2020-07

2004年4月 の記事一覧




2004・4・29(木)小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅤ
プッチーニ:「ラ・ボエーム」

     神奈川県民ホール大ホール  3時

 初日。ロバート・カーセン演出、マイケル・レヴァイン美術・衣装、ジャン・カルマン照明。

 第2幕は「シュルリアリストたちの大騒ぎ」だと演出家は言っているが、実際はどうみてもホームレス軍団が「ええじゃないか」を踊っているようにしか見えない。第3、4幕でやっと主人公の若者たちの心理描写が取り戻され、なんとか体裁を整えたか。

 第4幕は、中央の「屋根裏部屋」を囲んで一面の花畑になっているが、これは以前のサイトウ・キネン・フェスティバル公演での「イェヌーファ」の舞台を連想させて印象深い。登場人物たちはよく動いて、若者たちの躍動を感じさせるが、第2幕の群衆の騒動は、演じているのが新人たちであることもあって、なんとも雑然として騒々しいという印象のみが残った。

 ミミのノラ・アンセルムは、第3幕ではどう見ても病人とは思えぬ身振りで、歌唱としても吠えすぎだろう。ロドルフォのロベルト・サッカ、マルチェッロのマリウス・クヴィーチェン、コリーネのハオ・ジャン・ティアン、いずれもしっかり歌い演じていた。
 注目はムゼッタで登場したアンナ・ネトレプコで、演技も巧いし、やや暗めの声のムゼッタというのもおもしろい。

 小澤征爾音楽塾オーケストラは、前半はバランスの悪さも目立ったが、後半は持ち直した。だが小澤征爾の指揮は、特筆すべきものはない。取り立てて悪いというわけではないのだが、ウィーン国立歌劇場音楽監督の肩書に相応しい程の出来ではない。

2004・4・25(日)飯森範親指揮東京交響楽団

     新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ  5時

 日帰りで、東響の新潟定期を聴きに行く。

 プログラムの後半は、マーラーの大作「交響曲第5番」。作曲者が最晩年に行なった「最終改訂稿」をもとに国際マーラー協会がまとめた「2002年校訂版楽譜」(ペータース社出版)が使用されての演奏である。この改訂は、これまで一般に演奏されていた楽譜に対し、曲全体の構築に変化を及ぼしているわけではないが、ダイナミックス(音の強弱の変化)や楽器編成には無数といえるほどの手が加えられている。

 たとえば第5楽章において、旧版ではコントラバスと共通の動きをしていたファゴットがチェロと同一の動きに変更されたり、弦の主題の背後にあった4本のホルンのパートが削除されたりしたことなど。今回の演奏で感じられたオーケストラの音色の明晰さは、それらの点に因るところも多いだろう。

 しかし、やはり称賛されるべきは、飯森範親のめりはりに富んだ指揮と、東京交響楽団のしなやかで雄弁な演奏である。
 ドイツのヴュルテンベルク・フィル芸術監督も兼任するこの若い気鋭の指揮者は、もともと筋肉質とでもいうべき力感を備えた音楽の持ち主でもあったが、近年の進境さらに著しく、同じマーラーの交響曲を手がけても数年前の「第3番」に比べ、はるかに精妙な表情とスケールの大きさを増した。第4楽章(アダージョ)での精妙で清澄な叙情性、第5楽章での緊迫感など、傑出した指揮ぶりといえよう。

 そして東響の演奏も、前夜のサントリーホールでのこの曲の演奏に比べ、いっそう流れのよいものになっていた。首席ジョナサン・ハミルと、彼が率いるホルン・セクションは相変わらずすばらしく、その豊麗さは、今や東京のオーケストラの中でも随一といっていいかもしれない。トランペット首席アントニオ・マルティの全曲冒頭のソロも輝かしく、その後に続く演奏の潮流を見事に先導した。

 プログラム前半は、トルコ出身のファジル・サイを迎えてのモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」。この才人にしては妙に慎重な演奏であり、正直言って期待外れだった感がある。3日前に大阪で演奏したベートーヴェンの「第3協奏曲」での自在な表現と、カデンツァで披露したような大胆奔放な即興演奏とを、モーツァルトの協奏曲でならもっと聴けると思ったのだが。
 アンコールでのサイの自作「ブラック・アース」の方に大拍手が集まったことからみると、聴衆のみなさんも同感だったのでは?                                   (「新潟日報」掲載批評より転載)

