2020-03

2020・3・28(土)広上淳一指揮京響のライヴ・ストリーミング

     京都コンサートホール  2時30分

 新型コロナウィルス感染数が急激に増加し始めた東京では、大ホールにおけるコンサートやオペラはほとんど全部が中止されている。
 私が期待していた今日午後の鈴木優人と東京響の「マタイ受難曲」も延期となっていたが、もっともこれは合唱団の問題が大きかったからだと聞く━━岐阜で発生した「合唱での感染」は、合唱をやっている人たちに非常な衝撃を与えているようだ。4月に大規模な合唱曲をプログラムに組んでいた某オーケストラの定期公演にも変更を生じさせたという情報も入って来たほどである。

 そこで、外出自粛の件もあったことだし、今日は自宅のパソコンの前で京都市交響楽団の非公開演奏によるネットのライヴ・ストリーミングを視聴させてもらうことにする。
 指揮は常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザー(4月からは常任指揮者兼芸術顧問)の広上淳一で、プログラムは、シューベルトの「交響曲第5番」とマーラーの「交響曲第4番」、アンコールはシューベルトの「ロザムンデ」間奏曲。マーラーでのソプラノ・ソロは森谷真理。

 完璧な収録用セッティングではないと思われるバランスのマイクを通して聴く演奏だから、厳密なことは言えないけれども、広上のもとで西日本随一の、いや国内でもベストのグループに入る存在となっている京響の演奏の見事さは、充分に堪能することができたと思う。特にシューベルトの2つの作品における弦の瑞々しい表情が印象に残る。このプログラム、ナマで聴きたかった。

 ただ、これは演奏者の責任では全くないが、音が映像とほんの僅かずれて聞こえて来ることが気になった━━それがインターネット固有の問題なのかどうかは、私には判らない。
 そしてもうひとつ、マーラーの第4楽章で、ソプラノのソロの声を拾うべきブースターマイクが立てられていなかったため、森谷真理の声が直接音で捉えられず、非常に遠く聞こえてしまい、折角のいい演奏が肝心の中継の段階で滅茶滅茶にされてしまう結果を招いたのは、かえすがえすも残念なことであった。
 後者は、収録の基本を心得ていない技術スタッフの、取り返しのつかぬ大失態である。放送局の生中継だったら、ディレクターとエンジニアのクビが飛ぶことは間違いない。

 また、マーラーが終ったあとでいろいろあった舞台上でのゲストのスピーチも、ハンドマイクの音声が中継のラインに接続されていなかったらしく、ただ場内PAの音を拾うだけだったため、ワンワン響いて明確に聞き取りにくい結果を生んだことも、技術上の大失態である。

 それらの点を別とすれば、広上=京響の最新のライヴ演奏を全国に生中継で伝えた企画そのものは素晴らしく、成功を収めたといえよう。
 一方、話は違うが、関西フィルハーモニー管弦楽団も、31日に高関健の指揮でウェーバーの「クラリネット協奏曲第1番」(ソロはカルボナーレ、来日中止)と、ショスタコーヴィチの「第8交響曲」を演奏する定期を組んでいた。これも残念ながら(私も聴きに行くつもりでいた)公演中止となったが、聞くところによると、無観客生中継の案も検討されたらしい。しかし、楽員や事務局から「せっかくタコ8を演奏するなら、やはりお客の目の前でやりたい、機会を改めてやることにしようよ」という声が出て、ストリーミングは見送られたという話である。それぞれの考え方がある。

2020・3・25(水)上原彩子ピアノ・リサイタル

      東京オペラシティ コンサートホール  7時

 久しぶりに上原彩子のリサイタルを聴く。モーツァルトとチャイコフスキーを組み合わせたプログラムで、かなり力を入れた取り組みだったであろう。あいにくこういう世の中で、お客の入りは必ずしも多くなかったけれど、演奏も力のこもったものだった。

 プログラムは、第1部がモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」に始まり、チャイコフスキーの「主題と変奏Op.19-6」および「四季」からの「ひばりの歌」と「舟歌」、モーツァルトの「ソナタK.332」。第2部がモーツァルトの「ソナタK.282」とチャイコフスキーの「グランド・ソナタ」。

