招待客のみだったが、入りは見たところ600~700という感か。
 席の変更は先着順とか聞いたが、しかし、間隔を1人ずつ空けての着席案内が上手く出来ていて、バルコニーから見ると綺麗に客席が埋まっているように感じられる。バー・カウンターも開かれていないので、ロビーもだだっ広く感じられる。
 定期公演の際にロビーで行なわれている福山修事務局次長のプレトークも、今回は無し。客は黙々と、粛々と出入りするので、やはり何となく寂し気な雰囲気は拭えないだろう。

 さて、久しぶりに聴いた大植&大阪フィルの演奏。音楽そのものは良いのだが、実は初めのうち━━最弱奏で開始された「4番」の序奏あたり、オケの音色の硬さも含め、響きがステージ中に散らばり、バラバラなアンサンブルに感じられたのには愕然とさせられた。
 こちらの席の位置や、ほぼ3か月間の活動空白のあったオーケストラの傾向などを別にして考えても、これは少々異様だった。ステージいっぱいに音が沸き上がるというよりもむしろ、ステージのあちこちからバラバラと音が聞こえて来る、という感だったのである。あまりに席の間隔を空けてのオーケストラ配置では、このような傾向になってしまうのか・・・・と、オケの配置の重要性を改めて思い、暗然としたものだった。

 ところが、こういった欠点が、驚くべきことに、演奏が進むうちにみるみる解消して行ったのである。「4番」の第4楽章あたりになると、すでにしっとりとまとまったアンサンブルがつくり出されていた。そして、「5番」に至っては十全なバランスと音色でまとめられた━━まとまり過ぎていたと言っていいほどの━━重量感たっぷりの演奏になっていたのだった。

 これは、このような配置にもかかわらず、オケの楽員たちが互いの響きを巧く聴きあって、この場に相応しいアンサンブルをつくって行ったのだろうと思われる。さすがはプロである。また、あまり細かく振らずにオケを制御していた大植の指揮も、好結果を生んだのかもしれない。「5番」終楽章のコーダなどでは、火の出るような推進性と盛り上がりを感じさせたのであった。

 久しぶりに聴いた大植のベートーヴェン、極めて正面切ったストレートな音楽づくりだ。もう少し暴れてもいいのではないかと思われるくらいだったが、━━あるいは明日の2日目の演奏では、もっと自由さが生まれて、面白いことになるかもしれない。

 飛沫感染防止のため、客には「大きな声は出さぬよう」と指示があったものの、しかしオケの熱演に客も拍手だけでは物足りなくなったと見え、ブラヴォーの声も、控えめながら少しは飛ばされたようである。

 終演後に楽屋で会ったマエストロ大植はかなり体型と顔に貫録が増した印象だったが、人づてに聞くところによれば、帰国してすぐ2週間、ホテルに例の「罐詰」状態にされ、毎日カツ丼やら何やら、栄養価の高いものばかり食べていた所為だと。真偽のほどは定かではないが。

2020・6・22(月)東京フィル、公開定期演奏会を再開

      東京オペラシティ コンサートホール  7時~8時

 東京フィルハーモニー交響楽団が、聴衆を入れての定期演奏会を再開。
 昨日オーチャードホールでその初日をやっているので、今夜は第2日となる。因みに第3日は24日にサントリーホールで行われる予定。

 客は、入り口でアルコールによる手の消毒とサーモによる体温測定。机上からプログラム冊子を自分で手に取る。ホール内ではマスク着用と、左右を1席ずつ空けて着席することを、前以て新規の座席指定チケット(ハガキ)により案内されている。
 このハガキのもぎりは無く、客は非常の場合のための連絡用として氏名と電話番号をそれに書き込み、帰りがけに受付の箱に入れておくという仕組みだ。

 クロークとバー・カウンターは閉じられているので少々寂しいが、まあ大勢に影響はないだろう。
 このような感染防止策を講じた上での公開の演奏会。客席の入りは、最初から欠席の定期会員もいるとのことであり、また当日売りも出ていないだろうから、ざっと見たところでは、まず300~400人というところか。

 事務局スタッフも、全員マスク等の重装備。
 一方オーケストラの楽員たちは、マスクを着用せずの通常スタイル。弦12型の編成と聞いたが、とにかくフル編成による配置で、久しぶりに聴く本格的なオーケストラ・サウンドだ。今回はレジデント・コンダクターの渡邊一正の指揮で、ロッシーニの「セビリャの理髪師」序曲とドヴォルジャークの「新世界交響曲」が演奏された。
 ほぼ3か月に及ぶ活動休止のためにアンサンブルも音色も硬質で粗くなっていたのは、オーケストラの宿命として致し方ない。こういう傾向は9年前の東日本大震災後の一時期、各オーケストラに聞かれたものだ。今回もいずれ立ち直るだろう。

