2017-07

2017・7・17(月)エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団

      東京芸術劇場 コンサートホール  2時

 マーラーが続く。今日のプログラムは、前半に「葬礼」、後半に「交響曲《大地の歌》」。「葬礼」は、言うまでもなく「第2交響曲《復活》」の第1楽章の原典版である。

 昨日のノットのマーラーは、あまりに剛直に過ぎて、さながら鋼鉄の如き「復活」というイメージだったが、その点、今日のインバルの指揮するそれは、やはり中庸を得たスタイルに感じられる。感情と形式感とが肉離れを起さずに均衡を保っている、と言ったらいいか。何となく安堵させられる気持になる。
 とはいえ、このインバルのマーラーだって、ある傾向の指揮者のそれに比べれば、随分強面の演奏のはずである。まして、そのかみのワルターやバーンスタイン━━この2人だって、当時はかなり違う傾向と感じられたものだが━━の指揮するマーラーがスタンダードな存在たる時代だったら、インバルのこのようなマーラーは、味も素っ気もない演奏、と言われたに違いない。

 ともあれ、そのインバルが指揮した「葬礼」と「大地の歌」━━都響(コンサートマスター四方恭子)の、これも揺るぎない演奏に反映された2曲は、いずれも見事なものだった。
 「葬礼」は、都響がこれを取り上げるのは、実に1990年の若杉弘の指揮(あの時には、「第2交響曲」の第1楽章として演奏されていた)以来27年ぶりになるが、オーケストラの能力も、あの頃とは桁違いに高くなっている。エンディングでの轟然たる引き締まった下行など、格段に凄味がある。

 「大地の歌」では、ダニエル・キルヒ(T)とアンナ・ラーション(A)がソリストに迎えられていた。
 この曲では、テノール歌手は、全く同情すべき役回りだ。どう上手く歌ったところで、声はオーケストラにマスクされてしまうのだから(マーラーがもし生前に一度でもこの曲を指揮できていたら、必ずやオケ・パートを改訂したであろう)。
 従ってキルヒのことは措くとして、やはりラーションが素晴らしい。「告別」での深みのある歌唱は感動的である。そして最後の、「Ewig・・・・ewig・・・・」という言葉が繰り返されつつ音楽が消えて行く個所━━インバルと都響による情感にあふれた演奏と併せ、美しく浄化された幕切れとなっていた。

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