2018-07

2018・7・4(水)アンドリュー・リットン指揮新日本フィル

     サントリーホール  7時

 アンドリュー・リットンというアメリカの指揮者、これまでダラス響やベルゲン・フィルなど、いろいろなポストを歴任しているが、今はどのポストに在るのか、外国のWikiを見ても何となく判り難い人だ。ともあれ、ニューヨーク・シティ・バレエの管弦楽団の音楽監督と、シンガポール交響楽団の首席客演指揮者を兼任しているのは確かなようで━━。

 丸っこい大きな体躯が躍動する彼の指揮姿には、力感の裡にも、何となくあたたかさを感じさせる雰囲気がある。
 だからというわけでもないが、今日のベートーヴェンの「交響曲第8番」の演奏もそんな感じだった。あまり鋭角的にならず、どっしりとした丸みのある響きで、どちらかといえば大らかな明るさを湛えた「8番」だったと言えようか。
 第1楽章再現部冒頭の【D】の8小節間で、低音部の第1主題を明確に響かせるために管弦楽の一部に漸弱や漸強をつけるという、今どき珍しいワインガルトナー式の手法を使っていたところに、この指揮者が持っている一種のロマンティシズムを垣間見た気がする。

 後半のショスタコーヴィチの「第4交響曲」では、リットンは、大編成のオーケストラをたっぷりとしたふくらみのある大音量で響かせる。ホールを揺るがせる轟音ながら、決してヒステリックな鋭い絶叫にならず、また敢えて悲劇的な情感を強調しないところが、リットンのショスタコーヴィチ解釈なのだろう。

 ただ、それはそれでいいとしても、いくつもの壮烈な爆発点の数々が、どれも同じようなニュアンスの演奏に聞こえ、また全体にさほど多彩な変化のない演奏でもあったため、何か全曲が一本調子に感じられてしまう傾向が、なくもなかったのだが・・・・。
 しかし、全曲の幕切れ近くでは、金管を中心に醸し出される不気味な虚無感と、白々とした寂寥感のようなものが音楽全体に拡がって行き、この交響曲が本来持っている魔性を蘇らせ、感動的な効果を生んでいた。

 コンサートマスターは豊嶋泰嗣。ファゴットの河村幹子のソロが陰翳とスケール感に富んで立派だった。

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