 多くの聴衆が同じ会場でナマ演奏に触れた快感を共有して拍手を贈り、楽員が力いっぱい演奏して聴衆から拍手を享けるという、この素晴らしい自然な交流の儀式が再び甦ったことの幸福感を、たとえ暫くの間だけでも、忘れたくないものである。

2020・6・21(日)阪哲朗&村川千秋指揮山形交響楽団(オンライン視聴)

      やまぎん県民ホール 3時~5時10分

 東京では今日は東京フィルが、在京オケの先陣を切って、オーチャードホールで「公開の」定期演奏会を再開しているはず。私は明日、オペラシティでの公演の方を取材するつもりでいるので、今日は山響の非公開生中継ライヴを視聴することにした。

 先週日曜日の山響ライヴは山形テルサホールからだったが、今回はその隣に竣工した「山形県総合文化芸術館 やまぎん県民ホール」という会場からだ。
 「やまぎん」というと、私など旧世代(?)はどうしても往年の峻烈批評家・山根銀二氏を連想してしまうが、このホールの場合は山形銀行が命名権を取得しているため、このような名称になっていると聞く。

 大ホールの客席数は2001とか。今年3月末にオープンした━━はずだったものの、新型コロナ騒動で公演はすべて中止または延期となっており、実際は来月12日に開催される山形響と仙台フィルの合同演奏会(飯森範親指揮)が事実上の開館初の公開演奏会になるらしい。私も取材に行くつもりでいるが。

 今日は、最初に村川千秋が自ら編曲した山形民謡「最上川舟歌」を指揮、次に常任指揮者・阪哲朗がベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」と「田園交響曲」を指揮した。協奏曲でのソリストは三輪郁で、べヒシュタインのピアノが使用されていた.。いい演奏である。中継の画質・音質とも、パソコンで受信している範囲では上々と思われる。ただし演奏の音がモノーラルというのは・・・・こちら受信側の原因なのか?

 休憩時間には、今回も山形の旅館やら温泉やら、名産やら名物やらの「ご当地紹介」の映像が愉し気に織り込まれていた。これは地方からのインターネット配信プログラムとしては、実にいい企画だと思う。
 例のごとく西濱秀樹専務理事が活躍。進行からCMから、いつもながらの大車輪だ。

2020・6・19(金)兵庫芸術文化センター管のデモ演奏(ライン視聴)

     兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール  3時

 「オーケストラ公演の再開に向けてのディスカッションとデモ演奏」と題しての生中継オンライン・ストリーミングで、ほぼ90分にわたるプログラム。非公開で、取材陣と関係者のみを客席に入れての「プレ・イヴェント」と聞く。

 前半45分が佐渡裕・下野竜也および川久保賜紀(ゲスト、ライン出演)の「ディスカッション」。後半がオーケストラ(PAC)のナマ演奏によるベートーヴェンの作品3曲━━下野の指揮で「プロメテウスの創造物」序曲と「ロマンス ヘ長調」(ソロは豊嶋泰嗣)、佐渡の指揮で「コリオラン」序曲。
 各団体それぞれに、オンライン企画にいろいろな趣向を凝らしている。

 ただし、ディスカッションとは言いながらも、今回の場合は佐渡裕が専らモノローグ的に感慨の念を優先して話し続け、下野竜也が時折フォローしてそれを整然とまとめるといったような雰囲気だ。どちらかといえば情緒的な話が先行したような印象もある。
 後半の演奏の途中では、楽員たちがステージでの音の響きに苦労していることを語ってくれたが、この問題は、強い迫真性を感じさせた。こういったオーケストラのアンサンブルのつくり方、ステージでの響きのつくり方などは、感染症防止対策の上で、今後大きな懸案となるだろう。

 そういえば、あの西脇義訓さんがやっている「デア・リング東京オーケストラ」の、パート別の楽器配置という既存のスタイルを根こそぎ変えてしまったオーケストラ配置のアイディアなど━━私は必ずしも賛意を表せないものだが━━今回のコロナ騒動の中では、もしかしたらまた別な意味合いを以って考えられることになるのかもしれない。