 第1部では、チャイコフスキーの「変奏」のあとで客席の一部から拍手が起こり、第2部でもモーツァルトのあとで拍手が起こったが、彼女の真の狙いは第1部でも第2部でもそれぞれ切れ目なしに演奏するつもりではなかったのかと思うのだが━━拍手の都度立ち上がって答礼していたところからすると、真偽のほどは判らないけれど。

 しかし、「この2人の作曲家の違いを明確にする」(プログラム冊子での彼女のコメント)にせよ、私が感じたような「チャイコフスキーのモーツァルトに対する愛情と畏敬の念が浮き彫りにされる」にせよ、これらは各々切れ目なしに演奏された方が、いっそう効果的になったのではないかと思うのだが━━拍手の雰囲気からすると、お客さんの大多数もそう感じていたのではないだろうか。

 ともあれ、「キラキラ星」からチャイコフスキーに移るところなど、今回のように続けて演奏された場合、まるでいつどこで2人の作曲家が入れ替わったのか判らないくらいの近接性が証明されたようで、大いに面白かった。今更言うまでもないが、チャイコフスキーが「スペードの女王」の夜会の場にモーツァルト風の音楽を取り入れたり、また「モーツァルティアーナ」という曲を作曲したり、如何にこの作曲家を愛していたかは周知のことである。今日のプログラムは、それを改めて証明するに絶好のものだった。

 逆に第2部では、2つの個性の際立った違いが浮き彫りにされて、これはこれで面白い。もし「K.282」から切れ目なしに「グランド・ソナタ」に飛び込んでいたら、凄まじい衝撃を聴き手に与えたかもしれなかった。
 しかも彼女の演奏がこの第2部に入ると「乘って」来たように感じられたし。一般的なイメージなら、モーツァルトの明るさとチャイコフスキーの憂愁との対比━━となるところだろうが、今日の演奏ではモーツァルトの落ち着きに対してチャイコフスキーのそれは愁眉を開いたようなイメージを感じさせて、これまた興味深かった。
 それにしてもこの「K.282」での軽やかだが思索的な表情を滲ませた演奏、「グランド・ソナタ」の豪壮な構築の演奏は見事で、この2曲で彼女の本領が発揮されたと言っていいだろう。

 アンコールではチャイコフスキーの歌曲「なぜ Op.6-5」(彼女自身のピアノ編曲版)、モーツァルトの「トルコ行進曲付きソナタ」の第1楽章(第3楽章ではないところがニクイ)、チャイコフスキーの「悲歌Op.72-14」の3曲。これらも良かった。
 終演は9時半頃になった。

2020・3・21(土)東京・春・音楽祭 鈴木大介のシューベルト

      東京文化会館小ホール  6時

 新宿からクルマで上野へ回る。首都高の環状線内回りは空いていて、制限速度で走っても20分とはかからなかったが、上野駅南側の中央通りから公園口(つまり東京文化会館前)に通じる道路が昨日から通り抜け不可に変更され、公園口前のロータリーでUターンさせられて元の交差点に戻らされるというシステムになり、しかもその旨の明確な表示が何もないため、変更になったことを知らないたくさんのクルマが次々に袋小路に迷い込んで空前の大渋滞、坂下の駐車場に入るまでに実に30分を要した。
 それにしても、変更を知らずに入り込んだクルマこそ気の毒の極みだ。中央通りへ出る交差点の青信号は僅か15秒以下。戻るまでにはまず1時間はかかるだろう。周知徹底を判り易い方法で行なわぬ道路行政の不親切さが招いた弊害である。

 さて、演奏会。正式名称は「シューベルトの室内楽Ⅰ~鈴木大介(ギター)と仲間たち」。彼を中心に豊嶋泰嗣(vn)、上村昇(vc)、梶川真歩(fl)、アリスター・シェルトン・スミス(Br)が集い、シューベルトの作品を演奏した。

 プログラムは、ヴァイオリンとギターによる「ソナチネ ニ長調D384」(鈴木大介編)、チェロとギターによる「アルペジョーネ・ソナタ」(同)、フルートと弦とギターによる「ギター四重奏曲D96」、声楽とギターによる歌曲集、ギターのみによる歌曲集(ヨーゼフ・カスパル・メルツ編)といったように、すこぶる多彩である。

