2018-09

2007・7・31(火)小澤征爾指揮の「カルメン」

    東京文化会館大ホール  6時30分

 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト第8回「カルメン」。
 予想通りというべきか。音楽塾のオーケストラを制御するのに手いっぱいだったからか。彼の指揮は、またもや四角四面なものに戻ってしまった。テンポに変化がほとんどなく、「カルタの歌」や「ミカエラのアリア」などでは、感情の起伏の平坦さたるや、呆気にとられるほどだ。

 オーケストラが下手で、木管など味も素っ気もない吹き方だから、いっそう音楽に色彩がなくなる。5回目の公演(最終公演)でこれだから、いかに今回のオケのメンバーの水準が低いかといことになろう。
 ジョシー・ペレス(カルメン)は最初のうち生き生きしていたが、次第に声が硬くなっていったのは疲れでもあったのだろうか。ケイティ・ヴァン・クーテン(ミカエラ)は、舞台姿はいいのだが、声に妙なヴィブラートが付くのが気になる。マーカス・ハドックのホセは平凡そのもの。マリウス・キーチェン(エスカミーリョ)は、そう声量はないようだがなんとかサマになっていた。

 装置はジャン=ピエール・ポネル。だがデイヴィッド・ニースの演出の方は相変わらずで、ドラマの心理的な読み込みも通り一辺のものに止まっているのが舞台を退屈にさせた一因でもあろう(もちろん演奏のつまらなさが第一要因だが)。終幕では闘牛士はほとんど出て来ず、群衆だけが熱狂する。この群衆はジプシー連と同じキャストだろうが、恐ろしく人数が多い。
 小澤征爾のオペラは、このところ低調だ。これからどうなるのだろう?

2007・7・28(土)PMF アンドレイ・ボレイコ指揮PMFオーケストラ

    札幌コンサートホールkitara 大ホール  7時

 今年のPMFでの主要指揮者は3人、リッカルド・ムーティ、フィリップ・ジョルダン、そしてこのアンドレイ・ボレイコ。

 超大物が最初に来てしまい、しかも東京公演までやってしまうというのは、スケジュールの問題で止むを得なかったにせよ、フェスティバルの演出効果の上でもアカデミー生たちのメンタルの問題の上でも、あまりいいことではないようだ。何となれば、ムーティとの東京公演で今年のオケの少なからぬ力量をいったん知ってしまった耳には、今夜の演奏は、技術的に破綻があるわけでは全然ないけれど、オーケストラの鳴りや活気を含めてもっと行けるはずではなかったかと感じられてしまうからである。

 これが初日の演奏だったからか、ボレイコの力量ゆえか、楽員たちの士気の問題か、そのすべての理由からかは定かでない。もっとも、ムーティの指揮の場合にも札幌での演奏は思ったほどではなかったという風評だから、あるいはこのボレイコの指揮の場合にも、本番を重ねて名古屋や大阪での公演の時にはもっと向上していることになるのかもしれない。

 プログラムはすべてロシアもの。ボリス・ベレゾフスキーが弾くラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」で開始されたが、演奏全体は意外に抑制されたものだった。特にオケの鳴りの悪さは予想外。
 ベレゾフスキーも日頃の彼の才気があまり感じられない。フィナーレの最後のクライマックスに至って、彼本来の底力がやっと火を噴いたという印象。いずれにせよ欲求不満の演奏である。アンコールでのリャードフの小品が詩的で好ましかった。

 後半はリャードフの「キキモラ」で開始。怪奇なスケルツォという性格は、この生気のない、流れの悪い演奏からは全く感じられない。同「魔法にかけられた湖」も弦の響きの薄さは致命的で、いやしくも18型の弦なら、たとえ弱音においてももっとふくよかに豊かな音で鳴ってほしいものである。
 最後のスクリャービンの「法悦の詩」では、トランペットも全管弦楽も頑張ったが、ボレイコのパウゼの長さと、そのパウゼが生きた緊迫感を生み出していなかったことが、波打ちながら法悦の極致に導くはずの曲想を生かすことができなかった。

 アンコールで演奏されたリャードフの「バーバ・ヤガー」が、比較的解放感をもって、響きも潤沢になってきていたところから思えば、多分このあと何回かの公演では全体が改善されることになるだろうと思われる。

