2021-04




2020・12・27(日)鈴木雅明指揮BCJの「第9」

      東京オペラシティ コンサートホール  6時

 バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のベートーヴェンの「第9」を聴きに行く。音楽監督の鈴木雅明が指揮、声楽ソリストは森麻季、林美智子、櫻田亮、加耒徹。

 「第9」の前に、鈴木優人のオルガン・ソロで、バッハの「パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582」が演奏される。2曲の間に休憩は無いとの触れ込みなので、切れ目なしの演奏により両者の音楽的な関連性をも創り出すのかと思ったが、鈴木優人は拍手とともに引っ込み、しばらく間を置いてオケが入場し、やおらチュー二ングを━━という具合に、2曲は別々の存在として演奏された。まあ、この2曲では、調性から言っても、どのみちシームレスは無理だったろうけれども。

 その「ニ短調交響曲」の方は、極めて推進性に富んだ演奏だ。イン・テンポでひたすら前へ前へと進んで行くが、ピリオド楽器奏法の場合にはその方が音楽の力を強く感じることができるというもの。ベーレンライター版を基本の演奏ながら、第2楽章のダ・カーポの際には、オクターヴでの怒号を含む冒頭の8小節は無しのパターン。
 第4楽章のバリトンのレチタティーヴォでは装飾音が多様に織り込まれて、これはなかなか面白かった。

 私としては、今年の「年末の第9」は、このBCJのみ。お客さんが結構入っていたのは祝着である。

2020・12・26(土)大野和士指揮東京都交響楽団「くるみ割り人形」

       サントリーホール  2時

 チャイコフスキーのバレエ曲「くるみ割り人形」の全曲(全2幕、計約90分)を演奏会として聴かせるもの。意外に稀なプログラムだが、あっても不思議はない。

 今日はおかげで、このチャイコフスキー晩年の名作の魅力をたっぷりと味わうことができた。聴けば聴くほど、この作曲家の管弦楽法が如何に卓越したものであるか、感に堪えなくなる。彼の作品は、1888年の「第5交響曲」以降、そのオーケストレーションの円熟ぶりが際立って来るが、その頂点がこの「くるみ割り人形」と、もう一つが「眠りの森の美女」であろう。

 大野と都響の演奏も充実していた。バレエ音楽というよりもシンフォニックなスタイルを狙ったアプローチのように感じられたとはいえ、躍動感は充分である。第1幕前半では音も少々粗いし、フォルティッシモの音色もあまり綺麗ではないな、という感がなくもなかったのだが、第2幕ではそれがみるみる改善され、演奏にも重厚な迫真力と気宇の壮大さが加わって行った。音楽監督の面目躍如たる指揮と言えよう。
 コンサートマスターは四方恭子。

2020・12・23(水)庄司紗矢香&ヴィキングル・オラフソン

      サントリーホール  7時

 この時節、庄司紗矢香のリサイタルが実現されたことは本当に喜ばしい。今回はアイスランド生まれのヴィキングル・オラフソンとのデュオで、プログラムは、バッハの「ソナタ第5番ヘ短調BWV1018」、バルトークの「ソナタ第1番」、プロコフィエフの「5つのメロディ」、ブラームスの「ソナタ第2番」。アンコールにはバルトークの「ルーマニア民俗舞曲」とパラディスの「シチリアーノ」が演奏された。

 一般的なリサイタルに比べるとかなり渋いプログラムだが、それでもほとんど満席に近い━━いや実際は7割程度の入りなのだろうが、最近の演奏会の客席を見慣れていると、いかにも満席に近く感じられるのである。いずれにせよ、このようなプログラムでもこれほどの集客を可能にできるのは、庄司紗矢香なればこそ、であろう。
 なお彼女は脚を傷めていたとのことで、ステージでは椅子に座って演奏した。出入りはやや足をかばっているような様子ではあったものの、それでも足早に歩いていたのには一安心。

 演奏は、相変わらず卓越したものだ。曲想に応じ、全体に抑制された音量の音楽が続くが、その緊迫感は並みのものではない。聴く側も緊張を強いられるが、それはむしろ快い。
 この日の演奏の中で、私が特に舌を巻いたのは、ブラームスのソナタにおける、あたかも名人の語り口を思わせるような緩急自在の微妙なテンポの動きと、表情の多彩な変化だった。それは決して作為的なものではなく、ブラームスの音楽の動きと完璧に合致し、音楽が自然に息づいて語っているさまを、はっきりと感じさせていたのである。