 ギターと他のソロ楽器との音色のバランスが難しい所為なのか、あるいは協演したソリストの一部(誰とは申しませんが)の技術の問題なのか、聴いていて何となく座り心地の悪い演奏もあったけれど、最後の「ギター四重奏曲」などは滅多にナマで聴けない曲だし、しかもフルートが入ったことにより、ステージの雰囲気も演奏もぱっと明るくなった感があって、楽しめた━━ただし曲がチト長く、特に終楽章は変奏の一つ一つに連続性が感じられず、少々だれた感もあったが。
 15分の休憩2回を含め、終演は8時50分になった。

 昨日の旧東京音楽学校奏楽堂での演奏会でもそうだったが、開演前の会場入り口では体表温度検知カメラも設定され、感染予防にいろいろな手が尽くされている。客の方も、聴きに行ったからには、互いに協力し合う義務がある。私もマスク着用、ロビーに置いてあるアルコールで念入りに手洗い。

2020・3・21(土)飯森範親指揮東京交響楽団

     東京オペラシティ コンサートホール  2時

 在京オーケストラの中では唯一、いくつかの自主公演を再開している東京交響楽団。今日のこれは「オペラシティシリーズ」だが、28日のサントリーホールでの定期公演も公開で実施すると予告している(※)。
 ロビーには、こまごまとした感染予防のためのブリーフ。ホール側も事前に会場内を除染、準備怠りない様子。聴衆の入りは目測したところ7割程度か。

 今日のプログラムは、第1部にラヴェルの「ラ・ヴァルス」と、ファジル・サイの新作「11月の夜想曲~チェロと管弦楽のために」の初演(チェロのソロは新倉瞳)。第2部はラヴェルの作品のみで、「道化師の朝の歌」「スペイン狂詩曲」「ボレロ」。

 トルコ出身のファジル・サイ(ファズール・サイというのが正しいのだとかトルコの人から聞いた)のこの新作は、新倉瞳の委嘱によるものという。
 彼女の明晰で切れの良い、表情豊かなソロで初めて聴いたこの「11月の夜想曲」が、非常に感情の動きの激しい、何か心の奥底に秘めた焦燥感のようなものを噴出させ、訴える音楽のように感じられてしまったのは、たまたま聴く側が疫病蔓延による不穏な世相に神経を苛立たされているがゆえだろうか。もう一度じっくり聴き返してみたいところである。

 ラヴェル3曲は、飯森範親の解釈によるものだろうが、打楽器の強打がいつにも増して物凄く、恰も溜まった鬱憤を一度に吐き出すかのような演奏になった。ラヴェルの作品にしてはあまりに荒々しいが、この御時世、一種「痛快」かもしれない。「ボレロ」の最後は、コロナなど吹き飛ばせといった勢いの全管弦楽のフォルティッシモ、そしてひときわ高いトランペットの歓呼。
 客席は、マスクをしているとブラヴォーも叫びにくいらしく、拍手のみ。

※24日午後、延期(8月13日 於ミューザ川崎)と発表された。

2020・3・20(金)東京・春・音楽祭 ベートーヴェンのピアノ三重奏曲Ⅱ

       旧東京音楽学校奏楽堂  6時

 昨日の続き、第2回。「第2番」「第4番《街の歌》」「第6番」および「カカドゥ変奏曲」がプログラムに組まれた。

 昨日と同様、良かったことに変わりはないが、欲を言えば、ピアノが極度に几帳面で、アンサンブルを「合わせる」ことのみに徹しているのが不満を残す。ベートーヴェンの作品の場合は、ピアノがもっとスケールも大きく、闊達に音楽全体を仕切って行く役割を果たしてくれないと、面白味が出ない。
 例えば今日の「2番」や「カカドゥ変奏曲」でも、特に緩徐個所でピアノが主導権を握る時に、その演奏に表情が不足して単調になり、音楽に「色」が感じられなくなってしまうのである。
 ただ、プログラムの最後の曲の演奏が見事に盛り上がるというのは、昨日と同様だ。今日の「第6番」も、特に終盤での猛烈な追い込みが功を奏して、聴き応え充分の裡に締め括られていた。

