2019-12

2019・12・5(木)ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管「悲愴」他

      サントリーホール  7時

 ゲルギエフの「チャイコフスキー・フェスティヴァル」が「交響曲・協奏曲篇」(3日間・計4公演)に入った。
 今日はその初日で、「交響曲第1番《冬の日の幻想》」、「ロココの主題による変奏曲」(チェロのソロはアレクサンドル・ブズロフ)、「交響曲第6番《悲愴》」。

 ただでさえ長いプログラムの上に、ブズロフがソロ・アンコール(バッハの「無伴奏チェロ組曲第3番」からの「サラバンド」)まで弾くものだから、休憩後の「悲愴」に入ったのが何と8時50分。その演奏終了は9時37分頃になった。
 もっとも、そのブズロフ(モスクワ生れの36歳)のチェロの音色は極めて美しく、しかも芯のしっかりした表情を備えていて、「ロココの・・・・」を品のいい、形式感の明快な作品として再現してくれたのは確かである。

 交響曲の方は━━「冬の日の幻想」の演奏には、何かひとつ底の浅さと、力感に頼りすぎたような表現が感じられ、もどかしい思いにさせられたのが正直なところだ。
 だが、「悲愴交響曲」におけるゲルギエフの演奏構築には、いつもながら、実に綿密な設計が聴かれる。

 中間2楽章は極めて速いテンポに設定される。第2楽章は、一般にはしばしばアンダンテかアレグレットのテンポで演奏されることが多いのだが、ゲルギエフは作曲者の指定通り、アレグロのテンポで演奏していた。いっぽう、第3楽章でのスコアの指定はアレグロ・モルト・ヴィヴァーチェだが、今日のゲルギエフのテンポは、ほとんどプレストというイメージのものだった・・・・。

 今日の演奏で真に感動的だったのは、やはり両端楽章である。第1楽章では再現部に怒涛の如き頂点が置かれ、疲れと諦めのようなコーダへ沈静して行く。その流れがすこぶる見事だった。

 そしてこの曲の原標題「パテティーク」の本来の意味である「感情豊かに」が、最もリアルに表現されたのはやはり第4楽章においてであろう。特に楽章後半、荒れ狂った悲痛な激情がタムタムの一撃により堰き止められ━━ゲルギエフは、この一撃の余韻を、スコア指定よりも長く引き延ばしたが、その長い余韻は、タムタムを本当に運命の暗い一撃のように感じさせたのである。

 それゆえ、そのあとの「poco rallentando」から「quasi Adagio」に至る経過句は、衝撃に打ちのめされたように、間を置いてからゆっくり入って来る。
 そしてそれが消えると、ゲルギエフは、最後のアンダンテの前に、もう一度長い休止を置く。その沈黙は実に感動的な効果を生み、続くアンダンテ━━事実上のアダージョだが━━の個所を、どうしようもないほどの諦めと絶望感に満ちたものにしてしまう。止めどなく沈み込んで行くその音楽は、聴き手を救いようのない深淵に引きずり込んで行くのである。

 こうして闘いは終った・・・・。チャイコフスキーが「この曲にはプログラムがあるが、それはあくまで謎だ」と書き残していた「標題性」が意味するところはまさにそこにあったのだ━━と聴き手に確信させるゲルギエフの指揮であった。

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