2020・12・21(月)「富士山静岡交響楽団」誕生へ
 高関健指揮静岡交響楽団が初の東京公演

         東京オペラシティ コンサートホール  7時

 1988年に「静岡室内管弦楽団《カペレ・シズオカ》」として旗揚げ、1994年から堤俊作を音楽監督に迎えて現名称とした静岡交響楽団。その後、篠崎靖男を常任指揮者に迎えた時代もあったが、2018年からは高関健をミュージック・アドヴァイザーに迎えている。

 私も4年前に2回ほど本拠地の静岡市清水文化会館マリナート大ホールでその演奏を聴いたことがある(2016年3月27日12月18日)が、今日聴いた静響は、それとは全く雰囲気が違っているのに感心した。つまり、プロらしい雰囲気というか、意気込みというか、不思議なエネルギーが感じられるようになったのである。

 以前はプロ・オケと名乗ってはいても、県内演奏家と東京からの客員奏者の寄せ集めの臨時オーケストラ━━という感が抜けきらなかったのだが、現在はオーディションで集めた42名の楽員が居り、それに作品の規模に応じて客演奏者を加えるというスタイルになっているとのことだ。
 そしてまた、浜松フィルハーモニー管弦楽団と合体(事実上の吸収合併だろう)を行ない、2021年4月からは「富士山静岡交響楽団」という、何とも気宇壮大な楽団名に改称するというのである!

 その静響が100回定期を迎えた(12月19日)のに合わせ、今回はついに初の東京公演を実施した。プログラムは、高関健の指揮で、ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」(ソリストは神尾真由子)と、ベルリオーズの「幻想交響曲」。コンサートマスターは客演の藤原浜雄。
 ━━今回は弦五部の各パートの首席は全て客演奏者だったようである。弦は12型編成(ただしコントラバスは6)だったが、「幻想交響曲」とあらば、それも含めて客演奏者が多く入るのは致し方なかろう。

 だが静響も、さすが高関健の指揮だけあって、特に協奏曲ではバランスの良い、引き締まった音を出した。いい演奏である。
 女神のような姿の白いドレスで登場した神尾真由子も持ち前の奔放で激烈で表情豊かなソロを両端楽章に投入し、かつ中間の緩徐楽章では濃厚な歌を聴かせたが、オーケストラがどちらかといえば生真面目な佇まいの演奏だっただけに、全体としては適度に活性化された面白いバランスになっていたとも言えよう。
 なお彼女のソロ・アンコールはシューベルト~エルンスト編の「魔王」で、これは以前にも聴いたが、歌曲の中に登場する3人(父親、子供、魔王)の声を強調して描き分ける奏法は相変わらず見事だ。

 後半の「幻想交響曲」は、咆哮する金管群の前では12型の弦はやはり音量的に分が悪いが、それを除けば予想を上回る出来だと言っていい。高関が弦楽器群から引き出す悪魔のグロテスクな表情も、明晰に生かされていた。最後の狂乱のクライマックスも、音の密度にはやや不満を残したとはいえ、充分な盛り上がりを感じさせた。

 問題は木管楽器群にあるだろう。フルートにはアンサンブルの上で腑に堕ちぬところがあり、一方第3楽章でのイングリッシュホルンは荒っぽく無造作で、どうみても「野に寂しく響く羊飼いの笛」の表情とは言い難い。またクラリネットも、第4楽章で断頭台の露と消える主人公の脳裏に一瞬浮かぶ恋人の姿としては無造作に過ぎるし、第5楽章での「グロテスクな姿に変わった恋人の姿」を表現するには表情がなさすぎる。

 まあ、そうは言っても、演奏全体には非常な勢いがあったので、総合的には良しとしましょう。ただ、2台のハープを最初から指揮者の手前両側(ステージ最前面)に配置し、第2楽章の時だけ奏者がステージに出入りし、それが終るとスタッフが出て来て楽器を撤収するというやり方は、雰囲気がガサガサしたものになって、あまりいただけない。

