2020-02

2020・2・22(土)全国共同制作オペラ「ラ・トラヴィアータ」

     東京芸術劇場コンサートホール  2時

 ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」を白河文化交流館コミネス大ホール(2月9日)、金沢歌劇座(2月16日)、およびここ東京芸術劇場で上演するという企画。

 合唱団は地区それぞれで異なるが、オーケストラは金沢と白河がオーケストラ・アンサンブル金沢、東京が読売日本交響楽団━━という分担だった。指揮はヘンリク・シェーファー、演出と振付が矢内原美邦。
 歌手陣はエカテリーナ・バカノヴァ(ヴィオレッタ)、宮里直樹(アルフレード・ジェルモン)、三浦克次(ジョルジョ・ジェルモン)、三戸大久(ドゥフォール男爵)、古橋郷平(ガストーネ)、高橋洋介(ドゥビニー)、森山京子(アンニーナ)、醍醐園佳(フローラ)他。

 注目すべきは、矢内原美邦のきわめて個性的な、ユニークな試みの演出である。
 スマホとコスプレの時代の「トラヴィアータ」とでも言ったらいいか。連絡はスマホで取り合い、パーティでの関心事にはすべてスマホを向け━━2012年にミュンヘンでプレミエされたクリーゲンブルク演出の「神々の黄昏」でもこのテが使われていた━━、ヴィオレッタは処分財産リストをタブレットでジェルモンに見せるといった具合で、これにはニヤリとさせられる。

 衣装も極彩色でアクの強いものばかり。ダンスには多分主人公たちの心の動きを象徴するような性格が付されているのだろう。・・・・といったように、日本での「トラヴィアータ」の舞台としては、かなり思い切った大胆な試みを注入した舞台となっていた。

 群衆の騒々しいはしゃぎぶりや、しつこい疾走の反復(特に「プロヴァンスの海と陸」の場面━━これにはうんざりさせられた)など、いろいろ「うざい」ところはあったものの、とにかく「オペラ演出家」なら躊躇うであろう手法が大胆に臆面もなく(?)投入されていたことは、アウトジャンルの演出家を起用した意義は充分にあったと言えよう。
 「オリジナルを尊重する」とか、「手を加えず、あるがままに」などと、自己のアイディア不足をすり替えて尤もらしく理由づけて何にもしない演出家よりも、たとえ賛否両論起ころうとも独自のコンセプトを遠慮なく押し出して来る演出家の方がはるかに立派である。

 それに今回、第3幕をヴィオレッタの葬儀場面にし━━と解釈したが━━ジェルモン親子ら参列客とヴィオレッタとの幻想的対話として設定したことは、面白いアイディアであった。参列客たちが手に持っていたものは私の席からはよく判別できなかったが、スマホでもなく、十字架でもなく・・・・関係者に尋ねたら、「砂時計」だったそうな。ウィリー・デッカ―の演出の逆手を行った、ということか。
 最後にヴィオレッタが起き上がり、永遠の生を主張するのは、これはよく見られる手法だが。

 歌手陣の声は、ホールの特性のゆえもあって、(1人を除いて)猛烈によく響く。
 バカノヴァという人はロシア生まれで、非常に強靭な声を持ち、必ずしも洗練されているとは言えぬものの明快な歌唱で、意志の強いヴィオレッタを表現していた。三浦、宮里の父子コンビも強力な歌唱だ。
 合唱も含めてちょっと怒鳴り過ぎ、という印象もなくはなかったし、オーケストラもえらく怒号していたが、「ひ弱」で物静かな演奏よりはマシだろう。それにしてもこのシェーファーという人は、随分きっちりと振る人だ。

 字幕は、上段に英語、下段に日本語という方法。今回の日本語字幕は解りやすい。
 一言申し上げたいのは、プログラム冊子ですね。あの字のフォントの小ささと言ったらまァ、よほど目のいい人が作ったんでしょうな。無料配布では文句も言い難いけれど。

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

お知らせ

●2007年7月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年7月

Category

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」