2020-02

2020・2・15(土)細川俊夫:オペラ「松風」

     JMSアステールプラザ中ホール(能舞台) 2時

 細川俊夫の3番目のオペラ「松風」は、原作・観阿弥、改作・世阿弥、台本がハンナ・デュブゲンによるもので、2010年の作品である。2011年にモネ劇場で世界初演され、その7年後にやっと新国立劇場で日本初演(☞2018年2月18日)が行われている。

 それらはいずれもサシャ・ヴァルツが演出した抽象的で幻想的なダンスが中心の舞台だったが、今回は能舞台で演出されたことにより、作品が日本に「里帰り」したとも言えるだろう。
 演出は岩田達宗。松風を半田美和子、村雨を藤井美雪、旅の僧を初鹿野剛、須磨の浦人を山岸玲音が歌った。そして、川瀬賢太郎指揮の広島交響楽団が舞台の下手側に位置、寺沢希指揮のひろしまオペラルネッサンス合唱団が2階席に位置していた。

 松林を揺るがす風の音というのは、私も子供の時によく体験したものである。それは普通の風の時でも深みのある広大な感じを与えたが、いざ強風や嵐の時ともなれば、これはもう、恐怖感を呼び起こすくらいに物凄い音だった。

 その松の風が、そのまま女性の名前になった。となれば、そこに一種の超自然的なイメージが生まれて来るのも当然だろう。それはしかし、どろどろしたオカルト的なものではなく、どこかに「もののあはれ」を感じさせる美しさも含んでいるのだ。今回の能舞台による岩田達宗の演出は、そのあたりを実によく表していたような気がする。

 主役の姉妹、松風と村雨を歌い演じた半田美和子と藤井美雪の歌唱と演技は、「班女」の広島初演(☞2012年1月22日)の際にも驚嘆させられたものである。
 今回は演出の能のスタイルにこだわった所為か、あの時のような演劇的な凄味は感じられなかったが、松風が中納言・在原行平の狩衣を身に纏って錯乱に陥る場面では、能の「狂女物」としての様式に沿った「舞」の迫力は充分に味わえたように思う。
 特にその場面では、細川の音楽が極度に劇的に激しく盛り上がるため、聴き手はいっそう感覚を揺さぶられることになる。

 ラストシーンの「曙」で、夜が明けて旅の僧が我に返ると、塩屋も姉妹の姿も既に消え、ただ松を吹き抜ける風の音が残るのみであった━━という場面は、いかにも日本的な余韻を感じさせ、私は大好きだ(「隅田川」の幕切れにも「ただ茫々たる荒野が広がるだけだった」という設定がある)。
 ただし、そういう光景と状況は、このような能舞台だと、すべて観客の想像力に任せるしかなくなる。それだから良いのだ、という人もいるだろうし、そこがちょっと物足りない、という人もいるだろう。

 川瀬賢太郎の指揮と、広島響の演奏が、今回も見事だった。透明で、しかも鮮烈である。両者とも、細川俊夫の作品の演奏には慣れているし、この中劇場の能舞台での演奏にも要領を心得ているのだと思う。事実、楽屋で会ったマエストロ川瀬は、それを明言していた。
 客席で聴いていると、その響きはドライでリアルな感になり、幻想味は多少弱まるが、川瀬のオケの鳴らし方の巧さがそれをカバーしているだろう。

 なお、2階席に配置された合唱は、会場内にうまくエコーとなって響く時と、いかにも生々しく聞こえて夢幻的な味に不足する時とがある。が、これは聴く位置にもよるだろう。もうひとつ、スピーカーから流れる風の音、海の音などは、もう少し綺麗な響きにならないものか、という感も。

 オペラの上演そのものは、3時20分過ぎには終った。明日も公演があるので、今日は終演後の打ち上げなどは無い。アフタートークも4時には終わったので、楽屋に行っておめでとうを言い、少し雑談してから失礼する。
 5時6分広島駅始発の「のぞみ」で帰京。9時少し過ぎには自宅に着く。

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