2007・7・27(金)PMF PMFインターナショナル・プリンシパルズ

   札幌コンサートホールkitara 大ホール 7時

 アメリカのオーケストラ系の錚々たる演奏家を集めての室内楽。後半のラインベルガーの「九重奏曲」がなんといっても聴きもの。アンコールでのショスタコーヴィチの「ポルカ」も見事。こういう演奏会が折々間に挟まれるというのがPMFの豪華さだろう。

2007・7・26(木)PMF ヴィリ作品集

    札幌コンサートホールkitara 小ホール  7時

 羽田13時発のANA65便で札幌に飛ぶ。

 小ホールとはいえ、現代音楽とはいえ、予想外に客が入っているのは喜ばしい。ただしこのような演奏会もアカデミー生の教材という位置付けで行なわれているとすれば、もっと彼らアカデミー生の数は、客席に多く見られなければならないだろう。
 作品自体はさほど面白いものではない。プログラムに書いてあること━━作曲者自身があれこれ述べている能書きはかなり綿密なものだが、何か手慣れた手法を操っているだけのものにも感じられる。特に現代音楽としての注目すべき発言というほどのものではない。

 むしろ作曲コースの弟子の一人ミンショウ・イェン(台湾出身の若い女性)の「悽之美」(クラリネットと弦楽四重奏のための)が、未熟な手法とはいえ生気を感じさせ、好感を抱かせた。

2007・7・24(火)UBSヴェルビエ・フェスティバル室内オーケストラ

    東京オペラシティ コンサートホール  7時

 ヴェンゲーロフの来日中止で、オーケストラ公演の方も流れたのかと思っていたら、サラ・チャンをソリストに復活した。スポンサー関係の顧客を大幅に動員したのか、ほとんど満席の入り。われわれジャーナリストたちは、1階席後方2~3列に押し込められた。

 指揮者なしの演奏で、前半のモーツァルトのディヴェルティメント2曲のはずが、いつのまにか1曲になってしまっていた。演奏は達者で、音色もきれいだが、それだけはモーツァルトの音楽は単調に終始してしまう。その一方、ショスタコーヴィチの「室内交響曲」は、やはり生き生きしたエネルギー感に満たされていた。
 後半はサラ・チャンのソロによる「四季」だが、特に目新しい何かもなく、平凡な演奏。「四季」は1曲終るたびに拍手が起こるという、そういう客席。

2007・7・21(土)パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィル

    横浜みなとみらいホール  7時

 引き続きベートーヴェン・ツィクルス。「エグモント」序曲に「交響曲2番」、真中にイアン・ファンテン(pf)クリスティアン・ポルテーラ(vc)諏訪内晶子をソロに三重協奏曲。
 曲の性格もあって、この日が一番演奏が丁寧であり、音楽が壊れずに済み、バランスが良かったと思われる。アンコールには前夜と同様「悲しきワルツ」、最後にもう1曲「1番」のフィナーレ。ガシャガシャでも速いテンポで威勢よくやればお客は喜ぶらしい。

2007・7・21(土)下野竜也指揮紀尾井シンフォニエッタ東京

     紀尾井ホール  3時

 活躍めざましい下野竜也が客演。
 冒頭のベートーヴェンの《レオノーレ》序曲第1番はいかにも下野らしく強固な演奏で、小編成ながらオーケストラの音のスケールも大きい。
 ヒンデミットの《白鳥を焼く男》には清水直子(ベルリン・フィルのソロ・ヴィオラ奏者)がソリストとして登場、よく鳴る明るい音色で明快にこの渋い曲を演奏した。中世の楽士が宴会で弾いて聴かせる光景をモデルにしたものという、作品本来の意味を思い出させる演奏である。

 メンデルスゾーンの《スコットランド交響曲》は当日の圧巻で、特に第1楽章後半の「嵐」に先立つ箇所や第2楽章の後半のようにクライマックスに追い込んで行く部分で、下野とオーケストラが聴かせた緊迫感には息を呑まされるほどの強烈なものがあった。各楽器が絡み合い高揚していくシンフォニックな個所の扱いにおける下野の手腕は実に見事である。
 終楽章のコーダでは一部の管が不安定だったため演奏に画竜点睛を欠く趣もあったが、このホールでこれだけの最強奏を響かせながら音に濁りがなく、しかも躍動感にあふれた快演だったことは、紀尾井シンフォニエッタの最近の快調さを示すものだろう。今日のコンマスは豊嶋泰嗣。