2020・6・18(木)東京芸術劇場ナイトタイム・パイプオルガンコンサート

      東京芸術劇場 コンサートホール  7時30分

 聴衆を入れた演奏会の再開━━といっても、感染拡大防止取組みのために聴衆の数を100名に制限し、その他取材記者、関係者等を含めて客席はソーシャル・ディスタンス方式(?)を採り、間隔を空けて着席、飛沫感染防止のためにブラヴォーなど声を出すことを禁止、全員マスク必携、クローク・売店等は開設せず、などという形を採っての再開だ。
 だがとにかくこれは、まず再開の「第一歩」なのであり、それが踏み出せたことだけでも歓迎すべきものだと言えよう。

 これは東京芸術劇場の「ナイトタイム・パイプオルガンコンサート」シリーズの第32回にあたるもので、今夜は今井奈緒子のソロにより、スウェーリンク、シャイデマン、J・S・バッハ、坂本日菜、モーリス・デュリュフレの作品が演奏された。
 芸劇オルガン名物の2面オルガンを途中で回転させ、「17世紀初頭オランダ・ルネサンスタイプ」「18世紀中部ドイツ・バロックタイプ」「フランス・シンフォニックタイプ」をそれぞれ使い分けて聴かせるいつものスタイルも復活されていたのもいい。

 圧巻はやはりバッハの「幻想曲とフーガ ト短調BWV542」だったが、これは作品の良さにも由るだろう。
 坂本日菜の「九品来迎図」という曲は、2019年に神奈川県民ホールの委嘱により作曲されたもので、浄土宗の経典「感無量寿経」に拠る阿弥陀如来のご利益を、キリスト教の楽器ともいうべきオルガンを使い、しかもグレゴリオ聖歌を用いて描き出すという飛び抜けた発想が面白い。

2020・6・15(月)映画「お名前はアドルフ?」

     シネスイッチ銀座  2時35分

 来日中止になったボン交響楽団もチラリと出ている、と教えられ、ゼーンケ・ヴォルトマン監督のドイツ映画「お名前はアドルフ?」(原題は「DER VORNAME」)を観に行く。

 今度生れる子供には「アドルフ」という名前を付けるつもりだ、と発表した父親を巡り、親族たちが蜂の巣をつついたような騒ぎになるところから始まる映画だ。
 「アドルフという名前は、かの悪名高き独裁者アドルフ・ヒトラーを思い出させるから、断じて避けるべきだ」と諫める親族たちと、「悪名高き独裁者なら歴史上、他にもたくさんいるではないか、なぜアドルフという名だけがいけないのだ」とやり返す父親とが、夕食の席上で大バトルを繰り広げるというストーリーだが、これはなかなか興味深い。

 「アドルフ」という名前など、「フランケンシュタイン」などとは違い(アメリカにフランケンステインという音楽評論家がいたが)ありふれたものだろうに、と思っていたのだが、現代ドイツでは、あのヒトラーのイメージが強すぎるゆえに、男の子にその名は付けぬ傾向があるとか(ブックレットにはそう書いてあった)。
 なるほど、たしかにそういう名前の子供は、学校ではいじめられる━━映画の中にもそういうセリフが出て来た━━かもしれないな、とは思う。

 何となれば、かく言う私自身が小学校低学年の頃、名字のためにどれだけ酷いいじめに遭ったか、それを身に沁みて体験しているからである。
 戦後の短期間、私は長野県の塩尻と、神奈川県鎌倉市の腰越に疎開していたことがあるのだが、そこの小学校での一時期、私はしばしば悪ガキたちに囲まれて戦争犯罪人と野次られる、からかわれる、罵られる、下校途中で石をぶつけられる、学用品を奪われて道路にばらまかれる、という目に遭わされた。だから、私も例に洩れず、登校拒否症に陥った。
 私の家は、あちらとは全く縁戚関係はないのだが、当時の地方の子供たちはそんなことに頓着するはずはない(ただし、いい担任の先生に恵まれてからは、そういう理不尽なことはなくなった。学校でのいじめは、担任教師が厳然たる態度を示すかどうかで、大きく変わるものである)。

 それに加えて具合の悪いことに、この名字に独特の感情を持つ世代は、私と一緒に齢を重ねて行くわけである。そのため、学生時代全てを通じて、私が自己紹介すると、必ずといっていいほどクラスに笑い声が起こるのだった。
 それはずっと続いた。だから私は、この齢になってさえ、自分の名字を声に出して名乗るのは、今でも何となくイヤなのである・・・・。

 余談は措くとして、さっきの映画は、そのアドルフ事件を発端として、まるでドミノ倒しの如くとんでもない方向に拡がって行くのだが、一種のテーブル・バトルのような論戦の連続がこの映画のポイントだろう。名前を当てっこし合う場面で、「ドナルド、では?」という話が出たとたん、この時だけ登場人物たちが顔を見合わせ、異様に長い間ゲラゲラと笑い転げるくだりが、妙に皮肉っぽかった。
 それにしてもドイツ人というのは、本当に理屈っぽくて、議論好きですなあ。