 ともあれ、地味な地方オーケストラから俄然攻勢に転じたこの静岡交響楽団、この勢いで行けば、東京と名古屋の間を埋める新しいプロ・オーケストラ地図を描くために一役買う存在となれるだろう。私も40年近く前、FM静岡(現K-Mix)の立ち上げのため4年間静岡県赴任をしたことがあり、静岡&浜松には今なお強い愛着があるので、応援したいところである。

2020・12・20(日)仲道郁代:ベートーヴェンのソナタ全曲演奏第2回

        横浜みなとみらいホール 1時30分

 仲道郁代の「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全曲演奏会」が既に開始されている。全4期計8回に特別演奏会という大がかりなプロジェクトで、これはベートーヴェン没後200年と、彼女自身の演奏活動40周年とが重なる2027年に向けての「Road to 2027」の一環だとのこと。

 今日の演奏会は第1期の第2回に当たるもので、プログラムの第1部に「第9番Op.14-1」と「第16番Op.31-1」が、第2部に「第24番Op.78《テレーゼ》」「第8番Op.13《悲愴》」「第14番Op.27-2《月光》」が演奏された。またプレトーク&コンサートとして、ツッカーマン製シュタイン・モデル(1790年頃の楽器の複製、61鍵430Hz)を使用してのベートーヴェンのソナタの演奏も行なわれた。

 プレも本番も、いずれも彼女自身が解説を入れながらの演奏で、そのきめこまかいサービスぶりは見上げたものだ。本番のリサイタルにおけるその解説は、曲にまつわる個人的な思い出をも交えるスタイルで、これはコンサートをアカデミックなものにせず、親しみやすいものにするという狙いだろうか。いかにも彼女らしい手法だ。
 ただ、ハンドマイクを使っていたとはいえ、今日はそのモノローグ的な低い声での話しぶりが所々はっきりと聞き取りにくい時があったが。

 私は彼女の演奏を聴いたのは久しぶりだが、まろやかで温かい音の、どんな最強奏の際にも音色の乱れのない、かつ美しさを失わないそのピアニズムは、以前と少しも変わっていない。これも、彼女が熱烈なファンを引き付けている要因の一つなのだろう。

 今日の演奏を聴いた範囲では、彼女の弾くベートーヴェンは、その作品群の多くに聴かれる魔性的な荒々しさや激烈な感情の爆発といった性格をも、すべてあたたかいヒューマンな視点で捉え、彼女独特の世界の中に蘇らせる、というものだという印象を受ける。そこには、所謂とげとげしくて神経質なベートーヴェン、闘争的なベートーヴェン、といった姿は見られない。

 このような「光の天使」の如きベートーヴェン像も、また一つの解釈なのではあろう。ただ、私の好みから言えば、彼の悪魔的な面も魅力的なものであって、━━いや、もともと今日の「第2回」のテーマは「月光~ベートーヴェンの恋」というものだったのだから、こちらがそんなニュアンスを求めるのは間違いかもしれない。
 それにしても、彼女がその「恋」に関連してアンコールで弾いたシューマンの「トロイメライ」の、何と陶酔的に美しかったこと。「仲道郁代のシューマン」は、やはり昔に変わらず絶品だ。

 このプロジェクトは、みなとみらいホールの協力によるとクレジットされているが、同ホールは改修のため2021年1月から何と2022年10月頃までの長期休館となるため、次の「第3回:テンペスト~飛翔する幻想」は2022年12月の開催になるらしい。随分間が空くものである・・・・。

2020・12・16(水)原田慶太楼指揮東京交響楽団

      ミューザ川崎シンフォニーホール  7時

 来年4月より正指揮者に就任する原田慶太楼が指揮、藤倉大の「海」、ブリテンの「4つの海の間奏曲」、ニールセンの序曲「ヘリオス」、エルガーの「エニグマ変奏曲」を演奏した。

 プログラムが少し渋いせいなのか、お客の入りがあまりよくなかったのは残念だが、若手指揮者にこのような多彩で意欲的な曲目を振らせる機会を与える東響の姿勢は立派である。
 誰かも言っていたが、コロナ禍のため外国人指揮者が来日不可能となっている間隙を衝いてせっかく各楽団が日本の若手指揮者を登用しても、振らせるプログラムが概して古典のありふれた名曲ばかりでは、彼らの個性を発揮できる可能性を狭めているようなものだから━━。

