6・19(金)児玉宏指揮大阪シンフォニカー交響楽団
ジークフリート・ワーグナーの作品など
ザ・シンフォニーホール(大阪)
稀少モノのレパートリーで年間の定期のプログラムを編成し、大きな話題を呼んでいる児玉宏と大阪シンフォニカーが、今日はジークフリート・ワーグナーの歌劇「異教徒の王」間奏曲「信仰」と交響詩「幸福」を、そして第2部ではブルッフの「交響曲第3番ホ長調作品51」を取り上げた。
CDでならともかく、生演奏では二度と聴く機会がなさそうな作品ばかりである。
ジークフリート・ワーグナーは、あの大リヒャルトの息子。「ジークフリート牧歌」の主人公である。母コージマの下でバイロイト音楽祭を主宰する一方、作曲家・指揮者としても活動した人だが、「偉大な父」の傘の中では、さぞや気苦労も大きかったろう。
この2つの作品からも、何か不思議にそのジレンマのようなものが伝わって来る。前者は1913年、後者は1923年の作品だとのことだが、いずれも20世紀に生まれた作品とは思えないほど過去の遺産に寄り掛かった作風を示しており、リストやブルックナー、フンパーディンク、それに保守回帰したあとのR・シュトラウスらの作風を追ったような音の世界になっている。
人格者として定評のあったジークフリートが、父の影響から脱しようともがいた挙句に行き着いたところは、その人柄ゆえに、せいぜいここまでだったのかもしれない。
前者は7分ほど、後者は30分近い演奏時間だったろうか。さほど面白い作品とはいえなかったが、美しくロマンティックな曲であったことは確かだ。
とにかく、ワーグナー一族の伝記を読んだだけであれこれ彼について語るのではなしに、実際に彼の音楽そのものを聴いて見なければ話にならないわけで、その意味ではこの2つの作品をナマで聴けたことは、本当に得がたい体験であった。演奏者には感謝を捧げたい。
曲そのものが沸き立つような性格のものではないので、演奏も比較的地味な印象になってしまったが、しかし手堅くしっくりと纏まった誠実な演奏であった。
休憩後は、ブルッフの第3交響曲。こちらは1882年の作曲。紛れもなくブルッフの語法を持ったドイツ・ロマン派の作風である。演奏時間も40分ほどを要した。第3楽章には一瞬ながらブルックナー的な曲想も現われたが、多分偶然に過ぎないだろう。
児玉と大阪シンフォニカーは、きわめて均衡の取れた響きで、がっしりとこの曲を構築していた。これも滅多にナマでは聴けない作品だけれど、このようにきちんとした演奏で聴かせてくれると、われわれも作品についての正確な判断をすることができる。
客席は、ステージの両側とオルガン下のブロックに空席があったものの、その他は結構な入り。こういう意欲的で大胆なプログラム編成がどんな反応を呼ぶかが心配だったが、オーケストラ側にもいろいろと試行錯誤があるだろう。
来年のシーズンのプログラムも既に発表された。それを見ると、やはりスタンダードなレパートリーがかなり復活して来ているようである。
稀少モノのレパートリーで年間の定期のプログラムを編成し、大きな話題を呼んでいる児玉宏と大阪シンフォニカーが、今日はジークフリート・ワーグナーの歌劇「異教徒の王」間奏曲「信仰」と交響詩「幸福」を、そして第2部ではブルッフの「交響曲第3番ホ長調作品51」を取り上げた。
CDでならともかく、生演奏では二度と聴く機会がなさそうな作品ばかりである。
ジークフリート・ワーグナーは、あの大リヒャルトの息子。「ジークフリート牧歌」の主人公である。母コージマの下でバイロイト音楽祭を主宰する一方、作曲家・指揮者としても活動した人だが、「偉大な父」の傘の中では、さぞや気苦労も大きかったろう。
この2つの作品からも、何か不思議にそのジレンマのようなものが伝わって来る。前者は1913年、後者は1923年の作品だとのことだが、いずれも20世紀に生まれた作品とは思えないほど過去の遺産に寄り掛かった作風を示しており、リストやブルックナー、フンパーディンク、それに保守回帰したあとのR・シュトラウスらの作風を追ったような音の世界になっている。
人格者として定評のあったジークフリートが、父の影響から脱しようともがいた挙句に行き着いたところは、その人柄ゆえに、せいぜいここまでだったのかもしれない。
前者は7分ほど、後者は30分近い演奏時間だったろうか。さほど面白い作品とはいえなかったが、美しくロマンティックな曲であったことは確かだ。
とにかく、ワーグナー一族の伝記を読んだだけであれこれ彼について語るのではなしに、実際に彼の音楽そのものを聴いて見なければ話にならないわけで、その意味ではこの2つの作品をナマで聴けたことは、本当に得がたい体験であった。演奏者には感謝を捧げたい。
曲そのものが沸き立つような性格のものではないので、演奏も比較的地味な印象になってしまったが、しかし手堅くしっくりと纏まった誠実な演奏であった。
休憩後は、ブルッフの第3交響曲。こちらは1882年の作曲。紛れもなくブルッフの語法を持ったドイツ・ロマン派の作風である。演奏時間も40分ほどを要した。第3楽章には一瞬ながらブルックナー的な曲想も現われたが、多分偶然に過ぎないだろう。
児玉と大阪シンフォニカーは、きわめて均衡の取れた響きで、がっしりとこの曲を構築していた。これも滅多にナマでは聴けない作品だけれど、このようにきちんとした演奏で聴かせてくれると、われわれも作品についての正確な判断をすることができる。
客席は、ステージの両側とオルガン下のブロックに空席があったものの、その他は結構な入り。こういう意欲的で大胆なプログラム編成がどんな反応を呼ぶかが心配だったが、オーケストラ側にもいろいろと試行錯誤があるだろう。
来年のシーズンのプログラムも既に発表された。それを見ると、やはりスタンダードなレパートリーがかなり復活して来ているようである。