 セテラ・インターナショナルの配給で、6日から公開されている。上映時間約90分。
  この予告編、ご覧ありたし。特にワグネリアンには受けそう。
  http://www.cetera.co.jp/adolf/

2020・6・13(土)山形交響楽団 無観客演奏ライヴ配信

     山形テルサホール  7時

 山形交響楽団は3月定期(14日)をも無観客で生中継ライヴ配信していたそうだが、私はその情報を知らなかったので、後日アーカイヴ映像で視たにとどまった。
 今回は事前に山響のサイトで生中継があると知り得たおかげで、じっくりと拝見させていただいた次第。

 しかし、折角こんないい企画を実施するなら、山響ファン相手だけでなく、もっと日本全国のオーケストラ・ファンに大々的なPRをして、日フィルや東響や京響や大フィル以外にも━━東北のオケもこのように頑張っているのだぞということを知らしめればいいのにと思うのだが・・・・。

 この日のネット配信のための非公開ライヴのプログラムは、当初の定期で予定されていたものからは変更され、第1部は管・打楽器で、ジョン・ウィリアムズの「(ロサンゼルス)・オリンピック・ファンファーレ」、ブルックナーの「正しき者の唇は知恵を語る」、H・リンドバーガー編の「セルからモースへの結婚行進曲」と「悪魔のギャロップ」、R・シュトラウスの「管楽器のためのセレナード」、第2部は弦楽器でチャイコフスキーの「弦楽セレナード」とシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」というものになっていた。

 指揮は常任指揮者の阪哲朗。ただし「アンダンテ・フェスティーヴォ」のみは創立名誉指揮者の村川千秋が振った━━私としては2009年11月22日の記念演奏会以来、久しぶりに村川氏の懐かしい姿を見たわけだが、87歳の高齢ながら、驚くほど矍鑠たる指揮で、しかも得意のシベリウスを聴かせてくれたのは嬉しかった。

 プレトーク等にはマエストロ阪哲朗と、恒例の如くオケの西濱秀樹専務理事が登場して切り回す。
 ステージには山形名産のバラの花が綺麗に飾られ、休憩時間にも山形の名所等の映像がたくさん紹介されるというアイディアは、いかにも地方のオーケストラの配信らしくて、素晴らしい。「食と温泉の国のオーケストラ」と自ら名乗るヤマキョウだけのことはある(だからこそ全国的にPRしての展開ならそれが更に生きて来るのだ)。

 配信は先頃大阪フィルや京響の生中継を担当したライブストリーミングサービスと同じ「CURTAIN CALL」で、映像は綺麗だ。但し惜しむらくは、先日の京響の際(3月28日)と同じく、会場でのトーク部分の音声のバランスが甚だよろしくない。事前のマイク・テストくらいはちゃんとやっておいてもらいたいものだ。
 それと、案内イメージ(?)役の女性は、変に素人ファンぶった、作為的にのろのろした甘い口調(そのくせゲストを紹介する時には突然甲高く張り切った早口になるのだから不自然極まりない)で喋ったりせずに、もっと平均して明晰な口調で話した方が、番組が引き締まるはず。

 因みにこの山響のライヴ配信第2弾は6月21日(日)午後3時からも行なわれるそうで、その時にはまた阪・村川両氏が分担して指揮を執る予定と発表されている。

2020・6・12(金)東京都響の「コロナ影響下の公演再開に備えた試演」

      東京文化会館大ホール  1時45分

 東京都交響楽団が東京文化会館との協力で行なった「新型コロナウイルス感染症影響下における公演再開に備えた試演」の今日は2日目。
 オーケストラおよび声楽の演奏を行ない、エアロゾル、飛沫等の実際の問題に関し専門家の立会いのもと、実験と測定を行うという興味深い試みだった。

 最初に金管楽器のアンサンブルだけでデュカスの「ラ・ペリ」の「ファンファーレ」、次に木管のアンサンブルでブラームスの「第1交響曲」の第4楽章の主題、次にオーケストラでモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲と「ジュピター交響曲」の第1楽章、最後に谷原めぐみと妻屋秀和がそれぞれ協演してヴェルディの「椿姫」の「花より花へ」の後半とモーツァルトの「フィガロの結婚」からの「もう飛ぶまいぞこの蝶々」━━といった曲目を演奏。

