2019-12

2019・12・7(土)ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管と藤田真央

      東京文化会館大ホール   6時

 生誕180年を来年に控えての、ゲルギエフの「チャイコフスキー・フェスティヴァル」その最終公演は、「ピアノ協奏曲第2番」と「交響曲第5番」。

 協奏曲は、当初の予定ではセルゲイ・ババヤンがソロを弾くことになっていたが、如何なる事情か「本人の都合により」キャンセル、替わって藤田真央が登場した。
 まあ、ババヤンには悪いが、これはかえって歓迎すべき人選だった。今年のチャイコフスキー国際コンクールで第2位となり、人気の沸騰している藤田真央が━━しかも「1番」でなく「2番」を聴かせてくれるとなれば、これ以上のことはない。

 彼については以前からゲルギエフが絶賛していたので、まるで今回のフェスティヴァルに出演予定の無かった彼をゲルギエフが突然起用するべく秘かに手を回したのではないかとさえ思えたほどだが━━まあ、そんな憶測はともかく、この藤田真央の演奏は予想以上に素晴らしく、煽り立てるゲルギエフとマリインスキー響相手に一歩も退かず、鮮やかで瑞々しいソロを聴かせてくれた。スケール感という点では未だしのところもあるが、準備期間も短かったはずなのに、よくぞあそこまで仕上げたものだと、ただもう感嘆するのみである。

 彼がソロ・アンコールで弾いたグリーグの「愛の歌」も美しかった。このアンコールの間、ステージ下手側の袖近くにゲルギエフが立ったまま聴いていたのは、若手をソリストに起用した時のゲルギエフのいつもの癖である。

 休憩後は「第5交響曲」。弦とクラリネットが暗い音色で主題を演奏し始める冒頭個所を聴くと、ああロシアのオーケストラ!という懐かしさが湧いて来る。
 ただ、そのあとは最近のゲルギエフとマリインスキーの傾向で、あまりロシアの土俗的な香りのしない演奏になってしまっていた。音色に陰翳が希薄で、響きが異様に鋭いのも気にかかる。昔のゲルギエフとマリインスキーの音は、こうではなかった・・・・。

 先日の「悲愴」でもそうだったが、譜面台を置かずに暗譜で指揮をする時のゲルギエフは、音楽のつくりがいっそう自由で、テンポや強弱の変化が大きくなる。
 それ自体は悪くないのだが、今日は、なぜこんな個所でいきなりテンポを落したり音を弱めたりするのかなと訝られるような━━敢えて言えば作為的にさえ感じられるところがいくつかあったのだ。昔のゲルギエフには、こんなことはなかった。変幻自在といえども、もっと自然に流れていた・・・・。

 とはいえ、ここぞという個所での盛り上げが強烈なところは、いつものゲルギエフである━━「第5交響曲」の第4楽章終結部は、その一例だ。
 アンコールは「くるみ割り人形」の「パ・ド・ドゥ」。この曲の演奏にも、これらのことが全て当てはまる。

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