2008-03

3・16(日)旅行日記第2日
ザルツブルク・イースター音楽祭 小澤征爾

  ザルツブルク祝祭大劇場

 「ヘルベルト・フォン・カラヤン記念コンツェルト」と題され、今年が生誕100年にあたるカラヤンに捧げられた演奏会。
 彼の愛弟子オザワをゲスト指揮者に、カラヤンに見出されたアンネ・ゾフィー・ムターをソリストに迎えるという趣向。凝った企画だ。

 小澤征爾は、先年この音楽祭にゲスト指揮者として招かれながら病気のためキャンセルした経緯があった。その時はたしかベートーヴェンの第7交響曲か何かを振るはずだったと思うが、しかし今回は、カラヤンがショスタコーヴィチの交響曲の中で唯一レパートリーにしていた「交響曲第10番」を依頼されたわけで、これはむしろオザワにとってもいろいろな意味で好都合だったのではなかろうか。
 彼もショスタコーヴィチの中では「5番」と「10番」をレパートリーにしているのだし、それにこのような現代ものの方が、彼としても聴衆をねじ伏せやすいだろう。

 その「10番」、激烈なアレグロの第2楽章では、予想通りベルリン・フィルのすさまじい音響的威力を存分に発揮させた。とはいえこの曲には、むしろ叙情的要素の方が多く、その部分で小澤の感性がより映える。
 私の席は前日と同じ場所だったので、オーケストラの音色はやや淡彩に聞こえ、陰翳にも不足するように感じられ、もっと前方で聴けたらという思いがしきりであった。だが第3楽章における、いわゆるショスタコーヴィチの名のモノグラム(D−Es−C−H)を提示する木管のリズムの響きの良さ、それにホルンの名手バボラークが朗々と吹くエリミーラ・ナジーロワ(ショスタコーヴィチが秘かに憧れたという若い女性)の名のモノグラム(E−A−E−D−A)の爽快な美しさなど、作品のポイントも充分に描かれていた。もっとも、オザワはもともとそのような標題音楽的な要素にはこだわらないタイプの指揮者だけれども。

 プログラム前半は、ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」。
 小澤の指揮はこれも予想通りで、第1楽章第2主題に向かう個所での16分音符など、思わず苦笑させられるほど几帳面なものであったが、ここぞという個所ではピタリと「決める」のが彼らしい。展開部冒頭のテュッテイは実に壮大であり、このあたりからオーケストラとの呼吸が合ってきたのではないかと思う。
 ところでムターの演奏だが、これまた彼女の最近の境地を示すがごとく個性の強いもので、特にカデンツァでは緩急自在の妙味を示し、あたかもベートーヴェンの作品の様式を基本にしながらも自由奔放な飛翔躍動を試みるように多彩な表現を聴かせていた。極限の最弱音を求めた第2楽章と、激情に満ちた第3楽章との対比も素晴らしい。この協奏曲をこれほど面白く聴けたのは久しぶりという気もする。

 話はオザワに戻るが、交響曲が終った後の拍手と歓声は、身贔屓の日本人(つまり私のことだ)がうれしくなるほどの盛大さだった。第1チクルスには日本人客は少ないから、拍手は欧州の聴衆から出ているのである。楽屋にはエリエッテ女史(カラヤン夫人)らも来て、かなり賑やかだったのに一安心。何せ昨年ウィーンでの「復活」(5月17日)終演後の楽屋があまりに寂しく、私も心を痛めていたので・・・・。

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