2007・7・20(金)パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィル

     横浜みなとみらいホール  7時

 「コリオラン」序曲に「交響曲4番」と「第7番」。
 「4番」が安定していてよかったが、「7番」は快速楽章に音の鮮明さが欠け、ほとんど騒然たる響きだ。だがこの勢いだけといってもいい演奏に、お客は熱狂の極み。躍るようなベートーヴェンだと感想を述べた女性がいた。

2007・7・18(水)マスネ:「ドン・キショット」

     新国立劇場中劇場  6時30分

 以前新国立劇場で上演されたピエロ・ファッジョーニ演出のプロダクションが、今回はラ・ヴォーチェ主催により再演された。第2幕のあとに休憩1回、ただし舞台転換にはかなり手間取っていたようである。

 題名役はロベルト・スカンディウッツィ。
 前回のルッジェーロ・ライモンディとは一長一短だが、音程のさほど明確でないところは両者同じ。しかしもともとこの役は「ボリス・ゴドゥノフ」の影響を受けていることが明らかで(かつてはチャンガロヴィッチなどが名唱を聴かせてきた)それゆえ音程を少しずらしながら歌うという手法も歌手たちの中には意識されている部分もあるはずである。

 サンチョはアラン・ヴェルヌ、大ベテランの味は出ているが、前回のミシェル・トランポンに比べると、あの豪快な迫力に欠ける。第4幕最後の聴かせどころでは、最後の言葉がオーケストラに消されて画竜点睛を欠いた。
 ドゥルシネはケイト・オールドリッチ、声量はさほどでもないが踊りは上手く雰囲気がある。アラン・ギンガルの指揮は前回同様、劇的な盛り上がりに著しく不足する。オケは前回が新星日響、今回が東フィルだが、どちらもフニャフニャの演奏で、物足りない。

 それにしても、第4幕の幕切れ場面は、相変わらず泣かせる。幕が降りたあとの真っ暗な中で、拍手が長く続いたのは前回と同様。心暖まるオペラというのはこういうものを言うのだろう。字幕の訳がもっと文学的であればいっそう客を泣かせたのではなかろうか。

2007・7・16(月)パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィル

    東京オペラシティ コンサートホール  4時

 ベートーヴェン・ツィクルス(抜粋)初日。諏訪内晶子が出たせいもあるのか、超満員である。ヤルヴィの先鋭的なベートーヴェンが理解されたとすればめでたいことなのだが。

 編成は8型、ホルンをはじめモダン楽器を使用しているが、トランペットのみは古い形のものを使っていた。1曲目は「プロメテウスの創造物」序曲。実に強烈な、見事なスフォルツァンド。これでこそ面白い。
 ヴァイオリン協奏曲では、オーケストラとは別に、諏訪内晶子が自己のスタイルであるヴィブラート奏法を貫いた。その範囲での彼女の演奏はきわめてスケールが大きく、深みを増していた。以前にも感じたことだが、この2、3年来の彼女の成長は疑いない。

 後半は「英雄」。ベートーヴェンのラディカルな音楽の組立が如実に感じられる面白さの反面、速いテンポのために弾き飛ばす彼らの演奏が細部を疎かにすることへの不満もついて回る。面白いけれど、もう少しきちんとやってくれないか、とも思う。
 アンコールは「8番」第2楽章。木管を突然強奏させるところなど、パーヴォらしくて興味深い。

2007・7・15(日)チョン・ミョンフン指揮東フィルハーモニー交響楽団

    Bunkamuraオーチャードホール  3時

 演奏会形式によるモーツァルトの「イドメネオ」。
 事務局が内紛でゴタゴタした直後だけに演奏に悪影響が出はしないかと心配だったが、さすがチョン、実に見事に全曲をまとめた。オーケストラは小編成で瑞々しい響きを創った。

 歌手陣には、少々問題がなくもない。エレットラを歌ったカルメラ・レミージョは最後のアリアで少々不安定なところがなくもなかったが、役柄に個性を感じさせたところが一頭地を抜いている。林美智子(イダマンテ)と臼木あい(イリア)には、もっと個性を強く打ち出してほしいところだ。だが何といっても、頼みの福井敬(イドメネオ)が何故か声の荒れを感じさせたのは今後に不安を残す。東京オペラシンガーズは安定。

2007・7・12(木)広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団

    東京オペラシティ コンサートホール  7時

 あれから10年以上も経つだろうか、このコンビによるあの「オックスフォード」の快演は今も耳に残っている。その演奏が久しぶりに蘇ったような思いだ。
 前半のハイドンの「ロンドン」、モーツァルトの「プラハ」。前者は瑞々しく活気があり、後者は少し重くなり覇気も少し薄れたが、広上の張りのある音楽が躍動して快い時間を作り出してくれた。
 ただし日本フィルの弦の音色はあまりきれいとは言えないし、「プラハ」でのティンパニの音色にももう少し品格といったものが欲しい。

