2019-10

2019・10・3(木)東京二期会 宮本亜門演出「蝶々夫人」初日

       東京文化会館大ホール  6時30分

 ザクセン州立歌劇場、デンマーク王立歌劇場、サンフランシスコ歌劇場との共同制作による、宮本亜門演出の新プロダクション、プッチーニの「蝶々夫人」。

 アンドレア・バッティストーニが東京フィルを指揮、初日はダブルキャストのA組で、森谷真理(蝶々夫人)、藤井麻美(スズキ)、樋口達哉(ピンカートン)、黒田博(シャープレス)、萩原潤(ゴロー)、成田伊美(ケート)、小林由樹(ヤマドリ)、志村文彦(ボンゾ)、香月健(役人)、牧田哲也(蝶々夫人の子、青年時代)他。二期会合唱団。

 舞台(装置はボリス・クドルチカ)には座敷や障子などの所謂日本家屋的なものはほとんど無く、ただバンガロー風の小さな部屋が一つあるだけで、これが精妙に移動する黒と白のカーテンとともに動き、場面を構成し、区切りをつける。
 以前の「魔笛」と違い、プロジェクション・マッピングのような手法の使用はごく限られている。

 衣装(高田賢三)とメイクは(米国人役を除き)徹底的に「日本的」なもので、ヤマドリ公爵に至っては帝国海軍の軍装(中将か少将か、とにかく偉い人の服装だろう)だ。第2幕以降の蝶々さんが、髪型といいメイクといい服装といい、何だか猛烈に21世紀の日本人女性的、というのは少々意外だったが。

 しかし今回の演出の最大のポイントは、蝶々さんの自決から30年後、ピンカートンとケートに引き取られてアメリカに渡っていた遺児の青年(32歳位)が、病床のピンカートンから渡された手紙から、実の母に関する詳しい話を初めて知り、あの長崎の時代に「Back to・・・・」する━━もしくは想像上の世界にタイム・スリップする、という設定にあるだろう。

 このモティーフは各幕冒頭に繰り返され、ピンカートンと蝶々さんの物語もほぼ通常通り進んで行くが、蝶々さんの遺児たる「青年」も常にその舞台にいて、母への同情と愛、そしてのちに後悔の念に苛まれ続けて生涯を終ろうとする父への同情などの交錯に悩む、という設定になっている。
 劇中でゴローが「この子はアメリカへ行っても幸せにはならない」と歌ったのを聞いた時に、現実にアメリカで差別を受け続けた「青年」が示す苦悩の表情、また実母が絶望に沈んだ時に、同情のあまり髪を掻き毟って悲しみにくれる「青年」の表情などを、黙役の牧田哲也が実に巧く演じていた。

 ただ、この「青年」の役柄については、もう少し何とか━━どこをどうしたら、というのは私にも分からないのだが━━巧い使い方もあるんじゃないのか、という気がしないでもないのだが。かといって、あまり過剰にウロチョロされても邪魔だし・・・・。
 その辺の解決法は、私が常日頃から尊敬し信頼し、演出の手法を支持している宮本亜門さんに、さらに一考していただくことにしよう。
 ただ、私の好みからすれば、ラストシーン、息を引き取ったピンカートンが蝶々さんと再会するという最後の幻想光景は、些か甘すぎるのではないかと思うが・・・・。

 いずれにせよ、見慣れたドラマに新しい視点を導入する手法の一例として、この「蝶々夫人」は、たいへん面白いものであると思う。これまで、ピンカートンは許せん━━と息巻いていた観客にも、何かしら寛容の気持を生ましむる演出だったかもしれない。

 今日のAキャストでは、題名役の森谷真理が、清楚な素晴らしい歌唱を聴かせていた。樋口達哉の張り切った横柄な米国海軍士官、重厚で人間味と貫録にあふれた黒田博のシャープレス領事も、演技・歌唱ともに魅力充分。藤井麻美のスズキは、ちょっと控えめな歌唱と演技だったが、人間的なあたたかさはよく出していた。

 熱血漢指揮者バッティストーニは、この作品ではむしろ抑制した美しさを狙っていたような印象を受ける。
 東京フィルは、新国立劇場の「オネーギン」との二手に分かれてのピット入りだったが━━本当にこういうやり方でいいのだろうか、と疑問に感じないではいられない━━仲のいいバッティストーニと組んだこちらのメンバーの方が演奏もサマになっていたような印象である。

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