 さて、原田慶太楼は、弦14型編成の東響(コンサートマスターは客演の小林壱成)を存分に鳴らし、特に前半の2曲では、例の如く元気いっぱいの演奏を披露して気を吐く。ちょっと乱暴なところもないではないが、若いのだからそれも結構というべきだろう。

 第2部でのニールセンとエルガーの作品では、原田は一転して、東響からしっとりとした響きを引き出した。私の印象から言えば、今日は圧倒的にこの第2部の演奏の方が成功していただろう。ここではオーケストラの響きのバランスも整っていて、瑞々しい叙情的な美しさも表出されていたのである。

 このところ何度か聴いて来た彼の指揮は、大体がエネルギー放出感満載のものだったが、この2曲にいたって、漸く均衡の重視された、落ち着いた美感といったものを聴くことができたわけだ。こういう精妙な構築の音楽もつくれる指揮者なのだ、ということがはっきりと判ったのはうれしい。
 特に傑出していたのは「エニグマ変奏曲」で、変奏それぞれの性格づけも明快だったし、クライマックスへの盛り上げ方も上手かった。

2020・12・12(土)ダレル・アン指揮日本フィルハーモニー交響楽団

       サントリーホール  2時

 シンガポール出身、サンクトペテルブルク音楽院に学んだ指揮者ダレル・アンが客演、イベールの「ディヴェルティメント」、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第17番ト長調K.453」、ブラームスの「交響曲第2番」を指揮した。協奏曲でのソリストは吉見友貴。コンサートマスターは千葉清加。

 ダレル・アンの現在のポストは、四川交響楽団の音楽監督・常任指揮者の由だが、欧州でもかなり広い客演指揮活動を展開している。日本にも既に来ているが、私はどういうわけかこれまで聴く機会を逸していたので、今回は楽しみにしていた次第だ。
 期待通り、きびきびした指揮と音楽づくりが好ましい。

 特に最初のイベールの「ディヴェルティメント」では、この曲が持つユーモアと洒落っ気のある曲想を充分に再現、これに応える日本フィルの各楽器のソロも鮮やかに決まっていて、結果的に今日のプログラムの中では最も印象に残る演奏となった。
 ただ、これに比べ、メインのプロだったブラームスの「2番」は、極めて生真面目に作品と相対した演奏とはいえようが、これは本来ニ長調の交響曲なのだから、その寛いだ、のびのびとした明るい性格が、もっと表情も豊かに、かつ解放的に押し出されてもよかったであろう。

 危惧された日本フィルの音色やアンサンブルが、それほど荒れていなかったことには安堵を覚えた。曲がブラームスだし、全体に大音響を出さぬ落ち着いた構築の演奏だったからかもしれない。音の厚みという点では少し物足りなかったものの、これは弦の編成があまり大きくない所為もあろうし、そもそもダレル・アンの指揮からして重厚なタイプのものではないであろう。

 コンチェルトでは、オーケストラの演奏は整然として端整なものだったが、これももう少し躍動感が欲しいところである━━特に第3楽章の軽快な曲想のところでは尚更だ。ソリストの吉見友貴も実に綺麗に弾いてはいたが、若いのだから、もっと飛んだり跳ねたり、愉しく笑うモーツァルトをつくっては如何なものか。
 ただし彼はアンコールで、ドビュッシーの「花火」を、クライマックスの個所ではまるでリストの曲のように弾いた━━僕の本領はこっちにあるぞ、と言わんばかりに。

2020・12・11(金)ゲルハルト・オピッツ・リサイタル

      東京オペラシティ コンサートホール  7時

 ゲルハルト・オピッツ、この状況の中でよく来てくれたものだ。まあ、彼は日本にも家があるから、不思議はないかもしれない。
 今回はリサイタルとコンチェルトの、いくつかの公演が予定に組み込まれている。今日はベートーヴェンの最後の3つのピアノ・ソナタ(作品109、110、111)に「6つのバガテル 作品126」を組み合わせたリサイタル。

 「第30番作品109」が始まった時、ああ、久しぶりに聴くドイツのベテラン・ピアニストの演奏だな、という、不思議に懐かしい思いがこみ上げる。骨太でまろやかな響き、飾り気のない素朴なピアノの音。高音域を抑制したような音色を持った落ち着きのある弱音。

