11・4(水)パーヴォ・ヤルヴィ指揮シンシナティ交響楽団
(来日公演最終日)
サントリーホール
一頃はこのコンビ、果たして相性がいいと言えるのだろうか、と疑われる時期もあったが、今夜の演奏を聴くと、そんな心配も無益に終ったようだ。
プログラム後半におかれた、目当てのラフマニノフの「第2交響曲」。
この曲特有の、そこはかとない哀愁と甘美な暗さは消え、明るい陽光をあびて輝く叙情の織物――という感の演奏になっていて、あまり私の好みのタイプではないものの、まあそれはそれで善いだろう。
パーヴォはオーケストラの響きを内声部の動きがはっきり解るように音を組み立てる人ではなく、しばしばサウンドを(意図的に?)団子状態の硬い音塊にさせてしまう。それが気になるところだ。それでも、全曲最後のクライマックスでオーケストラ全体が大きく息づく個所――ラフマニノフはこういう「もって行き方」が本当に巧い――では、その豊麗な音響に、一種の名状しがたい法悦感を味わったことは事実である。
一方、アンコールの「悲しきワルツ」では、パーヴォは、その気になれば精妙な音色をオーケストラから易々と引き出せる指揮者であることを如実に証明してみせる。
その他のプログラムは、アメリカの作品である。バーンスタインの「ディヴェルティメント」、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」、最後のアンコール曲だったバーンスタインの「キャンディード」序曲、いずれもスピーディに快走するリズムの躍動が好ましく、いかにもアメリカのオーケストラらしい。
ただ、これがパーヴォとの相性というのか。何か生真面目で、解放感に今ひとつ欠ける表情なのが、物足りない。
クリスチャン・ツィメルマンがどんな「ラプソディ・イン・ブルー」を弾くのかというのも興味津々だったが、最初の方などショパンを聴いているようで、ニヤリとさせられた。彼のガーシュウィンは一風変わったもので、そういう点の面白さはあるのだが、ただあまり気勢の上らないガーシュウィンであることはたしかだ。
一頃はこのコンビ、果たして相性がいいと言えるのだろうか、と疑われる時期もあったが、今夜の演奏を聴くと、そんな心配も無益に終ったようだ。
プログラム後半におかれた、目当てのラフマニノフの「第2交響曲」。
この曲特有の、そこはかとない哀愁と甘美な暗さは消え、明るい陽光をあびて輝く叙情の織物――という感の演奏になっていて、あまり私の好みのタイプではないものの、まあそれはそれで善いだろう。
パーヴォはオーケストラの響きを内声部の動きがはっきり解るように音を組み立てる人ではなく、しばしばサウンドを(意図的に?)団子状態の硬い音塊にさせてしまう。それが気になるところだ。それでも、全曲最後のクライマックスでオーケストラ全体が大きく息づく個所――ラフマニノフはこういう「もって行き方」が本当に巧い――では、その豊麗な音響に、一種の名状しがたい法悦感を味わったことは事実である。
一方、アンコールの「悲しきワルツ」では、パーヴォは、その気になれば精妙な音色をオーケストラから易々と引き出せる指揮者であることを如実に証明してみせる。
その他のプログラムは、アメリカの作品である。バーンスタインの「ディヴェルティメント」、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」、最後のアンコール曲だったバーンスタインの「キャンディード」序曲、いずれもスピーディに快走するリズムの躍動が好ましく、いかにもアメリカのオーケストラらしい。
ただ、これがパーヴォとの相性というのか。何か生真面目で、解放感に今ひとつ欠ける表情なのが、物足りない。
クリスチャン・ツィメルマンがどんな「ラプソディ・イン・ブルー」を弾くのかというのも興味津々だったが、最初の方などショパンを聴いているようで、ニヤリとさせられた。彼のガーシュウィンは一風変わったもので、そういう点の面白さはあるのだが、ただあまり気勢の上らないガーシュウィンであることはたしかだ。