2007-09

9・6(木)ロリン・マゼール指揮トスカニーニ交響楽団

 サントリーホール

 Symphonica Toscaniniというのがこのオケの名称だ。年間80回の公演(うち外国公演が50回)を行なうプロ・オケとのこと。ステージの雰囲気はなかなか陽気で、アカデミー生のオケみたいに見えるが、腕利き集団らしく、技術的な力量は相当なものである。音楽監督はロリン・マゼール。

 演奏は徹底的にマゼール色に染められたものといえよう。リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」は豪快かつ雄大に開始され、厚みのある豪華な、地を揺るがすような響きが展開していく。いかにも大艦巨砲主義的な音楽で、その物々しさに反発する聴き手もいるかもしれないが、とにかくこれが現在のマゼールの指揮のスタイルなのだ。
 第1楽章で3連音符の主題を奏する木管を取り囲む全管弦楽の豊満な拡がりなども見事なもの。マゼールという人は何と巧くオーケストラを制御する指揮者なのだろうと、あらためて感心してしまう。情熱的なソロを弾くコンサートミストレスは大仰な語り口のシェエラザードという感じだが、マゼールのスタイルに合っているかもしれない。4つの楽章は、ほとんど切れ目なしに演奏された。
 
 そのあと陰アナが入り、今日71歳で世を去ったパヴァロッティを追悼する名目でヴェルディの「運命の力」序曲が演奏された。これも壮大な演奏である。

 休憩後はまずルーセルの「バッカスとアリアーヌ」第2組曲。この曲をナマで聴く機会は滅多にない。スペクタクルで面白いが、オーケストラの声部はやや放縦な響きに聞こえる。カットなしで演奏してくれたのはうれしい。

 最後はR・シュトラウスの「サロメ」の最終場面。演奏前の陰アナによるストーリイ説明は語尾が明確でなく(このようなよく響くホールでPAを利用する時には、普通以上に明確な発音が必要なのだ)しかも長すぎる。
 ソロはナンシー・グスタフソンだったが、この人はあまり大きなビンビン響く声のソプラノではないので、18型に近い編成のオーケストラにほとんどの歌唱パートが消されてしまった。といって、オーケストラの編成を縮小したり、無理に音量を抑制したら、シュトラウスの魅力が失われてしまう。
 数年前にルツェルン音楽祭で聴いた「4つの最後の歌」のときも、クラウディオ・アバドはルネ・フレミングの声がかき消されるのもかまわず、18型のオーケストラをふつうに鳴らしていった。指揮者には、妥協できないこともあるらしい。
「音楽の友」11月号演奏会評

9・6(木)サマーフェスティバル20周年記念特別演奏会
ジョン・ケージ:ユーロペラ5(日本初演)

 サントリーホール小ホール

 ジョン・ケージの偶然性音楽のスタイルによるオペラ。昼夜2回公演のうちの、これは昼間の部で、1時間程度の上演時間。

 舞台裏から聞こえるラジオの音、舞台上の旧いラッパ式蓄音機から流れるオペラのアリア、ピアノのナマ演奏、天羽明恵と小山由美がア・カペラで歌うアリアなどが交錯。不思議な世界である。よくできた演奏だと感心したが、しかしチャンス・オペレーションであるというイメージがどうしてもつかめない。なぜか、すべて巧妙に、綿密に計算された構成という印象を受けてしまうのである。

 ずいぶん昔のことだが、まだ若かったジョン・ケージが来日して、草月会館などで「演奏」を聴かせてくれたのを、おぼろげに記憶している。曲名は忘れたが、舞台上でピアニストが鍵盤をたたいたり、ピアノの中に物を挟んだりしながらアクションをやっていると、突然客席の通路をケージ自身が長い棒のようなものを持ち、それで床の上をガーガーと音をたてて擦りながら、ゆっくりと通りすぎていった。そのときの、若干の可笑しさを含んだ不思議な緊張感を、今でも忘れることはできない。

 チャンス・オペレーションの演奏というのは、それを本来の意味にふさわしい形ではっきりと聴衆に印象づけるのは、思えば至難の業かもしれない。楽譜どおりに演奏することより、よほど難しいことなのかもしれない。

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