2007-08

2007・8・21(火) ザルツブルク音楽祭
 ベルリオーズ:歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ」

      ザルツブルク祝祭大劇場  7時

 実はこれが今年のお目当てだったのだが、予想に反して大暴落株。これまでザルツブルクで観てきた数十本のオペラの中でも、これは最も騒然・雑然たる演出のプロダクションである。演出と舞台美術はフィリップ・シュテルツル。

 こういう娯楽スペクタクル超大作も一つくらいはあってもいいが、全編にわたって騒々しい舞台では、観る方もだんだんうんざりして来るというものだ。
 謝肉祭の喧騒と乱痴気騒ぎは確かにこのオペラの重要なモティーフであり、それを主要な背景とした意図そのものは、間違いではない。
 ただ、第1幕フィナーレはそれでもいいとしても、第2幕大詰の「ペルセウス像鋳造の場」はもっとシリアスであるべきだろう。せめて出来上がった「像」でも見せればドラマとして引き締まったのではないかと思うがそれも無く、大窯から金属(スモーク)が吹きこぼれ、大群衆が喜び騒ぐだけという、ストーリイをよく知らない人にとっては訳がわからないであろうフィナーレ。ただ大仰な舞台装置と、人々のひしめき合う光景だけが目に残った。

 その装置は、とにかくカネのかかったものだろう。凝った箇所もある。冒頭の屋上テラスの場面では、夜の大都会にネオンが輝き、ヘリが飛び、花火が上がり、大雷雨もあるという映像演出が繰り広げられ、前景の煙突からはのべつ濛々たる煙が吹き出す。大爆発もあり(いくつかはオリジナルの台本にも大砲音や窯の爆発として指定されてはいるものだが)乱闘もある。
 映像上のヘリが屋上に近づき、いったん下へ姿を消すと、入れ替わりに本物のヘリ(にそっくりの装置)が上がって来て、そこからチェルリーニが降りて来るシーンでは、客席からどよめきが起こったほどだった。

 タイトルロールの、破天荒な性格をもつ親分肌の彫金師ベンヴェヌート・チェルリーニを歌ったのは、ブルクハルト・フリッツ。ニール・シコフがキャンセルしたあと全公演を引き受けたが、力演だ。テレーザ役はマイヤ・コヴァレフスカで、歌は普通だが、すこぶる可愛い。
 仇役ともいうべきフィエラモスカを演じたローラン・ナウリは、ふだんは凄味のあるいかつい顔つきの性格派バスだが、今回は意外な3枚目を熱演。歌も演技もすばらしく達者だったが、客の拍手はそれほどでもないのが解せない。

 教皇クレメンス7世にはミハイル・ペトレンコが出ていたが、これもこの喧騒の舞台では特に存在感を示すことはできなかった。チェルリーニの弟子アスカーニオ(ケート・アルドリッチ)は何とロボットという設定で、ギクシャクと歩き(他にも召使やら軍人やらにロボットが多数登場する)、第2幕ではバラバラにされたあげく、生首の姿でアリアを歌う。当初この役に予定されていたのはヴェッセリーナ・カサロヴァだが、ドタキャンしたそうな。「腰痛のため」と伝えられたが、本当の理由かどうかは知らない。

 指揮はワレリー・ゲルギエフ。序曲では例のごとく大風呂敷を拡げたような演奏だったが、ベルリオーズの場合にはそれも悪くはあるまい。だが、この騒々しい舞台を前にしては、演奏の出来がどうだったかという問題すら吹っ飛んでしまい、どんな美しい箇所さえ雑然たる印象の中に巻き込まれてしまう。

 この翌朝、ザルツブルクの空港で、次の公演までの合間を縫ってロンドンへ行くというゲルギエフに偶然出会った。讃めようがないので、「ずいぶんゴージャスなオペラで」と当たり障りのないことを言ったら、彼は苦笑いして「クレイジー・オペラだ」と呟いた。おそらく指揮しながら、内心いやでたまらなかったのでないかと推測する。客演指揮だと文句も言えないのだから、気の毒だ。以前の「トゥーランドット」の時もそうだったが、どうもゲルギエフはザルツブルクでは、このようなスペクタクルものに引っ張り出されることが多いようである。
       東京新聞9月15日

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