4・16(水)ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団
東京オペラシティコンサートホール
「幻想交響曲」では、ハープが何と6台、下手にズラリ並ぶ。豪勢なものだが、随分コスト比が悪かろう。
弦は一昨日と同様18型で、管も倍加されているものがあるため、ステージはあふれんばかり。この壮大志向ならば、もしや旧版のコルネットのパートも復活か、と期待したが、それは果たされなかった(舞踏会の場面にあれが入ると、実に華やかでいいのだが)。
プログラムは、前半にその「幻想」が演奏され、後半に「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲と愛の死」、そして「ボレロ」という配列。
音色の壮麗なこと、和声のバランスの良さは一昨日と同じで、ケントがこのオーケストラを既に完全に把握していることをうかがわせる。
その美感が最大限に発揮されたのは、意外にも「トリスタン」の前奏曲であった。しかし、それはいかにも音響的に快い音楽であるとはいえ、それ以上には踏み込まないところに、ある種のもどかしさを感じさせる。灼熱の愛も苦悩も、この音楽からは伝わってこない。だがそれがケントの音楽の個性なのだろう。冷たく醒めた音楽だと言っているのではない。「前奏曲」や「愛の死」での大きなクレッシェンドの個所で、ケントはテンポをぐいぐいと速めて行く。彼なりのスタイルで激しい感情の高まりを描き出していることは事実なのだ。
アンコールでは、14日の演奏会におけるものと全く同じ3曲が同じ順序で演奏された。とりわけシューベルトの「ロザムンデ」間奏曲における最弱音の美しさは、それはもう陶酔的でさえあった。2種類のプログラムを聴いて最も感銘を受けたのは、この泡立ちクリームのように柔らかく拡がって行く弱音の響きだったのである。
「幻想交響曲」では、ハープが何と6台、下手にズラリ並ぶ。豪勢なものだが、随分コスト比が悪かろう。
弦は一昨日と同様18型で、管も倍加されているものがあるため、ステージはあふれんばかり。この壮大志向ならば、もしや旧版のコルネットのパートも復活か、と期待したが、それは果たされなかった(舞踏会の場面にあれが入ると、実に華やかでいいのだが)。
プログラムは、前半にその「幻想」が演奏され、後半に「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲と愛の死」、そして「ボレロ」という配列。
音色の壮麗なこと、和声のバランスの良さは一昨日と同じで、ケントがこのオーケストラを既に完全に把握していることをうかがわせる。
その美感が最大限に発揮されたのは、意外にも「トリスタン」の前奏曲であった。しかし、それはいかにも音響的に快い音楽であるとはいえ、それ以上には踏み込まないところに、ある種のもどかしさを感じさせる。灼熱の愛も苦悩も、この音楽からは伝わってこない。だがそれがケントの音楽の個性なのだろう。冷たく醒めた音楽だと言っているのではない。「前奏曲」や「愛の死」での大きなクレッシェンドの個所で、ケントはテンポをぐいぐいと速めて行く。彼なりのスタイルで激しい感情の高まりを描き出していることは事実なのだ。
アンコールでは、14日の演奏会におけるものと全く同じ3曲が同じ順序で演奏された。とりわけシューベルトの「ロザムンデ」間奏曲における最弱音の美しさは、それはもう陶酔的でさえあった。2種類のプログラムを聴いて最も感銘を受けたのは、この泡立ちクリームのように柔らかく拡がって行く弱音の響きだったのである。