2017-07

2017・7・27(木)ガブリエル・フェルツ指揮大阪交響楽団

      ザ・シンフォニーホール  7時

 ベルリン生れ、40歳代半ばのガブリエル・フェルツが客演。
 プログラムが実にユニークで、面白い。R・シュトラウスの「死と変容」で開始され、シューベルトの「交響曲第4番《悲劇的》」が続き、休憩を挟んでシューベルトの「未完成交響曲」、最後に再びR・シュトラウスの「4つの最後の歌」で締める、という選曲。これは、あまり他に例をみない配列ではなかろうか。
 ソプラノ・ソロは木澤佐江子(関西二期会)、コンサートマスターは林七奈。

 シュトラウスの2曲を最初と最後に置いたのは、「死と変容」の主題が「4つの最後の歌」の最終個所で回想されることに着目したゆえだろう。また、「死と変容」を受けてシューベルトの「悲劇的」が始まるという流れも、聴いていると、それなりに納得できるものがある。
 ただ、オーケストラの編成がその都度大きく変わり、シュトラウスの2曲は弦14型、「悲劇的」は8型、「未完成」は10型による演奏だったので、ステージの配置換えに、些か時間を要した。演奏終了は9時15分になった。

 フェルツの指揮を聴いたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。派手な存在という印象ではないし、また洗練された味とか器用さとかには少々乏しい人のようにも思えるが、しかし、これは注目していい指揮者だ。極めて丁寧に念入りに、精魂こめて指揮をする。
 最も印象に残ったのは、最弱音の美しさへのこだわりと、金管や木管を中心とする和声の構築の卓越した巧さだ。それは「死と変容」の終結や、「4つの最後の歌」の「夕映えに」の終結で、見事に発揮されていた。

 実際、この「夕映えに」の最後の弱音の流れがこれだけ和声的な美しさに満ち、しかも情感豊かに演奏された例は、これまで私の聴いた範囲では、稀有のものといってよい。それは「未完成交響曲」第2楽章のエンディングでも同様だったし、またその第1楽章でも管のハーモニーのバランスの良さは見事だった。━━何か今日は、こういう曲ばかり意図的に選ばれていたような気がするが・・・・。
 こういうところを、今日の大阪交響楽団は、驚くほど美しく演奏してくれた。

 もう一つ、「4つの最後の歌」の第3曲「眠りにつくとき」の中ほどでの、ヴァイオリン・ソロ(林七奈のソロが素晴らしい)の背景でゆっくりと移り変わって行く最弱音のオーケストラの叙情美も、印象に残る。フェルツはここを極めて遅いテンポで、ロマンティックな陶酔感をこめて歌い上げていた。そして、大阪響もそれに見事に応えていたのである。
 このところ、大阪のオーケストラをいくつか続けて聴く機会に恵まれているが、本気度の高い演奏に出会うことが多いのは、嬉しい。

 このフェルツの指揮、「死と変容」での激烈な個所はそれなりに劇的な表現で、リズム感も鋭い。特に後半での息の長い盛り上がりの個所は、壮大な迫力感を示して成功していた。
 遅いテンポの部分では非常に念入りに構築し、前述のような個所では、良い効果を生み出している。ただ、音型が断続する個所(「死と変容」の序奏や、「悲劇的」でのいくつかの個所)では、そのテンポの遅さがしばしば緊張感を希薄にしてしまう時がある。

 また、シューベルトの交響曲へのアプローチは、基本的にはロマンティックなスタイルと言えようか。音は分厚く、暗く、重い。「未完成」では、スタッカートも柔らかく穏やかで、全体にミステリオーゾな雰囲気さえ漂わせる。

 ソロを歌った木澤佐江子は、一昨年「ノルマ」のアダルジーザを聴いて、綺麗な声の人だな、と感心したことがあるが、今日も同様であった。ただ、彼女の声は、かなり明るい。深々と歌っているつもりでも、この曲の持つ「黄昏」的な性格━━人生の終りに近づいた感慨を歌い上げる作品の性格からすると、どうしてもまだ人生の真っ只中にいる女性の「青春の光と影」のような雰囲気を感じさせてしまうのである。もう一つ工夫が望まれるところだろう。
   別稿 モーストリー・クラシック10月号 公演Reviews

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