 だが後半のプロコフィエフの「交響協奏曲」になると、途端に何か解放されたような音がオーケストラから沸き上がって来る。慣れた奏法に戻ったと言わんばかりの雰囲気だ。この3ヵ月ばかり定期を続けて聴いた印象を整理すると、やはり日本フィルには古典ものよりも、このあたりのレパートリーが合っているといえるのかもしれない。

 広上はソロを巧く浮きださせる。趙静の音楽は相変わらずヴィヴィッドであり、その演奏は、驀進する凄味というよりは明るい光に照射された若々しい躍動といったものを感じさせる。クライマックスへ追い込んで行く緊迫感のすばらしさも特徴である。好い演奏会であった。
 日本フィルも先月とは格段に違う演奏の出来である。ラザレフが首席指揮者に決定(来秋から)したことがいい影響を及ぼしているのであろうか。

2007・7・11(水)リッカルド・ムーティ指揮PMFオーケストラ

    Bunkamuraオーチャードホール  7時

 恒例のPMFフェスティバルだが、いつもは大トリに置かれている東京公演が、フェスティバルの前半で、しかも一番手の指揮者で行なわれるケースは、この十数年来、初めてのことではなかろうか。だがたしかにこの時期なら、またウイーン・フィルの教授陣も首席として演奏に加われるという利点もある。

 大ムーティ将軍は、このアカデミー生のオーケストラを、実に美しい音色に創り上げた。ヴェルディの「運命の力」序曲も、シューベルトの「ザ・グレイト」も、アンコールでのヨーゼフ・シュトラウスの「天体の音楽」も、大編成ながらもクリームのように柔かい豊麗無比な響きで、きわめて屈託なく鳴り響く。その壮大な美しさは、今日の演奏からはほとんど聴けなくなっていたものだ。快いことは事実だが、聴いているうちに、何かそれ以上の刺激が欲しくなって来る。

 だが、「ザ・グレイト」第2楽章での内声部のトランペットをエコーのごとく遠近感を持たせつつ明確に響かせるくだりなどは、すばらしかった。
 これらの他に、マルティン・ガブリエルが甘い音色でモーツァルトのオーボエ協奏曲を吹いた。オケは人数を減らしていたが、それでも普通よりはよほど多い。ここでも羽毛のような弦の響きが聴けた。

2007・7・8(日)エクサン・プロヴァンス音楽祭 ワーグナー:「ヴァルキューレ」

      エクサン・プロヴァンス大劇場  5時30分

 当初、このプロダクションは、共同制作であるザルツブルク・イースター音楽祭での来年3月の上演のときに観に行くつもりだった。でも、それに先んじて、新しくできた劇場で観ておくのも悪くない。 

 竣工が予定より1年遅れ、昨年の「ラインの黄金」に間に合わなかったという曰くつきのこの新しい劇場は、噴水広場(ロトンド)の西側に直結した再開発ニュータウンの一角にある。外構や道路などはまだ工事中である。
 ホワイエは明るく広いが、客席への通路は相変わらず狭くて効率が悪い。新国立劇場中劇場に似た構造で、客席が階段状になったその下方に舞台があるという作りだから、通路も狭くなる。火事でも起こった日には、1階席の客の7割は絶望的だろう。
 今回入手できたのは前から2列目のほぼ中央、オーケストラを至近距離で聴ける席であった。

 それにしても、サイモン・ラトルとベルリン・フィルが創る音楽は、この1、2年来、なんと成長してきていることだろうか。特にロマン派の作品を演奏する際の、昔のような刺々しさは、もはや完全に影を潜めた。
 たとえば第1幕終結近く、ジークムントがトネリコから抜き取った剣をかざし、ジークリンデに向かい「ヴェルゼの子、このジークムントをごらん!」と歌うくだり、弦の分散和音に彩られつつ6連音符を刻んで行く木管群の響きに漂う形容しがたいエロティシズムのすばらしさ。これは、かつてのフルトヴェングラー=ウィーン・フィルの録音で聴くそれに勝るとも劣らぬものであった。

