2018-06

2018・6・26(火)清水華澄リサイタル

     紀尾井ホール  7時
 
 彼女としてはこれが初のリサイタルであるという。いま絶好調のメゾ・ソプラノだし、注目すべき演奏会だ。ピアノは越知晴子。

 プログラムも意欲満々で、前半ではアルマ・マーラーの「5つの歌曲」で開始、グスタフ・マーラーの「さすらう若人の歌」に続けるという構成。深みのある豊かな声がホールをいっぱいに満たす。
 歌詞の内容を精緻なニュアンスで描き出すというよりは声の劇的な力によって作品を大づかみにするというタイプの歌唱であるのは、オペラ歌手ならではの特徴だろう。

 それだけに、第2部におけるストラヴィンスキーの「エディプス王」からのヨカスタの歌「恥と思わぬか、王子たち」では、彼女の本領が余すところなく発揮される。これは、今夜のリサイタルの中で最も優れた出来だったように思う。
 この曲、彼女はジェシー・ノーマンの歌唱シーンを映像で観て感動し憧れた、とプログラムノートに書いている(実は私もその1992年の「第1回サイトウ・キネン・フェスティバル」でのジェシーの歌唱がいまだに忘れられないのだ)。もちろん彼女のスタイルはジェシーとは違う。あの押し殺したような凄味のあるジェシーの歌唱とは対照的に、華澄さんの歌はもっと華麗で、開放的で、情熱的なスタイルだ。

 次がベルリオーズの「ファウストの劫罰」の中の、マルグリートのロマンス「激しい愛の炎が」で、これも豊麗で見事な出来ではあった。が、欲を言えば、曲の開始直後のアニマートから情熱的に盛り上げ過ぎたため、後半のアジタートの真のクライマックスが生きなかった、という構築上の問題があったのではないか。

 第3部での「臨死船」(谷川俊太郎詞、根本卓也作曲)は、鈴木広志のサックスを加えた充実の歌唱と演奏だ。
 詞(詩)の内容は、「あの世行きの連絡船」の乗客となった主人公のモノローグという、かなり物凄いものだが、これを屈託のないカラッとした表情で、しかもドラマティックに表現する手法は彼女の解釈だろうし、それはそれで成り立つだろう。
 ナレーションの個所を、日本のオペラ歌手がよくやるような「頭の天辺から声を出すように喋る」形でなく、上手い朗読者や声優のように自然に語るというスタイルを採っていたのは好感が持てるし、その声の美しさにも魅惑される。こういう、歌とナレーションを組み合わせた作品を手がけたら、彼女は疑いなく卓越した存在になれるだろう。
 この「臨死船」と「エディプス王」とは、今夜の圧巻だった。

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