2020-02

2020・2・8(土)飯森範親指揮いずみシンフォニエッタ大阪

       いずみホール  4時

 大阪のいずみホールの専属オーケストラ「いずみシンフォニエッタ大阪」(2000年創設、音楽監督・西村朗、常任指揮者・飯森範親)の第43回定期演奏会を日帰りで聴きに行く。

 今日のプログラムは、中村滋延の「善と悪の果てしなき闘い 第一章」の世界初演と、川島素晴編曲になるマーラーの交響曲「大地の歌」。後者での声楽ソロは望月哲也(テノール)と大西宇宙(バリトン)。
 コンサートマスターは、前者が小栗まち絵、後者が高木和弘。

 1曲目は物々しいタイトルだが、その題名を目にしただけで、大体どういう形式の作品か、すぐ想像はつくだろう。
 ところが作曲者はプレトークで、「善」と「悪」とは絶対的なものではなく、ある時は善が悪になり、他の時には悪が善になる━━まるで現代の世界におけるように━━のであって、しかもその闘いはどちらが勝つというものではない、と説明していた。

 そうなると、二つの主題が対立するがごとき単純な形式ではなく、もっと聴き手を惑わせる複雑な音楽と化す、ということになるだろう。なるほどそう言えば━━と感心して聴いていたわけだが、しかし現代音楽作品の初演をただ1回聴いただけであれこれ判断するのは早計なこと。出来得ればもう一度聴いてみたいものである。

 川島素晴が管弦楽のパートを小編成のオーケストラ版に編曲した「大地の歌」は、これはもう、絶賛に値するだろう。シェーンベルク編曲版よりよほどいいじゃないか、と終演後にはその話で盛り上がったほどである。
 つまり、濃厚で押しつけがましいような響きではなく、透明さを持った叙情的な音色が主流を占めており、したがって作品の性格も酒に溺れる頽廃的で厭世的な世界に偏るのではなく、より澄んだ詠嘆的な美の世界に近づいたもののように感じられたのだった━━日本的な「美」の「大地の歌」というか。もちろんこれは私の主観によるものだが。

 響きから言えば、テノールのソロがよく聞こえるようにオーケストラ・パートがつくられていたし、「テノール殺し」の悪名からこの曲を解放していたと言って間違いない。
 飯森範親の音の響かせ方も見事だったこと、そして「いずみシンフォニエッタ大阪」がまた実に上手く、いい音を出してくれたことが、この演奏を成功に導いたのも事実であったろう。

 望月哲也が一頃の不調を脱して伸びのいい歌唱を聴かせてくれたのは嬉しかった。大西宇宙の朗々たる声の歌唱も良かったが、それがゆえに、第6楽章など、多少健康的なニュアンスになったかな、という印象も否めまい。

 今日は字幕がついた。ただしこの字幕、字が小さいので、客席の最後列からは些か判読しかねることが多い。第5楽章は大阪弁で訳されていたのが話題になったが、まあそうかな、という感。
 全体にかなり砕けた訳文で、第1楽章の「生は暗く、死も暗い」も、今日は確か「人生は真っ暗、死んだところで・・・・」とか、なんかそんな訳文だったのではないかしら。こういうのは、関西のノリというのかな。

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