 また第3幕での、「ヴォータンの告別」頂点を創るクレッシェンドも、決して力まず怒号せず、管と弦とに驚異的なほど絶妙な調和を持たせつつ、非常に温かい音色で盛り上げて行く。しかもこの個所でのヴォータンの演技には、父親としての情愛がきわめて色濃く顕れており(現代の読み替え演出によくあるような父と娘の妙な関係ではなく、非常に自然な親子の関係である)、音楽と完璧に合致して、胸を衝かれるような思いにさせられるのである。

 全般的に言えば、ラトルのアプローチはシンフォニックなスタイルである。オーケストラの最強音の上に声を浮かび上がらせるようなテクニックからいえば、歌劇場を本拠にする指揮者に一歩を譲るかもしれないが、オペラを声つきのシンフォニーのようにオーケストラ主導で描きだす手法においては成功している。特にワーグナーの作品においては、それが完璧に生きる。
 それに、何といっても強力無比で雄弁な音楽を創るベルリン・フィルである。劇的な個所にしろ叙情的な個所にしろ、ここぞというところで彼らが響かせる音楽は圧倒的なものがある。今回の演奏の中にも、息を呑ませられる瞬間がいくつもあった。

 主役の歌手たちは、いずれも優れた歌唱と演技を示していた。
 ウィラード・ホワイト(ヴォータン)は、神々の長としての威風よりも父親としての苦悩と愛情の表現に卓越していた。
 エヴァ・ヨハンソン(ブリュンヒルデ)も、愛らしい娘としての役を演じ、サロメやマリア(平和の日)などでの女傑ぶりとは異なるヒューマンな役柄表現をうまくこなしている。つまり2人とも、大神と戦乙女の関係というより、情愛こもる父と娘とを浮き彫りにしていたのである。

 ロバート・ギャンビル(ジークムント)はいつもどおりの安定感だ。エファ=マリア・ウェストブレイク(ジークリンデ)がひたむきで愛らしく、少し色っぽいところもあって好演。この人も本当にいいソプラノになった。
 ミハイル・ペトレンコ(フンディング)が黒づくめの服装に暗い顔立ちで、秘密警察みたいなイメージの役柄を演じていた。彼のバスは、フンディングにしては重くないのだが、なかなか良い。リリー・パーシキヴィ(フリッカ)も安定感であろう。
 かように、音楽面ではきわめて優れた水準を示した上演だったのだが・・・・。

 演出と舞台美術は、このチクルスをすべて担当しているステファーヌ・ブランシュヴァイク。
 第1幕はプレハブ的な建物の内部で、「春の訪れ」の箇所では大扉は開かないけれども照明の変化で効果を出すという趣向があり、それはなかなかに美しく、この瞬間には新劇場でのニュー・プロダクションとしての舞台に大いなる期待感をもたせた。だが、第2幕と第3幕では、前作の「ラインの黄金」の舞台をほぼそのまま使い、もしくは応用するという程度で、新鮮さを急激に失わせてしまう。

 特に第2幕大詰、ジークムントらによる戦闘の場も、奥のセリの上で様式的な演技が行なわれるのみで、それぞれの人物の心理描写などは皆無だ。
 第3幕の「ヴァルキューレの騎行」では、女たちが死体(人形)をスロープ上に引っ張り上げつつ歌う。魔の炎に包まれるはずのブリュンヒルデは、ここでは椅子の上に寝る(また椅子だ!)。炎は映像が投影されるきわめて簡単な手法で、見せ場としては面白みがない。スペクタクルとしての舞台作りは、センスがないのか、あるいはカネが無いのか、なんとも拍子抜けさせられる結果となっている。

 そういえば、今春のザルツブルク・イースターでの前作「ラインの黄金」の舞台が不評だった際に、「共同制作であるエクスの舞台構造の制限もあったからああなった」と一所懸命に弁護する人がいたようだが、ここエクスの新劇場で上演されたこの「ヴァルキューレ」を観ると、どうもそうではないように思える。「もともとこの程度」なのではなかろうか。
 ただその反面、演技の細部はよく整えられている。ヴォータンの不安な目付き、ブリュンヒルデの無邪気な表情など、なかなかいい。ただしこれは2列目で観たからこそわかるというものだ。

 総じて言えば、音楽的には期待以上のすばらしさではあったものの、舞台としては、この程度のものをわざわざ高い金を払って観にきたのか、という印象が本音である。
 来年春のザルツブルク・イースター・フェスティバルでの上演までに、どのくらい手直しがなされるか、だ。

