2019-02

2019・2・27(水)英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマ・シーズン
チャイコフスキー:「スペードの女王」

         日本シネアーツ社試写室  1時

 アントニオ・パッパーノが指揮、ステファン・ヘアハイムが演出。
 ゲルマンにセルゲイ・ボリャコフ、リーザにエヴァ=マリア・ウェストブロック、老伯爵夫人にフェリシティ・パーマー、エレツキー公爵にウラディーミル・ストヤノフ、といった主役陣。

 ヘアハイムは、昔はスキャンダル狙いのような演出家だったが、特にこの10年ほどは、バイロイトの「パルジファル」(2009年8月27日の項)やザルツブルクの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(2013年8月27日の項)など、非常に素晴らしい仕事をしている。

 今回の「スペードの女王」では、チャイコフスキーを、ゲルマンの恋敵であるエレツキー公爵に重ね合わせた演出がミソだ。しかも、この設定は実に微細に行なわれており、あまりに細かすぎて少し煩わしくなる時があるけれども、ここまで完璧に演じられれば、見事というほかはないだろう。
 作曲者そっくりのメイクを施したストヤノフは、ほぼ出ずっぱりの大熱演。羽ペンを走らせて作曲に没頭したり、曲が昂揚する個所では恍惚たる表情で指揮したり、ピアノを弾く演技をしたり。

 そのチャイコフスキーの作曲シーンの中から諸々の人物が生れて来るのだが、彼らは必ずしも作曲者の思う通りに行動するというわけではなく、しばしば彼の意図に背いて独走し、彼を悩ませる。
 その極端な例が、士官ゲルマンだ。彼は、「劇中に現われるチャイコフスキー」の思惑通りに行動しない。そこで「チャイコフスキー」は、ラストシーンで再びエレツキー公爵に戻り、ゲルマンを自殺に追いこむ━━というか、ピストルの引き鉄に手をかけたゲルマンの腕を強引に自身に向けさせる、といった具合である。

 チャイコフスキーの同性愛嗜好を描くべく、ゲルマン(もしくはそれに扮するテナー歌手)にすり寄る姿もしばしば描かれる。ゲルマンを自殺に追いやるのは、ゲルマンがリーザを裏切ったからではなく、むしろチャイコフスキー自身の彼に対する「愛」を裏切ったからだ、という設定だろう。
 ラストシーンで人々が去って行ったあとに見える、独り床に倒れている男は、さっき自殺したはずのゲルマンではなく、チャイコフスキー自身だった━━となるわけだから、とにかく念の入った、しかし辻褄の合った演出であることは確かである。

 チャイコフスキーの作曲を煽り立てるデーモンも現われる。彼がコレラに感染する因となった宿命の「水の入ったコップ」が、重要なモティーフにもなる。
 ロシア女王陛下の登場する場面(作曲者は女王を出してはならぬと指示している)が、壮麗な光景から一瞬にしてパロディに転じるあたりのユーモア感覚もいい。賭博場での男たちの馬鹿騒ぎの中にロシアン・ルーレットのギャグが使われていたのには驚いた。

 こうした舞台を演じるストヤノフの、なんと巧いこと。ウェストブロックもパーマーも見事だ。体調不良で降板したアントネンコの代役を務めたボリャコフも悪くない。
 そしてパッパーノと、彼が指揮するROHのオーケストラの壮大で雄弁な演奏の素晴らしさ。パッパーノのピアノを弾きながらの解説の見事さ。
 中継の女性司会者のハイ・テンションの騒々しさにはいつもながら閉口させられるが、それを除けば、私好みの「スペードの女王」ライヴであった。

 演奏時間は正味2時間40分くらいだが、案内やら解説やらインタヴュ―が入り、休憩19分を含めると、全上映時間は3時間37分になる。3月15日から東宝東和系で上映の由。

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