 昨日よりもかなり客が入っている。
 そういえば、昨日も、先頃のシフの時にもそうだったが、不思議なほど客席から咳が全く聞こえなかった。演奏中はもちろん、楽章間でも同様である。うっかり咳をすると周囲から疑われるからという警戒心ゆえだろう。
 ふだん、あの楽章間で堰を切ったようにゴホンゴホンと始まる咳も、そのつもりになればしないでも済むものなのだ、ということが図らずも証明されたようである。ただその代わり、場内ピリピリと押し黙って、静かすぎて少々堅苦しい雰囲気にはなっているが。

2020・3・19(木)東京・春・音楽祭 ベートーヴェンのピアノ三重奏曲Ⅰ

      旧東京音楽学校奏楽堂  6時30分

 「新型コロナ」のため、「東京・春・音楽祭」でも大看板のムーティ指揮「マクベス」、ヤノフスキ指揮「トリスタンとイゾルデ」をはじめ、「ミサ・ソレムニス」「プッチーニ3部作」、その他外来アーティスト絡みの公演の大部分、そして博物館・美術館で開催する予定だった演奏会の大半も公演中止に追い込まれるという大きな打撃を蒙っているが、それでも国内アーティストたちは頑張っていくつか演奏会を続けている。
 主催者も会場も、感染予防のための事前除菌作業など、考えられる限りの必要な手段を講じた上での開催決断だ。

 公式プログラム冊子だけは、例年と同じように分厚く立派に作られている。それを手に取ると一種の寂しさに襲われてしまうが、それでもとにかく実施できた演奏会があるのを有難いと思わなくてはなるまい。こういう時だからこそアーティストたちも、それぞれの一生をかけた仕事を果たすべく演奏に臨むだろう。それゆえ、私たちも真剣にそれを受容すべきであろうと思う。

 今日開催されたのは、Trio Accord━━白井圭(vn)、門脇大樹(vc)、津田裕也(pf)による「ベートーヴェン ピアノ三重奏曲全曲演奏会」の第1回。
 「変ホ長調WoO.38」、「第1番変ホ長調」、「アレグレット変ロ長調WoO.39」、「第5番ニ長調《幽霊》」の4曲が演奏された。
 出だしこそわずかに演奏に硬さが感じられたが、進むにしたがって密度を増し、特に最後の「第5番」などは稀に聴くほど緊迫感のある見事な演奏に高められて行った。白井圭のリーダーシップの良さも印象に残る。ベートーヴェンの「ピアノ三重奏曲」がこれほど心に染み入って来た演奏会も久しぶりのような気がする。

2020・3・14(土)3つのライヴ・ストリーミング

 「東京・春・音楽祭」でも3月の多くの演奏会を中止したが、今日の午後の二つの演奏会は、非公開で行ない、それをネット配信すると発表していた。
 一つは3時からの旧東京音楽学校奏楽堂における林美智子・与儀巧・河原忠之による「にほんの歌を集めて」、もう一つは6時からの東京文化会館小ホールにおける「The Ninth Wave-Ode to Nature 耳で聴き、目で視る『ベートーヴェン』」という演奏会である。

 いずれも興味深く視せていただいた━━いや、歌曲演奏会の方は支障なく視聴できたものの、「ベートーヴェン」の方は受信状態が悪かったのか、あるいは他の原因によるトラブルだったのか、音声がしばしば途切れるわ、無音になるわ、そのうち映像まで消えるわ、全く駄目で、2台のパソコンで比較受信しつつ1時間ほど頑張ってみたが、ついに諦めた。
 この「ベートーヴェン」は彼の音楽を基に安田芙充央が作曲し、ノイズ・アートやパフォーマンスや映像などを組合せた、部分的に聴いてさえすこぶる面白い演奏会だったのに、残念至極だった。

 そう言えば、私が異状なく受信できていたリサイタルの方でも、「前半で音が切れて聴けなかったという人がいらっしゃるそうなので、前半のみもう一度ストリーミングいたします」とかいうことを演奏後に林さんが言っていたところからすると、やはり各々のネット環境の問題なのか。キカイに弱い私には原因は全く分からない。ネットによる中継は新時代のメディアの華だと思ったのだが、未だもう少し時間が必要なのだろうか。

