2019-01

2019・1・15(火)大野和士指揮東京都交響楽団

     東京文化会館大ホール  7時

 大野&都響、この日はA定期。ブゾーニの「喜劇序曲」、マーラーの「少年の魔法の角笛」 から5曲(ソリストはイアン・ボストリッジ)、プロコフィエフの「交響曲第6番」。コンサートマスターは矢部達哉。

 先日の定期と同様に一癖あるプログラムで、大野と都響の企画担当者たちの自信と意欲が窺われる。━━ただ、ブゾーニのこの小品は、かなり調子のいい(?)軽快なものだが、音楽としては、聴く機会を与えてもらったことだけは有難いと思えるような作品だ。

 プロコフィエフの「第6交響曲」も、シリアスさとユーモアと、それに粗暴さも加わった「おかしな」曲だ。大野と都響の演奏は真摯なものだったが、しかしこの曲はやはり、相応以上の多彩な音色の変化や、派手な演出を加味した演奏でないと、この長さ(40分以上)を持ち堪えるのは難しいのではないか。
 かつてラザレフが日本フィルを指揮して大見得切った演奏を披露した時には、聴衆も沸いたものだ。それに比べると今日のは、些か生真面目に過ぎようか。いや、真面目が悪いと言っているのではない。もしかしたらこの演奏は、残響の豊かなサントリーホールで聴いたら、もう少し異なる印象を得たかもしれない。

 マーラーの歌曲集では、「ラインの伝説」「魚に説教するパドヴァの聖アントニオ」「死んだ鼓手」「少年鼓手」「美しいトランペットの鳴るところ」が歌われた。ボストリッジは綺麗な声で歌ってくれるし、それはそれでいいのだが、しかし「死んだ鼓手」のような曲では、マーラーが音楽に籠めた絶望、希望、憧れ、悲痛さといった感情の微細な変化を、さらに明確に歌い分けて欲しい気もする。ボストリッジの歌唱は、その辺がどうも淡彩になる傾向がある。
 ただ今回聴いた席が2階正面1列目で、ここは視覚的には理想的ながら、音が少々「遠い」。ボストリッジは叙情味の濃いテナーだし、本来はニュアンスの細かい歌い方をする人だから、この席の位置から歌唱がどうだとかを断定するには危険だろうと思われる。
 大野のオーケストラ制御は流石に巧い。「死んだ鼓手」におけるような大編成の管弦楽パートは、指揮者が巧く鳴らさないと、声をマスクしてしまうことが多いのだが、オペラ座で経験を積んだ大野は、そのあたりを実に見事に構築してくれていた。

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