 ただ、以前にはいかにも「ドイツ人!」という雰囲気満載の演奏を聴かせてくれたオピッツだったが、今回、久しぶりに聴いた彼には、何となく枯れた味が漂っている。未だそんな齢ではない(70歳直前)はずだから、枯れるには早すぎるだろう。それとも、本調子でなかったのか? 演奏に何処か求心力が不足しているように感じられたのである。

 2曲目の「第31番作品110」の後半に至って次第に気魄を強めて来てはいたものの、最後のあの巨大な気宇を備えた「第32番作品111」でも、彼ほどの人にしては、意外に緊迫力が希薄な演奏だったような・・・・。

2020・12・10(木)ロッセン・ゲルゴフ指揮東京都交響楽団

      サントリーホール  7時

 ブルガリア出身の俊英ロッセン・ゲルゴフ(1981年生れ)が来日。
 メンデルスゾーンの序曲「ルイ・ブラス」、ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」(ソリストは南紫音)、サン=サーンスの「交響曲第3番」(オルガン・ソロは大木麻理)が演奏された。コンサートマスターは矢部達哉。

 きびきびした指揮ぶりから生まれる歯切れのいい演奏。とりわけデュナミークの起伏は大きく激しく、都響が久しぶりに咆哮怒号したといった感。
 ゲルゴフの指揮には、ブルッフでもサン=サーンスでも、幕開きの部分で遅いテンポを採って物々しい序奏気分を出したり、あるいはその「3番」の大詰で定石通りテンポを煽って盛り上げ、このままの勢いで終ると思わせながら、突然最後でテンポを落し、大見得を切って結んだり、という、やや小細工的な演奏をつくるという癖もあるようだが、まずその元気いっぱいの音楽性を評価したい。

 だが━━昨日の読響もそうだったが、今日の都響も、強いアクセントを持ったフォルティッシモになると、異様に音が硬く、荒く、汚くなる。
 ゲルゴフも外国人指揮者らしく、大きなデュナミークと強烈なアクセント、激烈な最強奏を要求するのだが、つい昨年までは指揮者のそのような要求など苦もなくこなしていたはずの都響が、いつの間にかそれに満足に応じられなくなっているのか? 

 コロナ禍のために久しく外国人指揮者との協演の機会が持てず、日本人の指揮者とのみの演奏が続いていると、次第に日本の演奏家特有のなだらかな音楽づくりがその習慣となり、強烈なメリハリのある演奏から遠ざかってしまうという傾向が、どうやらあるようだ。

 私は、西洋の音楽家たちが作るようなスタイルだけが絶対的に正しい、とは思っていない。数年前に日本オーケストラ連盟が主催した英・独・仏・米の評論家を招いてのパネル・ディスカッションでは、彼らは日本のオケの「なだらかな演奏」を非難していたが、日本側パネリストとして出席していた私は、それも日本語の特徴などから生まれる日本独特の感性による演奏スタイルなのだ、と反論したことがある。

 それゆえ、どちらも正しいと思うが、しかしオーケストラたるもの、そのいずれのスタイルをもこなせることが必要だろう。
 日本の一流オケも、つい昨年まではその両方のスタイルを巧くこなすことができていたはずだが、コロナ禍による「鎖国」状態が1年近く続いた今では、どうやらそれがまたアンバランスになってしまったのかもしれない。とすれば、これは由々しき問題ではないかと思う。

 昨年までの水準を取り返すのに、今後どのくらいの期間がかかるだろうか? なんとかやらなければならない。

2020・12・9(水)セバスティアン・ヴァイグレ指揮読売日本交響楽団

       サントリーホール  7時

 常任指揮者ヴァイグレが帰って来た。「2週間の待機期間」を経ての来日である。

 外人演奏家崇拝という意味では決してないが、久しぶりに外国人指揮者、それも常任指揮者を迎えての定期演奏会となると、会場の雰囲気も随分違う。演奏にも確固たるメリハリとダイナミックスが生まれるのだ。