 夜8時からのKAJIMOTOのオーガナイズによる「アンドラーシュ・シフ」の方は、YouTubeを使っているためなのか、全く支障もなく、いい音と映像で入って来た。塩川悠子さんをゲストに(といっても通訳だけにとどまったが)シフが語り、ピアノを弾く。彼の温かい雰囲気の人柄が番組全体に満ち溢れ、バッハやバルトークやブラームスやベートーヴェン(4大B!)の作品の演奏のヒューマンな滋味が私たちを魅了した。もう少したくさん弾いて欲しかったな、とも思う。

 ネットでのストリーミング、俄然増えて来たようだ。大阪フィルも、19日に定期の非公開演奏を配信すると予告している。

2020・3・12(木)アンドラーシュ・シフ・リサイタル

      東京オペラシティ コンサートホール  7時

 どの団体のサイトにも公演中止、中止の字が並ぶ。日本だけではない、スカラ座も4月初頭までの全公演が中止、METも今月いっぱい中止、パリ・オペラ座も4月半ばまでの公演が中止━━そのような惨憺たる状況の中、KAJIMOTOが敢えて予定通り実施したアンドラーシュ・シフのピアノ・リサイタルは、ナマのコンサートがいかに生命感に溢れて尊いものであるかを、われわれに改めて教えてくれるものとなった。

 思えば第2次大戦後、それも1950年代の半ば頃まで、良いクラシックのコンサートやオペラに飢えていた人々が会場に詰め掛け、立ち見まで出るほどだったことを私も少しだが記憶している。今日の状況はそれとは全く異なるにしても、とにかくナマの演奏会の「有難味」を今一度認識させられるきっかけとなったことは事実かもしれない。

 この公演も、主催者側は漫然と開催したのではなく、専門家の力を借り、このホールの空調換気の能力を確認し、ホール内のすべての場所を除菌するなど、万全の処置をした上で客入れした由。開演前に場内スピーカーを通して梶本社長が挨拶すると、客席から拍手が湧いた。続いてステージに置かれたスクリーンを通してシフもスピーチ、これも拍手を浴びた。

 もっとも、制約も少なからずあり、例えば「接触」を避けるためにプログラム冊子は配布せず、チケットもぎりも行なわず、カフェ・バーは営業せず(つまり水も飲めない)、ロビーでの客同士の歓談も「なるべく御遠慮下さい」、もちろん手の消毒とマスクの推奨━━等々、というわけだが、シフの演奏を聴きに来た人々には、そのくらいは大して気にならぬことだろう。

 今日のシフのリサイタルのプログラムは、メンデルスゾーンの「スコットランド・ソナタ」、ベートーヴェンの「ソナタ《テレーゼ》」、ブラームスの「8つの小品」と「7つの幻想曲」、バッハの「イギリス組曲第6番」というものだったが、しかしそのあとにアンコールをやることやること、バッハの「イタリア協奏曲」、ベートーヴェンの「葬送ソナタ」第1楽章、メンデルスゾーンの「甘き思い出」と「紡ぎ歌」、ブラームスの「インテルメッツォ」op.118-2、シューベルトの「ハンガリー風のメロディ」と続き、終演はついに9時40分頃になった。

 メンデルスゾーンの温かさ、ベートーヴェンの豪快なユーモア、ブラームスの滋味・・・・さしあたりこんな常套的な形容句しか出て来ないのをお許し願いたいが、とにかくそれらの多彩な性格を備えた音楽が、最後に厳しく巨大な、しかもしなやかなバッハの組曲に流れ込んで行くといった感の演奏の見事さには、心を打たれずにはいられなかった。このバッハこそは、今夜の圧巻、白眉だったろうと思う。
 ただその代わり、たくさんの━━古くはワイセンベルク、近年ではキーシンの如きか━━アンコールには些か疲労を感じてしまったのだが、しかし満員に近いお客さんたちは熱狂していた。

2020・3・8(日)びわ湖ホール「神々の黄昏」ライブストリーム 第2日
東京交響楽団 Live from Muza!