 オペラの歌とオーケストラをナマで聴くのも、随分久しぶりだという気がする。開放的で、いいものだ。それに、空間たっぷりに響くモーツァルトのオペラのオーケストラの、何とハーモニーの美しいこと!
 それはともかく、このうち、管のアンサンブルでは奏者間の距離などを含めた演奏のテストとエアロゾルの実験が、また最後の声楽では当然ながら飛沫のテストなどが行なわれた。指揮は音楽監督・大野和士。オケの作品では、久しぶりのステージ上の演奏の練習が狙いだったような雰囲気も感じられたが・・・・。

 実験の結果は、いずれ分析の上、(どういう形でかはともかく)まとめて公表されるとのことである。ステージの上からは、金管も木管も危惧されたほど飛沫の問題はなさそうだとか、従って「弦の人たち」はマスクをしなくてもいい(したければしていてもいい)だろうとか、声楽はやはり「言葉」と「発音」によって飛沫の度合いが━━とかいう「専門家」の声が漏れ聞こえて来たけれども、なんせ遥か彼方で耳に挟んだ言葉とあって曖昧甚だしきがゆえ、迂闊に報告するのは慎みたい。

 いずれにせよそれらは、今後の「ウィズ・コロナ」の時代のオーケストラ活動やオペラ・リサイタル活動に大きな影響を与えることばかりだ。結果発表が大いに注目されるところではある。

2020・6・10(水)広上淳一指揮日本フィル(非公開演奏、配信用)

       サントリーホール  2時

 日本フィルが広上淳一を客演指揮に迎え、無観客での演奏をネットで生中継配信。
 プログラムは、グリーグの「ホルベアの時代」前奏曲、エルガーの「愛の挨拶」、ドヴォルジャークの「ユモレスク」、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」、最後にシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。
 今回は弦楽器21名からなる編成のオーケストラで、コンサートマスターは田野倉雅秋。奏者たちも互いに1・5m~2mの間隔を置いての舞台配置。進行役は高坂はる香が務めていた。私はホールの現場で聴いた。

 これは、日本フィルが「とっておきアフタヌーン」シリーズの一環として予定していた公演が中止に追い込まれたため、その代替策としてサントリーホールと協力して実施した、無観客によるネット生中継のための企画であった。指揮も、当初予定されていた沖澤のどかがドイツから帰国できなくなったので、ベテランの広上が登場した、ということだそうだ。プログラムもオーケストラ編成も、大幅に変更されている。

 日本フィルがステージで演奏するのは2月19日以来ほぼ4か月ぶりとのこと。広上もステージで指揮するのは3月末の京都市響定期以来2か月半ぶりといい、またサントリーホールもほぼ2か月間休館状態にあった。何もかもが「久しぶり」ということになる。
 だが、マエストロ広上はじめ楽団関係者たちは、かくも長いブランクを強いられたことにより、むしろステージで演奏できることがいかに素晴らしいことであるかを改めて痛感し、作曲家や音楽に対する感謝と謙虚さの念をいっそう強く持つに至った、という意味のことを語っていた。もっともなことだと思う。
 そして日本フィルは、今日の企画を、公開演奏会再開への確実な第1歩としている。

 今回は非公開ではあるものの、2階客席には僅かながら記者陣の入場も認められていたので、私も取材として現場に立ち会うことができた。従って私も、3月21日に東響の演奏会を聴いて以来、ナマのオーケストラの音を聴くのはほぼ3か月ぶりになるわけである。この長いブランクが、ナマ演奏への憧れをいよいよ強く掻き立てる結果を生んだことはいうまでもない。

 久しぶりにナマで聴いた弦の音の何と美しいこと。それがサントリーホールのふくよかなアコースティックと相まって夢のような気分に誘ってくれる。
 ふだんならどうということもなく聞き流してしまうであろう「ユモレスク」が、何とまあ懐かしい音楽に聞こえたことか、そして好きな「アンダンテ・フェスティーヴォ」が何と心に強く染み入って来たことか。
 眼前で今この瞬間に生れて来るナマの音楽の生命力の素晴らしさはやはりかけがえのないものだ。この想いを一日も早く、大勢の愛好家たちとホールで共有したいものである。

 オンラインでの生中継に関しては、ご覧になった人も多いだろう。私は客席にいたため、それを視ていないが、多くのコメントが寄せられていたそうだ。
 感動を共有できるのはやはり同時性=生中継が一番だと私は思う。ただしオン・デマンドとしても、今月25日の深夜までは日本フィルのサイトを通して視ることができるはず。
 それらを有料にしたのは、寄付を募るためでもあるという。演奏会をやらなければ収入の道とてない自主運営のオーケストラが頼る縁として、それは当然の方法だろう。

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