 今日のプログラムは、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第25番」(ソリストは岡田奏)と、ブルックナーの「交響曲第6番」だったが、何よりもモーツァルトのピアノ・コンチェルトの中で最も壮大なあの「ハ長調」の最初の音が響き出した時には、読響の演奏が伸び伸びとした解放感と、豪壮ともいえるほどスケールの大きな気宇を湛えているのに快さを覚えた。岡田奏の清澄でストレートなソロとともに、このモーツァルトはすこぶる気持良い演奏だった。

 一方、ブルックナーの「6番」は、期待していたのだが、弦12型という編成の所為か、音が少し薄く軽く、痩せていたのが惜しまれる。
 以前、飯森範親と山形響が10型編成でブルックナーの中期までの交響曲を手がけたことがあり、私も大部分を現地で聴いたが、あの時は山形テルサホールという比較的小規模な会場での演奏だったから、それなりのバランス感で聴けたように思う。今回も、もちろんアンサンブルの面ではそれなりの配慮は為されていただろうけれども・・・・。

 それにしてもやはり金管がかなり際立ち、その音もバリバリと荒く、粗暴な趣さえ感じさせたほどで━━読響の金管、なぜこんなに、急に荒い音になったのか?

 しかし、演奏には活気があった。新型コロナが蔓延し始めた今年春以降、日本のオーケストラの公演で、これほど熱狂的な拍手に包まれたコンサートは絶えて久しくなかったのではないか。ヴァイグレも嬉しそうに楽員や聴衆の拍手に応え、それがまた聴衆の好感を呼んでいた。コンサートマスターは長原幸太。

2020・12・8(火)無人オーケストラコンサート
~マルチ・スピーカーによる新しいオーケストラサウンド体験 メディア発表会

   横浜みなとみらいホール大ホール  4時

 ステージには、オーケストラと同じ並び方で大小のスピーカー群が設置され、その数およそ70個とか。
 各スピーカーからは、各楽器奏者ひとりひとりの演奏する音が流れ出る仕組みで、ヴィオラの音はヴィオラ奏者の位置から、金管群はステージ奥から響き出す。

 音源は川瀬賢太郎が指揮する神奈川フィルの演奏で、各奏者それぞれの前にマイクを設置して録音したとのことである。今回はベートーヴェンの「運命」第1楽章、ジョン・ウィリアムズの「スターウォーズ」などの音楽が流されていた。スピーカーの音質が良いので、広いステージいっぱいを音が埋め、かなりのスケール感を以って客席に響き渡る。スピーカーは、すべてヤマハだ。

 これを何と表現すべきか? 早い話が、トラディショナルな言い方を以ってすれば、「多トラック・多スピーカーによる立体音響レコードコンサート」だろう。60年以上も前、ステレオ・レコードが登場した時、それまで1つのスピーカーに凝縮されて流れ出ていた音楽が、左右2つのスピーカーから空間的な広がりを以って再生されるようになり、「まるでオーケストラが眼前に拡がっているよう」と聴き手を狂喜させたのと似ている。
 今回はそれが更に大規模になり、いっそうの臨場感を増すことになった、ということだろう。

 実験としては面白い。さて、これをどう活用して行くのか? ホール側ではさまざまなアイディアを描いているようだったが。

2020・12・7(月)愛知室内オーケストラ東京公演

      浜離宮朝日ホール  7時

 このオーケストラを聴いたのは、私はこれが初めて。
 公演のプログラム冊子には「2002年に愛知県立芸術大学出身の若手演奏家を中心として発足、現在は・・・・愛知県ほか東海地方で活躍するプロの演奏家で構成されている」とある。2015年から新田ユリが常任指揮者を務め(今年末まで)、2016年度名古屋市芸術賞奨励賞を受賞している由。
 スポンサーは「医療法人 葵鐘会」とのことだが、企画面で誰がリーダーシップを執っているのかはあまりよくわからなかった。

 だが、名古屋のしらかわホールをホームグラウンドとしての公演活動はすこぶる活発と聞く。今月26日にはゲルハルト・オピッツを迎えての「ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全曲連続演奏会」、1月には坂入健司郎指揮のブルックナーの「第3交響曲」他、2月には下野竜也と川本嘉子客演によるバルトークの「ヴィオラ協奏曲」やドヴォルジャークの「第8交響曲」を演奏する、といったように、大編成の作品も取り上げる室内オーケストラである由。