 2年前か3年前までだったら、無理しても現場へ取材に行っただろう。だが今回は、せめてストリーミングを全部観て、演奏者たちとスタッフの熱意と努力にありったけの讃辞を贈ることで埋め合わせをするのが精いっぱいというところだ。

 今日はダブルキャストの第2日。エリン・ケイヴス(ジークフリート)、池田香織(ブリュンヒルデ)、高田智宏(グンター)、斉木健詞(ハーゲン)、森谷真理(グートルーネ)、大山大輔(アルベリヒ)、中島郁子(ワルトラウテ)、砂川涼子・向野由美子・松浦麗(ラインの乙女)、八木寿子・斉藤純子・田崎尚美(ノルン)という顔ぶれ。

 池田香織が何といっても素晴らしい。強靭でスケール感の豊かな声と表現力は、以前のイゾルデ役に匹敵するだろう。
 ケイヴスは、声と雰囲気はあるのだが、昨日のフランツ同様、たとえば第2幕後半での「はしゃぐジークフリート」を表す細かく跳躍する音符をあまり正確に歌わずに勢いよく飛ばして行くといった、ややいい加減なところがある。

 これに比べると池田香織をはじめ、大多数の日本人歌手たちはやはり正確そのもの、きちんと楽譜通りに歌う。この演奏が端整な感を与えていたとすれば、それは日本人歌手たちのこのような歌唱スタイルのせいもあるのではなかろうか。
 高田智宏も斉木健詞も、正確で立派な異父兄弟といった歌いぶりだし、大山大輔も魔人アルベリヒというよりは一本気な父親という雰囲気の歌唱。

 森谷真理は進境目覚ましいが、ワーグナーものの場合には歌い方を少しものものしくするのか、しかし第2幕最初でジークフリートにブリュンヒルデとの出来事について心配そうに念押しするあたりの歌唱表現は巧かったし、第3幕で兄がハーゲンに殺される場面と、死せるジークフリートが腕を高々と上げてハーゲンを拒否するさまに動転する場面の演技などは、心理的表現にも富み、劇的迫力も充分であった。
 砂川・向野・松浦の「ラインの乙女たち」も、ジークフリートを揶揄う時と、真面目に警告する時との表情の違いを見事に歌い分けていた。

 沼尻と京響も、昨日よりは呼吸が合い、余裕も出て来たのだろう、例えば第2幕後半でブリュンヒルデが戸惑いと苦悩の感情に揺れるあたりのテンポの変化など、昨日より細かいニュアンスに満ちていたように感じられたのだが。

 とにかく、びわ湖ホールは、あらゆる危機的状況を克服し、みんな見事に「神々の黄昏」を仕上げた。日本人演奏家とスタッフによる「指環」4部作の舞台上演は、これまでに東京二期会が1回、新国立劇場が2回完成させたに過ぎなかったのだから、これは何処から見ても偉業である。

 今日の視聴者数の表示は、最大で12,215だったか? 幕切れでライン河があふれて来るあたりから何故か数字が急激に上昇し、「救済の動機」が流れはじめて未だ曲が終らぬうちからまた急激に十数件ばかり減少して行ったのは、もしや舞台関係スタッフのアクセスだったか?

 なお、午後2時からは別のストリームで、大友直人が指揮する東京交響楽団の演奏が、ミューザ川崎シンフォニーホールから生中継されていた。これも「無観客」演奏会である。ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」(ソロは黒沼香恋)、サンサーンスの「交響曲第3番」というプログラムだ。
 とりあえず仕事として、別のパソコンを使って視聴したが、こちらも素晴らしい熱演であった。このストリーミングでは視聴者からの膨大なコメントが出る(消すこともできる)が、びわ湖ホールと掛け持ちで・・・・という、私と同じ穴のムジナも少なからずいるのが判って可笑しかった。

 なおこちらの視聴者数(らしきもの)は、ただ増加して行くだけで減ることはなかったので、「延べ人数」ということなのか。最後には5万強と表示されていた数字はやはり驚異的なもので、ネットでの無料配信がいかに強力なものであるかが、如実に証明されているだろう。コメントには感動の言葉から「今度必ず聴きに行く」というものまで出ていた。これはクラシック・ファンを増やすための有効な手段である。

2020・3・7(土)びわ湖ホール「神々の黄昏」ライブストリーミング

 新型コロナウィルスの所為で「神々の黄昏」の公演中止を余儀なくされたびわ湖ホールは、予想通りこれを無観客の非公開上演に切り替え、you tubeで生中継配信する作戦に出た。午後1時から6時半過ぎまで、途中に30分ずつの休憩を取りながら上演するという、公開上演と同一の形を採っている。

