2008-09

9・6(土)大野和士のオペラ・レクチャーコンサート

   テアトロ ジーリオ ショウワ

 小田急は新百合ヶ丘にある昭和音大のオペラ劇場。

 このシリーズは大変な人気である。私もこれまでに何度か聴きに行ったが、とにかく面白い。
 大野和士がみずからピアノを弾きつつ、ゲスト歌手たち(今回は黒木真弓、藤田美奈子、西村悟ほか)にも歌ってもらいながら、オペラについてのさまざまな話を展開する講座だ。漫談みたいなところもある彼独特の話術がなんとも楽しい。オペラの音楽がかくもニュアンス豊富で表情豊かで、しかもすべてを語りつくしているのだということを、実に解りやすく解説しているところが見事である。
 こういう話を聞くと、演出ばかりに気をとられず、もっと音楽の一つ一つの個所――わずか一つのフレーズ、一つの音符、一つのクレッシェンドがどれほど雄弁に登場人物の性格を描き出しているかを味わおうではないか、という気持が起こってくるだろう。

 今年のテーマは、「オペラに咲く悪の華」で、「マクベス」のマクベス夫人、「ローエングリン」のオルトルート、「リゴレット」のマントヴァ公爵、「トスカ」のスカルピアを素材に、悪玉あってこそ善玉が引き立つのだという話。
 実は私も、毎年担当している早稲田大学エクステンション・センターのオペラ講座で昨年「悪役の本領ここにあり」というテーマでヴィデオの映像を使い、さまざまな悪役の魅力を探ったことがある。が、話を「水戸黄門」や「遠山の金さん」から始めたり、生身のゲスト歌手を使って(指揮者の威令?で歌手に指示も出す)大野の巧さには感服する。

9・5(金)ティエリー・フィッシャー指揮名古屋フィル

   愛知県芸術劇場コンサートホール

 名古屋フィルの新常任指揮者、ティエリー・フィッシャーの評判がすこぶる高いので聴きに行ってみた。
 スイス生れ、51歳、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団首席指揮者との兼任(このオーケストラの桂冠指揮者は尾高忠明である)。以前はハンブルク州立歌劇場などのフルート奏者だった由。なるほど、1984年の同劇場来日公演のプログラムを引っ張り出して見たら、メンバー表に「ティールリー(!)・フィッシャー」という名前が載っていた。

 噂にたがわず、好い指揮者である。隈取りの明確な、引き締まった音楽をつくる人で、ちょっとクリスティアン・アルミンクを連想させるクールなところもあるが、彼よりは音楽の表情がもう少し温かく柔らかく、ロマンティックな感性もやや強いかとも思われる。
 休憩後に演奏された「ダフニスとクロエ」全曲など、大編成のオーケストラを楽々と鳴らして、豊麗かつ豊満な音色を存分に展開してくれた。

 第1部の2曲目におかれた武満徹の「ファンタズマ/カントス」は、これはもういかにも外国人指揮者によるタケミツといった感じで、メリハリの非常に強い、時に剛直な面さえ感じさせる演奏。
 作曲者の言う「日本庭園の情景の変化」に従えば、沈潜した光景の中にも時に湧き上がる不動の力があり、しかもその移り変わる景観の一つ一つに明確な区切りが付けられている、という印象なのである。
 私は日本人指揮者による「武満」演奏におけるような、なだらかで瞑想的な美を感じさせる演奏も懐かしくて好きだが、このように外国人が感じる「武満の美」の表現も、新鮮に感じられて好きだ。ただし、クラリネット・ソロは亀井良信。

 プログラム冒頭には、メシアンの「キリストの昇天」。ここでもフィッシャーは、音を明確に縁取りして響かせる。金管、次に木管、やがて弦、と音色が次第にふくらんで来る過程でのオーケストラの鳴らし方もすこぶる巧い。ジャン・フルネが都響を振った時に聴かれた一種の陶酔感のようなものはここにはないけれども、それはないものねだりというものであろう。

 この3曲のプログラム、音楽の性格の上で、実に巧く繋がっている。コンセプトとしても見事に設計された選曲だ。
 それはいいのだが、実際に続けて聴いてみると、特に第1部では、ほぼ同系統のゆっくりしたテンポ(感覚の上でだが)が正味40数分、この間ずっと緊張感を保ち続けるのは、いささかの心理的重圧を免れぬ。しかも「ダフニス」にしたところで(音楽の細かい動きはあるけれど)緊張を解放するような速いテンポとフォルティシモは、40分の全曲中でも数えるほどしかないのだ。あまり巧すぎる選曲も、時にはよしあしか。