 今回はしかし、ヴァイオリン4人と管13人による公演だった(何とこの17人のうち、バセットホルンの客員の十亀正司を除く16人が女性だった)。
 曲は前半に弦だけでテレマンの「4つのヴァイオリンための協奏曲ト長調TWV40:201」、加藤昌則の「幻影音描」、バツェヴィチの「4つのヴァイオリンのための四重奏曲」が演奏され、後半には「13管楽器のためのセレナード(グラン・パルティータ)」が演奏された。

 前半の3曲での演奏は、技術的にもしっかりしているし、極めて美しい。だが、綺麗に流すのみで、メリハリに不足するのが惜しい。そしてまた、その3曲がどれも同じ色合いで演奏されてしまい、それぞれの作品の描き分けが行なわれていないのが問題だろう。

 後半の「13管楽器」は━━私は2階席最前列で聴いていたのだが━━妙に音が飽和して、というのか、一種の団子状態というのか、一つの塊となって耳にビリビリ来るのが不思議で首をひねっていたのだが、これはどうやら、例えば全合奏の際、常に全員が同じ音量で吹いているため、ハーモニーに透明さを失わせていたからではなかったのか? 
 つまり、全合奏で演奏している時、その中で浮き出すべき旋律線が全く目立たない。オーボエやクラリネットが主題を吹いている際にも、内声部(ホルン、ファゴットなど)それらと同じ音量で強く吹いているために、主題が全く浮き出して来ないのである。
 何よりの問題は、ここでも各楽章それぞれの異なる性格が全く描き分けられておらず、全曲が単調で単一なイメージになっていたことが致命的だろうと思う。これは(誰か判らないが)リーダーの責任であろう。

 個々の奏者の技術は極めてしっかりしているし、アンサンブルの技術的構築そのものも優れているようだから、しかるべき指揮者の指示に従って合奏をつくって行けば、もっと表情豊かな、多彩な音色の演奏も出来るはずだと思われる。

2020・12・4(金)Richard Wagner「わ」の会コンサートvol.6

        調布市文化会館たづくり くすのきホール  7時

 日本ワーグナー協会創立40周年記念事業にも組み込まれた今年の「わ」の会。
 「わ」とはワーグナー、和、環、などいろいろな意味が籠められている名称であることは既述の通り。今回は「Befreiung解放」というタイトルで、ワーグナーの舞台作品から3つ、かなりの長尺場面がプログラムに組まれた。

 最初に「ラインの黄金」から第1場(ラインの河底の場)全曲が、今野沙知恵・花房英里子・藤井麻美(以上ラインの乙女)、友清崇(アルベリヒ)、菅康裕(ウェイター、黙役)により演じ歌われ、次に「ワルキューレ」第3幕第3場の大半が池田香織(ブリュンヒルデ)と大塚博章(ヴォータン)により歌われ演じられる。

 そして第2部では「タンホイザー」第3幕のほぼ全部(細部はいくつかカット)が大沼徹(ヴォルフラム)、片寄純也(タンホイザー)、小林厚子(エリーザベト)、池田香織(ヴェーヌス)により歌い演じられた。
 ラストシーンでの合唱には、その他の前記出演者および飯塚奈穂、木崎真紀子、菅原光希、玉崎真弓、宮城佐和子が参加している。ヴォータンとアルベリヒが並んで神を讃えて歌う光景などというのは笑えるが、そこがこの「わ」の会の楽しいところであろう。

 指揮は毎回おなじみの城谷正博、ピアノは木下志津子と三澤志保。演出が太田麻衣子。字幕と解説が吉田真、その他の人々━━という布陣。
 池田香織の堂々たる完璧なブリュンヒルデとヴェーヌス、会場を揺るがす迫力の片寄純也のタンホイザー、エネルギッシュな悪役ぶりの友清崇のアルベリヒなどをはじめ、歌手陣は熱演力演。

 オーケストラ・パートがたとえピアノ2台で代用されていたにしても、ワーグナーはやはりワーグナーだ。実に久しぶりに聴くワーグナー・トーンである。
 来年2月の東京二期会の「タンホイザー」(舞台上演)、3月のびわ湖ホールの「ローエングリン」(セミ・ステージ形式上演)などが予定通り実現されんことを。

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