 私もいくつかの事前講座を担当した関係もあって、この非公開上演を観に行くつもりでいたのだが、自分のトシを考えて、とりあえずは自粛してしまった次第だ。
 だが、パソコンを見ながら、こういう世の中の状況にもかかわらず、いまあそこでは指揮者が、オケが、歌手たちが、多くのスタッフが、みんな一所懸命に「神々の黄昏」を上演しているんだな、と思うと、胸の熱くなるのを抑えきれぬ。

 誰も観ていない、聴いていないのだったら、やる方も張り合いがないだろうが、ストリームが始まる前には約1500人が「待機中」、開始された時にはほぼ9700人が「視聴中」で、 やがてそれが1万人を超え、全曲にわたり11,600人あたりをキープしていたとなれば━━この視聴者数が途中で増えても減っても刻々と表示されるのは何となく面白いが━━しかも「ブリュンヒルデの自己犠牲」の後半あたりから数字は急激に増え、最高11,950前後に達して行ったのである。
 たとえ公開で上演したとしても観客は2日間で3600人止まりであることを思えば、それよりは多くのワグネリアンたちの目に触れたことになり、手応えも上々ということになるだろう。

 このストリーム、概して音響のバランスもよく、しかもあの暗い舞台が予想外に細部まで鮮明に写されていたのには感心した。
 固定カメラなのと、字幕がない━━これらは予め予告されていた━━のは残念だが、こういう点を改善して行けば、インターネットを使ってのこの手法は、新しいメディア展開の代表的な存在になるであろうことは疑いない。これからは平時においても、もっと活用されるべきだろう。
 何しろ今日では、放送局は頼みにならぬ。それにネットは、全国で視聴できるという強みがある。

 なお今回、原稿書きなどの都合もあって、2台のパソコンを交互に使っていたのだが、ラインで受信していたパソコンに比べ、Wifiで受信していたパソコンの方は、映像も音も20秒ばかり遅れて来る、という不思議な現象に面食らった。キカイに素人の私にはさっぱり解らないことが多い。

 演奏は、沼尻竜典指揮の京都市交響楽団。びわ湖ホール声楽アンサンブル、新国立劇場合唱団。
 歌手陣はクリスティアン・フランツ(ジークフリート)、ステファニー・ミュター(ブリュンヒルデ)、石野繁生(グンター)、妻屋秀和(ハーゲン)、志村文彦(アルベリヒ)、安藤赴美子(グートルーネ)、谷口睦美(ヴァルトラウテ)、𠮷川日奈子・杉山由紀・小林紗季子(ラインの乙女)、竹本節子・金子美香・高橋絵里(ノルン)。
 フランツがどうも本調子ではなかったらしいのを除けば、本当にみんな見事だった。とりわけミュターの馬力は素晴らしく、安藤赴美子も清純な歌唱を聴かせた。京響の頑張りと好演は特筆すべきものだろう。
 就中これらをまとめて来た沼尻竜典の情熱と力量は、絶賛に値する。

 ミヒャエル・ハンぺの演出と、それに基づくヘニング・フォン・ギールケの舞台美術が、所謂旧いスタイルのものであることは、今更どうのこうの言っても仕方がない。
 「こういう演出をする人はもう他にいないから、今のうちにみんなに観てもらおう」との沼尻総監督の明確な意図で採用されたのだから、それはそれで悦んで受容することにしよう。なお「ジークフリートの葬送行進曲」で、葬列と、それから離れて折れた槍を手にさすらい行く失意のヴォータンの姿とをシルエットの映像で見せたアイディアは感動的であった━━特に終りの方の遠景となった場面が。

 映像も、以前の「さまよえるオランダ人」でも証明されたように、すこぶる精妙で、特に第3幕でのライン河と3人の乙女たちや、ヴォータンの使いの2羽の鴉の描き方など、悪くない。もっとも大詰のカタストローフの場面の映像は、やはりナマで観ないと、その真価は解らないだろうと思う。

 カーテンコールをも型通り行なって見せたのは、ストリームミングが手応えあったことへの満足感の表れか。少しおいて京響のメンバーも登場し、このへんから舞台の雰囲気は少し賑やかになった。最後は幕の向こう側で、お疲れ様の歓声と大拍手。よくやってくれた。

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