2020-01

2020・1・15(水)下野竜也指揮 読売日本交響楽団

    サントリーホール  7時

 ショスタコーヴィチの「エレジー」、ジョン・アダムズの「サクソフォン協奏曲」、モートン・フェルドマンの「On Time and the Instrumental Factor」、グバイドゥーリナの「ペスト流行時の酒宴」。
 サクソフォン・ソロは上野耕平、コンサートマスターは日下紗矢子。

 物凄い曲ばかり集めたものだ。昔、読響のコンサートのトークで「ゲテモノ担当の下野です」と自己紹介して客を爆笑させた下野竜也の面目躍如のものがある。また、こういうプログラムを定期で組んだ読響にも、聴衆動員に自信たっぷりなものがあるのだろう。
 事実、客席は大体埋まっていた。上野耕平の人気もあったかもしれないが、グバイドゥーリナの作品が終ったあとの拍手の盛り上がりなどは、現代音楽だけのプログラムではあっても、いい演奏ならばそれなりの反応があることを証明していたといえよう。

 物凄い、などとは言ったものの、実際に聴いてみれば、耳あたりは好い。
 ショスタコーヴィチの「エレジー」(1931)は非常に美しい旋律的な小品で、ある個所ではシェーンベルクの「浄夜」の一節などを連想させる。
 上野耕平のスウィングするソロ(身振りも、だったが)で演奏されたジョン・アダムズの「サクソフォン協奏曲」(2013)はジャズの影響を強く受けた曲で、私はマンハッタンの夜の光景などをふと連想してしまったが、ゆっくりした個所ではオーケストラが意外なほどの官能的な表情を聴かせ、サックスがブルース的なモノローグを歌い続けるのが魅力的であった。

 プログラムの後半の2曲はいずれも日本初演である。
 フェルドマンの「On Time and the Instrumental Factor」(1969)は、短い和音が楽器や和声を一つ一つ変えながら、短いパウゼを挟みつつ何度も繰り返されるだけの音楽で、いつ本題に入るかと思わせながら結局そのまま終ってしまう、といったような小品。

 そして最後の「ペスト流行時の酒宴」(2005)は、プーシキンの戯曲を題材にしたものだ。常に何かが起こりそうな予感のようなものを感じさせる音楽が進み、「それが起こった」頂点では、眩いばかりの多彩な音色が刺激的な高音を伴って執拗に続き、ヒステリックな狂乱の趣さえ生み出す。この部分でのいろいろな曲想の交錯が実に面白い。この作品は今夜の演奏会の圧巻ともいうべきものだったろう。さすがは下野、スリリングな演奏で、聴き手に強烈な衝撃を与えた。

 久しぶりに定期を振った下野竜也への、読響の楽員たちが示す親愛の表情が印象的だった。かつての「正指揮者」が、一回りも二回りも大きくなって里帰りして来たのである。

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