 名古屋フィルは、実に多彩な音色をもつオーケストラになった。メシアン冒頭の金管のコラールなど、なんと均整の取れた響きかと感嘆する。ただし弦が、速いパッセージではそう目立たないのだが、遅いテンポでじっくりと歌う個所などで粗さがあるのが惜しいところだ。しかし、最後の「ダフニスとクロエ」では、大体うまく行っていた。細かいところではいろいろあったが、多分2日目の演奏では改善されるたぐいのものだろう。

 「のぞみ」が満席なので、「ひかり」で帰京。

9・2(火)サイトウ・キネン・フェスティバル 「利口な女狐の物語」

      まつもと市民芸術館

 再び松本へ。
 昨年の「スペードの女王」に続き、今年も小澤征爾のプロデュースによる「サイトウ・キネン・オペラ」は成功を収めた。

 彼とヤナーチェクの音楽は、以前の「イェヌーファ」でも証明されたことだが、相性のいいものに属するだろう。特に今日の演奏では、この作品の持つ叙情性が存分に浮き彫りにされ、「愛の場面」や終幕の場面などでのしみじみとした情感もすばらしい。オーケストラの音色の美しさも特筆されてよい。さすが最終上演ともなると練れてくるものである。

 ロラン・ペリーが演出と衣装を担当した舞台は温かく愛らしく、狐をはじめ、蠅、蚊、ヒヨコ、蛙など、動物たちの扮装とメイクと演技は、実にリアルさをきわめて楽しい。
 登場する人間たちと動物たちは特に仲良く暮らしているわけではないのだが、それにもかかわらずこの舞台に感じられるのは人間と動物との愛であり、地球への愛、自然への愛なのだ。
   グランドオペラ2008年秋号(10月18日発売)

9・1(月)ペーター・コンヴィチュニー、ワーグナー演出を語る

   ドイツ文化会館

 二期会の「エフゲニー・オネーギン」演出のため来日中のコンヴィチュニーが、ワーグナー協会の例会に登場した。
 私は特にコンヴィチュニー信奉者ではないけれども、彼の演出は既に十数本観る機会を得ている。なるほどと感心させられるもの、反発したくなるもの、ブーイングしたくなるもの、いろいろあるのだが、少なくとも今日聴いた彼の話はすこぶる面白かった。

 「意味を理解するためには文字を変えなくてはならないことがある」という諺がドイツにはある、と彼は言う。
 つまり、古い言葉で語られたものを理解するには、時には現代語に翻訳する必要が生じる、という意味だろう。いわゆる「読み替え」(ここでは不適当な表現だが)の原点はここにある、ということか。
 そして彼の話は続く。
 「さまよえるオランダ人」第2幕で女たちが糸を紡ぐ行動は、彼女たちがせっせと働くことにより男に気に入られようとしていることを表わす。
 では現代だったら、何をすることで男の歓心を買うだろうか。たとえばスポーツクラブに通って、容姿を磨くことに専念するだろう。かくして第2幕冒頭は、女たちがいっせいに運動用の自転車のペダルを踏み続けている場面に設定される、と彼は説明する。

 その他、権力の基盤の上に作られる人生か、それとも愛の基盤の上に作られる人生かを択一せよ、と迫ることこそ、ワーグナーが「指環」でわれわれに突き付けているメッセージである、という話。あるいは、「劇場の役割と意味」のような話なども。

 なお、「パルジファル」(08年3月20日の項参照)第1幕で巨樹の中から出現する「聖母マリア」はクンドリーである、という説明もあって、これはたしかにコロンブスの卵的な発想であったと思い当たる。
 彼曰く、「日本ではどうか知らないが、西洋では、女性は二つに分類される。聖母か、あるいは娼婦かだ」。

«  | HOME |  »

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」

最近の記事

お知らせ

●旅行日記(8/15〜20)を更新しました。(8/23)
6・26(木)マッシモ・ザネッティ指揮NHK交響楽団を更新しました。(8/18)
7・31(木)ファビオ・ルイジ指揮PMFオーケストラを更新しました。(8/9)
7・12(土)PMF/準・メルクル指揮PMFオーケストラを更新しました。(8/9)
6・20(金)児玉宏指揮大阪シンフォニカー交響楽団を更新しました。(7/18)
6・5(木)ラザレフ指揮読売日響定期 チャイコフスキー・プロを更新しました。(7/18)
6・3(火)パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団を更新しました。(7/18)
5・30(金)日本フィル第600回(東京)記念定期を更新しました。(7/18)
5・28(水)広上淳一指揮水戸室内管弦楽団を更新しました。(7/18)
5・27(火)クリストフ・エッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管弦楽団を更新しました。(7/18)
●7・4〜7・7 旅行日記をアップロードしました。(7/9)

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

Since
September 13, 2007

Visitors