6・12(金)ウラジーミル・スピヴァコフ指揮
ロシア・ナショナル・フィルハーモニー交響楽団
サントリーホール
スピヴァコフが指揮台に上って、指揮棒を振り上げる。「ロメオとジュリエット」(チャイコフスキー)の最初の音を予想した瞬間、始まったのは「君が代」。誰しも不意を衝かれたという感だったろう。両国国歌の演奏の最中、外国人客も含めて、起立したのは多くても10人程度か。いずれにせよコンサートホールでは、それぞれの考えに任せれば充分。しかしこの国歌の響きから早くも、噂に聞くこのロシア・ナショナル・フィルが本当にいい音色を持った優秀なオーケストラである――ということが聴き取れたのは事実であった。
プーチン大統領の肝煎りで2003年に創設されたこのオーケストラ、たしかに優秀な楽員を揃えているようである。個々の奏者の技量も基本的にしっかりしているし、とりわけ弦の音色の瑞々しい輝かしさは、「ロシアの弦」の伝統を受け継ぐものだ。
チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」と「アンダンテ・カンタービレ」(チェロとオーケストラによる版)、休憩後のショスタコーヴィチの「第5交響曲」など、いずれも厚みのある明るく洗練された音色、均衡の保たれた響きにあふれていた。
ただ、それはいいのだが、肝心の芸術監督・首席指揮者のスピヴァコフの指揮が――昔とほとんど変わっていない。
特に今日は、終始イン・テンポの指揮。しかも音楽のエスプレッシーヴォにも、曲想に応じて刻々変化するといった要素が皆無なのだ。要するに、演奏が何とも単調なのである。
かようにサウンドを磨くことだけにこだわった演奏では、作品本来の美しさ以上のものは創り出せまい。その意味で、「ロメオ」も「ロココ」も「カンタービレ」も、金太郎飴みたいに一本調子な演奏であった(ソロのガブリエル・リプキンも今日は彼に似合わず音楽にノリが不足していたようだ)。
むしろ、アンコールでの3曲――シュニトケの「アダージョ」、チャイコフスキーの「チャールダシュ」と「トレパック」――のような軽い小品の場合は、彼らのしなやかな響きが存分に生きる。特に「チャールダシュ」の最初のラーシュ(ラッサン)における驚異的に艶っぽい弦の音色は、なるほどこれぞハンガリー民族舞曲の味か、と思わせるほどであった。
スピヴァコフが指揮台に上って、指揮棒を振り上げる。「ロメオとジュリエット」(チャイコフスキー)の最初の音を予想した瞬間、始まったのは「君が代」。誰しも不意を衝かれたという感だったろう。両国国歌の演奏の最中、外国人客も含めて、起立したのは多くても10人程度か。いずれにせよコンサートホールでは、それぞれの考えに任せれば充分。しかしこの国歌の響きから早くも、噂に聞くこのロシア・ナショナル・フィルが本当にいい音色を持った優秀なオーケストラである――ということが聴き取れたのは事実であった。
プーチン大統領の肝煎りで2003年に創設されたこのオーケストラ、たしかに優秀な楽員を揃えているようである。個々の奏者の技量も基本的にしっかりしているし、とりわけ弦の音色の瑞々しい輝かしさは、「ロシアの弦」の伝統を受け継ぐものだ。
チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」と「アンダンテ・カンタービレ」(チェロとオーケストラによる版)、休憩後のショスタコーヴィチの「第5交響曲」など、いずれも厚みのある明るく洗練された音色、均衡の保たれた響きにあふれていた。
ただ、それはいいのだが、肝心の芸術監督・首席指揮者のスピヴァコフの指揮が――昔とほとんど変わっていない。
特に今日は、終始イン・テンポの指揮。しかも音楽のエスプレッシーヴォにも、曲想に応じて刻々変化するといった要素が皆無なのだ。要するに、演奏が何とも単調なのである。
かようにサウンドを磨くことだけにこだわった演奏では、作品本来の美しさ以上のものは創り出せまい。その意味で、「ロメオ」も「ロココ」も「カンタービレ」も、金太郎飴みたいに一本調子な演奏であった(ソロのガブリエル・リプキンも今日は彼に似合わず音楽にノリが不足していたようだ)。
むしろ、アンコールでの3曲――シュニトケの「アダージョ」、チャイコフスキーの「チャールダシュ」と「トレパック」――のような軽い小品の場合は、彼らのしなやかな響きが存分に生きる。特に「チャールダシュ」の最初のラーシュ(ラッサン)における驚異的に艶っぽい弦の音色は、なるほどこれぞハンガリー民族舞曲の味か、と思わせるほどであった。