2007・7・7(土)エクサン・プロヴァンス音楽祭 モーツァルト:「フィガロの結婚」

      アルシェヴェーシェ劇場  9時30分

 もともと予定はなかったのだが、たまたまチケットが2日分だけ手に入ったので、急遽訪れた次第。マルセーユの空港に降り立つと、南欧の目に染みるほどの青空が実に美しい。そのかわり、日差しの強さは目も眩むほどで、ホテルから会場まで歩くにはすこぶる忍耐を要する。

 アルシェヴェーシェ劇場は、昨年まではメインの大会場として使用されていた半野外劇場。建物の中庭に設けられており、客席の前方は星空を望み、後方は2階席スタンドに覆われる。オーケストラの響きはあまり良いとは言えない。こんな室内オペラ的な会場でありながら、昨年はよくぞあのような大編成オケによる「ラインの黄金」を演奏できたものだと感心する。

 ダニエル・ハーディングが指揮するマーラー・チェンバー・オーケストラが、例の尖ったスタイルで演奏する。残響の豊かな、もっと小さなホールで聴いたなら、これは至高の音楽ともなるだろう。
 問題は、その響きよりも、テンポである。アーノンクールの指揮にも言えることだが、このテンポと「間(ま)」の設定には、私はいつも苛々させられるのだ。もっとストレートなテンポを保って進められないものかとさえ思うのだが、しかしそのくどい「間」やリタルダンドに演技がぴたりと合っているという作りだから、ドラマとして立派に成立していることは認めなければならぬ。

 その演出は、ヴァンサン・ブッサール。ルクセンブルク大劇場との共同制作によるエクサン・プロヴァンス音楽祭の新制作プロダクション。
 舞台上の小道具といえばマットレスと椅子だけというシンプルなもの。人間相関図にはあまり妙な深読みとかこじつけはなく、オリジナル通りのストレートな設定が行なわれているが、各人物の性格表現にはすこぶる微細な動きがあり、ドラマとしても愉しい。

 歌手陣ではネイサン・グン(伯爵)とマリー・マクローリン(マルチェリーナ)に存在感があり、ジョルジョ・カオドゥーロ(フィガロ)は比較的無難、マリン・クリステンソン(スザンナ)は柔らかい声だが、声そのものにはシンが不足してこのスタイルの中ではやや異質だろう。
 
 夜9時半開演だったので、終演は深夜1時15分。南欧の連中はどういう感覚でこんなスケジュールを組むのやら。
 しかもお喋りをしつつ、のんびりと(だらだらと、という感じか)歩く欧州の爺さま婆さまたちのおかげで、会場を出るだけで10分以上も時間がかかる。足早に歩くであろう若い観客が少ないのには驚かされる。この観客の年代構成は、由々しき問題ではなかろうか。

2007・7・4(水)エリアフ・インバル指揮フィルハーモニア管弦楽団

    東京芸術劇場コンサートホール  7時

 今回はマーラー撰集チクルス。初日の今日は第10番の「アダージョ」と「巨人」。
 ツァー前にどのくらい練習したのかわからないけれど、かなり粗っぽい。ただ経験のみで押して行くといった演奏に聞こえる。

2007・7・2(月)パレルモ・マッシモ劇場「シチリア島の夕べの祈り」

   Bunkamuraオーチャードホール  6時

 ステファノ・ランザーニが指揮。さすがに彼のイタリア・オペラは堂に入っている。オーケストラも鳴ること鳴ること、有名な序曲からして轟然たる演奏で、これだけ劇的でパワフルな音楽が始まると、あとのオペラ本篇が楽しみになるものだ(新国立劇場に出るオーケストラも少し見習ってほしいものである)。

 歌手陣も歌唱面および演技面で手堅い実力を示していた。アレクサンドル・アガーケ(モンフォルテ)とカルロ・ヴェンドレ(アッリーゴ)が強力な声で父子の葛藤を充分に表現、オルリン・アナスターソフ(プローチダ)も憂国の志士としての粘りの感情を出し、アマリッリ・ニッツァ(エレナ)は少し細身の声ながら、恋人の裏切りを理解し許す牢獄の場などでは巧味を示していた。
 ニコラ・ジョエルの演出は大まかで、特に悲劇的な大詰場面に向けての追込みと、鐘の音を合図の殺戮場面へという一連の舞台構図の流れには緊迫感が欠け、いかにイタリア・オペラといえど、ドラマの舞台としては甚だ締まらない。
 ただ,それを別とすれば、これはきわめて水準の高い上演であり、この歌劇場の実力を垣間見せるにふさわしいものであったことは確かである。

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