2019-12

2019・12・2(月)ゲルギエフ&マリインスキー 「マゼッパ」(演奏会形式)

      サントリーホール  6時

 冒頭、11月30日に帰天したマリス・ヤンソンスを偲び、今日の演奏会を彼に捧げることと、全員で黙祷したいというゲルギエフの提案が場内アナウンスにより紹介された。

 チャイコフスキーのオペラ「マゼッパ」は、今回が日本初演か? ほとんど知られていないオペラなのに、しかも舞台上演でなく演奏会形式上演なのに、予想以上に客席が埋まっていた。お客さんの熱心さには、心を打たれる。

 幸いにして私はこれまで、MET、リヨン歌劇場、ベルリン・コーミッシェ・オーパーなどで計3回、舞台上演を観る機会を得た。ゲルギエフやキリル・ペトレンコが指揮していたそれらの公演はいずれも見事なものだったが、しかしチャイコフスキーの音楽そのものに心底から没頭できたのは、今回が初めてである。
 それは何よりも演奏会形式という、表現力豊かな大編成のオーケストラを舞台上に上げての、しかも妙な(?)演出に気を取られることなく音楽に集中できる形で上演されたことのおかげだろうと思う。

 今回の上演では、30分足らずの休憩を1回のみ、第2幕第1場(牢獄の場)の後に入れての演奏となった。これは作品全体のバランスを考えれば、賢明な方法だろう。
 弦14型編成のマリインスキー響は、ステージ上に大規模な山台を置いて配置され、ゲルギエフの劇的で緊迫感に富む指揮のもと、実にたっぷりと豪壮に、しかも切れのいいシャープな響きで鳴り渡る。
 かつてのこのオケが持っていたロシアの装飾品の色彩を思わせる翳りのある音色ではなく、明晰でインターナショナルな音色で響いて来るのは、「スペードの女王」の時と同じである。

 一方、歌手たちはオーケストラの前で非常に詳細な演技を行いつつ、暗譜で歌う。この演技が堂に入っているのは、歌手たちがほぼ全員、すでに最近マリインスキー劇場での舞台上演で演じていたからにほかならない。若い世代の人が多いが、だれもかれも、揃いも揃って声が力強い。

 その歌手陣は次の通り━━ウラディスラフ・スリムスキー(ウクライナの統領マゼッパ)、ミハイル・コレリシヴィリ(その配下オルリク)、スタニスラフ・トロフィモフ(ウクライナの大地主コチュベイ)、アンナ・キクナーゼ(その妻リュボフ)、マリヤ・バヤンキナ(その娘、マゼッパの妻となるマリヤ)、エフゲニー・アキーモフ(マリヤを愛する青年アンドレイ)、アレクサンドル・トロフィモフ(コチュベイの同志イスクラ)、アントン・ハランスキー(泥酔したコサックの男)。

 ゲルギエフはマリインスキー・カンパニーを引き連れて日本公演をやるたびに、あとからあとから、次々と新世代の優秀な歌手たちを連れて来ているが、その歌手の層の厚さにはいつもながら驚くばかりだ。
 もう一つ、合唱の凄さも忘れてはならない。P席中央に配置されたマリインスキー劇場の合唱団は、わずか60人の編成ながら、そのパワーはオーケストラを圧するほどの強靭なものであった。

 総帥ゲルギエフの、音楽上の演出力、持って行き方の巧さは格別だ。このオペラをこれほど纏まりよく、スリリングに、退屈させずに聴かせてくれる指揮者は、彼を措いてそうはいないだろう。
 ゲルギエフは、やはりロシア・オペラを指揮する時が最高だ。

 なおこれは━━批判として言うのではないが、今日は正面オルガンの下のやや下手側に配置されていた金管のバンダの音が、「ポルタワの戦い」で一緒に行進曲を演奏する時に、何分の1秒か遅れて響いて来るのが、えらく気になった。2階席最前列で聴いていてさえこうだから、さらに距離の遠い2階席最後方では、もっとずれて聞えるのではないかしらん。ファンファーレならともかく、細かいリズムでオケ本体と一緒に演奏する際には、この「音の伝達速度」は難しい問題だ。
 以前、東京文化会館でヴェルディの「レクイエム」を演奏した某オケの楽員さんが、5階席てっぺんで演奏している「トゥーバ・ミルム」のラッパがステージ上の自分たちの音とずれて聞えるのでやりにくくって・・・・とぼやいていたのを思い出す。

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