2019-02

2019・2・9(土)METライブビューイング「椿姫」 

     東劇  6時30分

 横浜から銀座へ移動。幸いにも、都心の街路にはもう雪はない。
 このヴェルディの「椿姫」は、昨年12月15日のMET上演ライヴ映像。
 マイケル・メイヤーが新演出、昨年秋にMETの新音楽監督に就任したばかりのヤニック・ネゼ=セガンが指揮したプロダクション(但し4日目の公演)である。ヴィオレッタをディアナ・ダムラウ、アルフレードをファン・ディエゴ・フローレス、ジェルモンをクイン・ケルシー、その他の出演。

 マイケル・メイヤーは、先日の「マーニー」に次ぐ演出(2019年1月20日の項参照)で、今シーズンは俄然METでの活躍が多くなっている。以前も「リゴレット」を、ドラマの舞台をラス・ヴェガスに読み替えて演出したことがあり、これは私も現場で観た(2013年2月16日のマチネーの項。同3月12日の映像)が、あれはどちらかというとお遊びに近い舞台だったといえようか。だが、今シーズンの「マーニー」と、この「椿姫」とは、真っ向勝負の演出である。

 ヴィオレッタとアルフレードの関係を、舞台美術(クリスティーン・ジョーンズ担当)も含めて春夏秋冬の移り変わりになぞらえて描き、全幕を通じて舞台中央にベッドを置いてヴィオレッタの病との闘いを暗示する━━というのが彼メイヤーのコンセプトであると聞く。このベッドは時にソファのようにも見えるので、夜会の場面でも特に違和感なく観ることができる。
 演技のニュアンスはかなり細かく、あのゼッフィレッリの映画ほどではないにせよ、演劇としての面白さを充分に堪能させるだろう。

 第2幕で、ヴィオレッタに「身を引く」ことを迫るジェルモンが娘(アルフレードの妹)を連れて来るという手法は、以前ペーター・コンヴィチュニーの「びわ湖ホールアカデミー」でも観たことがある。
 あの時はその「娘」が「冷たい父」に反発し、ヴィオレッタに同情を寄せてしまうという設定だったが、今回のメイヤー版ではそこまではやっていない。その代り、第4幕で病床のヴィオレッタの枕元をその「娘」が通過したり(これは随分惨酷だ)、あとで実際に父について彼女の見舞いに来たりする、という手を使っていたのは、かなり凝った演出である。

 一方、ネゼ=セガン。
 新音楽監督を迎えたMETの観客の反応は、至極いいようだ。通常の場合と異なり、彼が最初に登場した時から大拍手とブラヴォ―の声が沸き上がっていたし、オーケストラも密度の濃い演奏を聴かせていた。
 だが今回のライブビューイングで私が強く印象づけられたのは、休憩時間に挿入された、彼のリハーサルのドキュメントである。ダムラウと一緒に、スコアを隅から隅まで研究、一つ一つの音符の意味や、ピアニッシモの意味などを互いに議論しながら演奏をつくり上げて行く。これだけの綿密な考察があってこそ、あのような表情豊かな、メリハリの強い演奏ができるのであろう。

 演奏家はかくあるべし、と讃えたいと同時に、われわれも演奏をいい加減な気持で聴くべきではない、と自戒させられることしきりである。
 ただ、ネゼ=セガンの指揮、精妙で立派ではあるのだが、あまりに念を入れ過ぎて、テンポも遅くなり、「間」も長くなり、それが第2幕の終結で奔流のような劇的昂揚をやや阻害してしまう結果を生んだのではなかったか?

 歌手では、ヴィオレッタ役のディアナ・ダムラウがやはり輝いている。アルフレードのファン・ディエゴ・フローレスは・・・・まあ、何と言ったらいいか、今回は可もなく不可もなし、といった感だろう。ジェルモンのクイン・ケルシーは音程が少々悪い。

2019・2・9(土)川瀬賢太郎指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団

       横浜みなとみらいホール 大ホール  2時

 朝の「はやぶさ」で帰京。普通なら、東北新幹線で北へ向かって行くうちに窓外は雪景色に包まれて行く━━というところなのに、今日は逆だ。雪のない仙台をあとに、新幹線が南の東京に近づくにつれ、外は次第に銀世界に変わって行く、という、何だかわけの解らぬ体験をする仕儀と相成った。

 昼過ぎ、横浜に向かう。神奈川フィルの定期演奏会である。第1部では、藤村実穂子をソリストに迎えてのマーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌曲」が、第2部ではハンス・ロットの「交響曲第1番ホ長調」が演奏された。マーラーとロットの作品を並べるとは、すこぶる意味のある、しかも意欲的なプログラミングといえよう。コンサートマスターは崎谷直人。

 藤村実穂子の歌唱は、以前より少し声質が軽くなったのかな、という印象もあったが、相変わらず深い味を湛えて素晴らしい。特に後半、「真夜中に」と「われはこの世に忘れられ」(今日はこの順番で演奏された)における情感の豊かさは、彼女の円熟を物語るだろう。
 そして川瀬賢太郎と神奈川フィルが彩る背景のオーケストラの音色の豊麗さも、印象に残る。川瀬が常任指揮者になって以降、神奈川フィルの音には、こういう「豊かさ」が加わって来たようである。

 ハンス・ロットの交響曲は、変な曲だが、面白い。川瀬の入魂の指揮のもと、神奈川フィルは大熱演を繰り広げた。特に終楽章は渾身の昂揚で、あのブラームスに似て非なる野暮ったい旋律の主題が盛り上がって行くあたりも、なかなかの熱狂の演奏であった。これで金管群が安定し、大切な個所でそれらのソロが美しい調和を生み出せるようになれば、と思う。第4楽章で長時間叩き続けたトライアングル奏者は、お疲れさまでした。

 なおこの日は、夜の渋谷でもパーヴォ・ヤルヴィとN響が同じハンス・ロットの「第1交響曲」を演奏するという巡り合わせになっていた。終演後、そちらに回るという知人も少なくなかったようだ。そんなに演奏の機会の多くない曲が、同日にかち合うというのも不思議な話である。

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