2017-08

2017・8・20(日)バイロイト音楽祭(2)
ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」

      バイロイト祝祭劇場  4時

 2015年にプレミエされたもので、今年が3度目の上演になるが、私はナマで観るのは今回が最初。カタリーナ・ワーグナーが演出、フランク・フィリップ・シュレスマンとマティアス・リッペルトが舞台装置を担当したプロダクションで、指揮は引き続きクリスティアン・ティーレマンである。

 ティーレマンの指揮する「トリスタン」を聴いたのは久しぶりだが、まさに嵐のような演奏だ。それは激動の「トリスタン」とでもいうべく、テンポの動かし方も大きく、クライマックスで煽りに煽りつつ盛り上げて行く呼吸の見事さも、いかにもティーレマンらしい。
 第1幕の終結近く、トリスタンとイゾルデの感情が激し、いよいよ「媚薬」を飲もうという(実際には飲まない)頂点に向けての音楽の昂揚感は息詰まるほどだ。
 第2幕の「愛の二重唱」の頂点に向けての追い上げも凄まじい。オーケストラも2人の歌手も、怒涛の勢いで突き進んで行く。熱狂的で忘我的なエクスタシーの境地とは、まさにこういうものを謂うのではないか。第3幕で、トリスタンがイゾルデの幻を見つつ忘我の陶酔に浸る場面の、2つの高潮部分でも同じことが言えよう。

 今回も、ワーグナーの音楽の魔性的な物凄さを改めて感じる次第となった。そしてそのティーレマンの指揮のもと、奔放自在に、荒波のように流動するバイロイトのオーケストラ(これがまた凄い)の上に乗る歌唱のパートは、従ってオーケストラとの「縦の線」など合わないことも多いが、そんなことは些末な問題にしか思えないほど、圧倒的な演奏なのであった。

 カタリーナ・ワーグナーの演出は、バイロイトではこれが2作目。だが言っちゃ何だが、前作「マイスタージンガー」に比較すると、どうも期待したほどの冴えが感じられない。どこがどうの、とまでは言い難いが、単なる印象として、この程度の舞台だったら、「聖地バイロイト」でなくても、どこの歌劇場でも見られるじゃないか、と言いたくなる気もするのである━━。

 とにかく、覚えを書いておこう。
 第1幕は、威圧感を与える金属製の、何層にも及ぶ巨大な櫓のようなものが舞台一杯に聳える。主人公たちを囲む、無機的で冷酷で、閉塞感に満ちた世界の象徴か。
 トリスタン(シュテファン・グールド)、イゾルデ(ペトラ・ラング)、従者クルヴェナル(イアン・パターソン)、侍女ブランゲーネ(クリスタ・マイヤー)がこの櫓内の離れた場所に点在しているが、多くの階段があるにもかかわらず、目的の人物の傍にはなかなか行けぬという迷路のような仕組みだ。これは実に納得の行く設定である。

 この第1幕での演出のポイントを挙げるとすれば、ひとつは、クルヴェナルとブランゲーネの2人に需要な役割を与えたことだろう。2人は、主人たちが接近して「間違いを犯す」ことを懸命に押しとどめようと、無益な努力を重ねる。結局それが失敗し、今や総てが取り返しのつかぬ状態に至った時、コーンウォール港に着いたことを知らせるクルヴェナルは、忠実な部下の精神を取り戻し、敬愛する主人に直立不動で敬礼を送る。その模様は、ちょっとしたことだが印象深いものであった。

 もう一つは、トリスタンとイゾルデが「媚薬」を飲まず、それをこぼすように捨ててしまうことだ。「媚薬」は単なる引き金としての重要性に過ぎず、それよりも重要なのは「薬」を飲んで死のうとする2人の決意なのだ━━という解釈は古来から在るところであり、この演出もその解釈の一環であるともいえる。
 とはいえ、この場面での演出は、どちらかといえば、その真の劇的な要素はむしろ音楽そのものに委ねられていると言っているかのような印象を受けたのだが。

 第2幕は、夏の庭ではなく、暗黒の牢獄か、収容所といった雰囲気の場面。出口なしの世界に幽閉されたトリスタン、イゾルデ、クルヴェナル、ブランゲーネ。4人が終始同一平面上にいるという第2幕の設定は珍しいだろう。後者の2人は、閉塞感に苛々して脱出を図ろうと暴れ回るが、失敗する。「愛の二重唱」は、監視のサーチライトを避けて2人が作った大きな布製のテントの中で歌われる。

 現れたマルケ王(ルネ・パーペ)は、かなり暴力的な性格を示す。部下のメロート(ライムント・ノルテ)もまた超サディスト的な行動でトリスタンとイゾルデに対する。
 最後にマルケはイゾルデを強引に引っ張って去り、その際にナイフをメロートに渡し、「トリスタンを殺したければ殺すがいい」と言わんばかりの投げやりな表情。メロートは突然押し付けられた役割に困惑の体で、トリスタンの「この男は私の友人だった」の言葉に良心をかき立てられた様子だったが、続くトリスタンの挑発的な言葉を聞き、ついに決心して彼を背後から刺す。ふつうはあまり注目されないメロートという人物の心理の動きを、こんなに微細に表現した演出としては、これは珍しく、面白いものであった。

 とはいえ、この第2幕全体の演出となると、ちょっと理解しがたいところもある。トリスタンは、何故、最初から囚人扱いにされているのか。不倫がバレたからということか? こういう、ややこしくて圧迫感のある舞台を見ると、やはりこの「トリスタン」は、演奏会形式で聴いた方がより感動するな、と思ってしまうのである。

 第3幕は全て暗黒の舞台で展開する。トリスタンの幻覚に応じ、暗黒の舞台のあちこちにイゾルデの幻が出現しては消え、という手法は印象的だ。といって、この場面が全てトリスタンの幻覚として扱われるわけではない。
 最後の場面には、マルケ王の一行も登場し、クルヴェナルはメロートを殺害するが、彼も、彼の仲間たちも、全て王軍に斃される。あたりは死屍累々だ。
 イゾルデはトリスタンの亡骸を抱いて「愛の死」を歌うが、そのあとはまたマルケ王に腕をつかまれ、今度はさほどの抵抗の様子もなく、まるで葬儀から退席する人のように姿を消して行く。その場に残り、トリスタンの遺骸をいたましげに見守るただひとりの人は、ブランゲーネだった━━。

 結局、今日の「トリスタン」は、ティーレマンとオーケストラ、それに歌手たちがすべてである。そして、ワーグナーの音楽の抗しがたい魔力に、またもや打ちのめされる結果となったのが正直なところだ。
 9時55分演奏終了、10時10分頃カーテンコール終了。

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」