2020-01

2020・1・25(土)飯森範親指揮東京交響楽団

    サントリーホール  6時

 横浜から首都高速を飛ばして都心へ戻り、正指揮者・飯森範親が指揮する東京交響楽団の定期演奏会を聴く。

 第1部ではすさまじく意欲的なプログラムが組まれていた━━最初はヘルムート・ラッヘンマン(1935~)の「マルシュ・ファタール」という名の、大編成のオーケストラによる小品。
 これはまあ、ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」を、大がかりに、物々しく騒々しくした曲と思えばいいだろうか。終り近くでは指揮者がステージを離れて客席に座ってしまうのだが、オーケストラは同じ個所を堂々巡りするばかりとあって、再び指揮台に上って締め括るという余興(?)も織り込まれる。

 続いてゲオルク・ビュヒナーの戯曲を基にした作品が2曲━━ゴットフリート・フォン・アイネム(1918~96)の「ダントンの死」組曲と、ヴォルフガング・リーム(1952~)の「道、リュシール」という作品が続けて演奏されたが、この選曲は面白い。もっとも、後者が初演された時にも前者が一緒にプログラミングされていたという話だ(プログラム冊子掲載解説による)。

 「ダントンの死」はもはや古典的存在だが、滅多に演奏会では聴けないので、これは貴重な体験であった。冊子には日本初演と書いてあったが━━1950年代のN響の「フィルハーモニー」誌で何か見たような気もするのだが、あれは定期のプログラムの解説だったろうか、それとも単なる記事だったろうか? 

 いずれにせよしかし、音楽の面白さから言えば、圧倒的にリームの方だろう。ここではソプラノの角田祐子が協演し、フランス革命時に処刑された女性リュシールの、最後に「国王万歳!」と絶叫するまでの長大な狂気のモノローグを素晴らしい表現力で歌ってくれた。字幕があれば有難かったのだが━━。

 このスリリングな第1部に比べると、第2部で演奏されたR・シュトラウスの「家庭交響曲」が、何となく弛緩した雰囲気で聞こえてしまうのはやむを得まい。いや、そんなことを言ったら、入魂の熱演を行なった飯森範親と、それに応えた東響に失礼になろう。後半における、シュトラウスのオーケストラの秘術を尽した部分での演奏は、実に壮大で、立派だった。

2020・1・25(土)ボーダーレス室内オペラ「サイレンス」

      神奈川県立音楽堂  2時

 「サイレンス」というオペラ━━実に感動的な舞台作品を観せてもらったという感。

 作曲は映画音楽系のアレクサンドラ・デスプラ。
 原作は川端康成の「無言」で、これをデスプラと、演出のソルレイとが台本化し、演奏時間90分ほどの作品に仕上げた。昨年2月にルクセンブルクで世界初演され、次いで3月にパリ初演されている。今回が日本初演である。
 演奏は10人編成の「アンサンブル・ルシリン」で、指揮はデスプラ自身が執った。出演歌手はジュディス・ファー(S)、ロマン・ボックラー(Br)、ローラン・ストッカー(語り)。

 器楽アンサンブルは舞台の真ん中ほどの位置に横一列に並び、演技は舞台前面で行なわれる。
 逗子か葉山の近郊に住む、既に物言わぬ状態にある小説家の家という設定。彼が背をこちらに向けてソファに座り、その沈黙を破らんものと、訪れた男が努力を重ねるものの、ついにその沈黙の圧倒的な力の前に敗北を認めざるを得なくなるという物語だ。これに、タクシーの中に現われる無言の女の幽霊の話が絡む。

 音楽には日本音楽の手法が少し取り入れられているが、基本的には西洋音楽のスタイルを保ち、それがむしろ透明な美しさを生み出している。
 だが、本音を言えば私としては、音楽そのものの力にというよりは、題材と、台詞と、その音楽の「音」の中に満ち溢れる「沈黙」あるいは「静寂」の物凄さに打ちのめされた、と言った方がいいかもしれぬ。

 上演は3時30分頃に終る。不思議な余韻を感じて、何かホールを去りがたい思いだったが(こんなことは初めてである)次の予定もあるので失礼した。その後には作曲者を含めたトークが行われたはずである。

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