1・28(月)ゲルギエフ指揮マリインスキー・オペラ
プロコフィエフ「三つのオレンジへの恋」
東京文化会館
正直なところプロコフィエフの音楽は、以前には何度聴いても興味が湧かなかったのだが、最近になって突然好きになり出した。
そのきっかけたるや、数年前にメトロポリタン・オペラでゲルギエフやノセダが指揮した「戦争と平和」に接したときだったのだから、われながらちょっと変わった趣味だと思う。余談ながら、今年秋には東京で、ゲルギエフとロンドン響によるプロコフィエフの交響曲全曲チクルスがある。その際には、どっぷりとまたプロコフィエフの世界に漬かってみたいものだ。
ゲルギエフが指揮するプロコフィエフの作品は、これまでにもCDやナマでかなりたくさん聴いてきたが、いかにもロシア的な濃厚な色彩を備えていて、しかもラディカルなエネルギーを放射する演奏であるところに、私は興味を持っている。「三つのオレンジへの恋」でも同様。もともとこのオペラの音楽はかなり躁状態(?)なものだが、ゲルギエフの指揮もそれに即して、特に前半など、沸騰するような熱気があふれていた。
歌手陣も、マリインスキーの若い世代が大活躍だ。この数年来、めきめきと実力を伸ばしてきた若手の旗手ダニール・シトーダは、今回は少しコミカルな鬱病の王子を歌い演じて光っていた。今日の主役たちの中でのベテラン格といえば、王様役のゲンナジー・ベズズベンコフくらいなものだろう。本当にマリインスキー・オペラというところは、あとからあとから若い優秀な歌手がひきも切らずに出てくるのに驚かされる。
演出は、評判の演劇演出家アラン・マラトラ(今回の公式プログラムには何故か演出家の紹介が全然載っていない)。あまりにシンプルな舞台なので、記録ビデオで見たときにはその真価を測りかねたが、やはり実際の舞台を見てみないと本当のところはわからないものだ。なかなかに要を得た舞台である。装置(ダニエラ・ヴィラレ担当)も、せいぜい紗幕と、その他若干の道具ていどだが、なかなか洒落た味を感じさせる。それだけでも充分といえよう。
劇中に絡んでくる喜劇支持派と悲劇支持派のグループは、客席から乱入して応酬しあう趣向。そのため、演奏開始前から客席には賑やかな雰囲気があふれる。このあたりの「クサくない」芝居は、残念ながらわれわれ日本人にはとても真似できない種のものだろう。
ただ、以前からこの作品に関して疑問をもっていたことだが、その場外乱闘的なグループの存在と、ドラマ本体との関連が、音楽上でも作劇上でも、いま一つかみ合っていないように感じられてならないのだ。
これはもちろん、演出にもよるだろう。しかし才人マラトラの手腕をもってしても、やはりそれが解決されていないように思われるのは、結局は作品自体の問題ではなかろうか。おそらくそれが最も巧妙に組み合わされている例は、ホフマンスタールとR・シュトラウスによる「ナクソス島のアリアドネ」ではないかと思うのだが如何。
ともあれ、簡素だが明るくカラフルな舞台、ヴォルテージの高い演奏。このプロダクション、予想外に愉しい。
正直なところプロコフィエフの音楽は、以前には何度聴いても興味が湧かなかったのだが、最近になって突然好きになり出した。
そのきっかけたるや、数年前にメトロポリタン・オペラでゲルギエフやノセダが指揮した「戦争と平和」に接したときだったのだから、われながらちょっと変わった趣味だと思う。余談ながら、今年秋には東京で、ゲルギエフとロンドン響によるプロコフィエフの交響曲全曲チクルスがある。その際には、どっぷりとまたプロコフィエフの世界に漬かってみたいものだ。
ゲルギエフが指揮するプロコフィエフの作品は、これまでにもCDやナマでかなりたくさん聴いてきたが、いかにもロシア的な濃厚な色彩を備えていて、しかもラディカルなエネルギーを放射する演奏であるところに、私は興味を持っている。「三つのオレンジへの恋」でも同様。もともとこのオペラの音楽はかなり躁状態(?)なものだが、ゲルギエフの指揮もそれに即して、特に前半など、沸騰するような熱気があふれていた。
歌手陣も、マリインスキーの若い世代が大活躍だ。この数年来、めきめきと実力を伸ばしてきた若手の旗手ダニール・シトーダは、今回は少しコミカルな鬱病の王子を歌い演じて光っていた。今日の主役たちの中でのベテラン格といえば、王様役のゲンナジー・ベズズベンコフくらいなものだろう。本当にマリインスキー・オペラというところは、あとからあとから若い優秀な歌手がひきも切らずに出てくるのに驚かされる。
演出は、評判の演劇演出家アラン・マラトラ(今回の公式プログラムには何故か演出家の紹介が全然載っていない)。あまりにシンプルな舞台なので、記録ビデオで見たときにはその真価を測りかねたが、やはり実際の舞台を見てみないと本当のところはわからないものだ。なかなかに要を得た舞台である。装置(ダニエラ・ヴィラレ担当)も、せいぜい紗幕と、その他若干の道具ていどだが、なかなか洒落た味を感じさせる。それだけでも充分といえよう。
劇中に絡んでくる喜劇支持派と悲劇支持派のグループは、客席から乱入して応酬しあう趣向。そのため、演奏開始前から客席には賑やかな雰囲気があふれる。このあたりの「クサくない」芝居は、残念ながらわれわれ日本人にはとても真似できない種のものだろう。
ただ、以前からこの作品に関して疑問をもっていたことだが、その場外乱闘的なグループの存在と、ドラマ本体との関連が、音楽上でも作劇上でも、いま一つかみ合っていないように感じられてならないのだ。
これはもちろん、演出にもよるだろう。しかし才人マラトラの手腕をもってしても、やはりそれが解決されていないように思われるのは、結局は作品自体の問題ではなかろうか。おそらくそれが最も巧妙に組み合わされている例は、ホフマンスタールとR・シュトラウスによる「ナクソス島のアリアドネ」ではないかと思うのだが如何。
ともあれ、簡素だが明るくカラフルな舞台、ヴォルテージの高い演奏。このプロダクション、予想外に愉しい。