2004・4・24(土)飯森範親指揮東京交響楽団

      サントリーホール  6時

 そのファジル・サイが、この日はモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」を弾いた。最後はピアノも最終和音に参加して、ものの見事に決めたという次第。しつこくブーイングを飛ばしていた奴がいたが、これはこれで率直な聞き手といえよう。
 アンコールは「きらきら星変奏曲」と、自作の「ブラック・アース」。関西の聴き手ほどではなかったが、一応客も沸いていた。

 後半はマーラーの「交響曲第5番」で、2002年出版の校訂譜による演奏。耳で聴いただけではその細部の違いは判然とし難いが、明日新潟で聴き直すまでにスコアの研究をしておかなければならぬ。とにかく東響は、ホルンの強力無比な演奏、トランペットもソロも見事に決めた演奏で映えた。弦も爽やか。緊迫感では少々物足りなさもあったが、しかし真摯な演奏だった。

2004・4・23(金)大植英次指揮大阪フィル

       ザ・シンフォニーホール  7時

 大阪フィルも次第に大植色に染まりつつある。金管は鋭いアタックで響き、弦は以前の大阪フィルと異なって洗練された音色となり、恰も欧州のオケのそれのように瑞々しく歌う。

 最初のラヴェルの「ラ・ヴァルス」が、ウェーベルンのそれのように超モダンな、分解された音のイメージで演奏されたのは、後半に用意されていたストラヴィンスキーの「春の祭典」の前哨という意味でも、実に適切に感じられる。
 しかもその「春の祭典」が、予想に反して野性的ではなく、きわめて正確な━━というより、正確すぎるほどの佇まいで演奏されたのが興味深い。

 この2曲の間に、ファジル・サイがベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」を弾いたが、これがまた実に大胆新鮮な解釈で、あたかもドビュッシーのそれのごとき静寂な音色に満たされながら、カデンツァに入るや突然狂気のごとき奔放な演奏を展開するというユニークさ。
 アンコールの「きらきら星変奏曲」でも、左手のうちのある声部を強調させたりして思いがけない響きを作り出した。既成の概念を打破するおもしろい演奏家だ。

 この不思議なベートーヴェンが、ラヴェルとストラヴィンスキーの間に見事に位置して、今夜のプログラムを面白い対比を以って構築したのだった。
 大植は引き続き快調である。

2004・4・21(水)スクロヴァチェフスキ指揮N響

      サントリーホール  7時

 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキが客演して、めずらしくベートーヴェン・プロを聴かせてくれた。
 「エグモント」序曲ではすばらしい重厚な響きが出た。「第5交響曲《運命》」は快速テンポで、この世代の指揮者にしては鋭いリズムで押しまくったが、オーケストラがこのテンポをこなしきれない向きがあっただろう。

 「ヴァイオリン協奏曲」を弾いたモルドヴァ出身の若い奏者パトリツィア・コパチンスカヤ(見たところ東洋系の野暮ったいお姉ちゃんという感じ)が面白い。一風変わったアプローチだが、しなやかで、揺れ動くようなベートーヴェンを作り出す。第1楽章冒頭を弱音から始めて次第に強め、第3楽章最後を次第に弱音にしていくところなどその一例で、すこぶる個性的な感覚の持主と思われる。

 それにしてもN響は、いつもながらのことだが、拍手にこたえるときの(大多数の)楽員の無表情な顔つきには呆れる。これはおそらく、在京オーケストラの中でも随一だろう。
 全力で演奏した(であろう)あとに、客の反応に対してこれだけ無関心、無愛想な顔をするという感覚が理解できぬ。「今の、そんなによかったですかねえ」と言わんばかりにつまらなそうな顔をして客席を見るのだから、拍手を贈る気も萎えてくる。

2004・4・20(火)クルト・マズア指揮フランス国立管弦楽団

      サントリーホール  7時

 一昨年秋から音楽監督に就任しているクルト・マズアとのコンビでは、これが初来日となる。ブラームス・プロで、前半には「ピアノ協奏曲第2番」、後半に「交響曲第2番」を演奏した。

 ソロ・ホルンのひとふし、木管のちょっとした響きなどにフランスのオーケストラの色合いが見え隠れすることもあったが、作品の性格に従い、ここではこのフランスの名楽団もすっかりマズア色に自らを染めて、渋く重厚な音を響かせていたのが興味深い。

 協奏曲における見事なチェロのソロを含め、気品ある美しさに満ちた弦楽器群や、柔らかい管楽器群が醸し出す抑制された弱音の叙情的な美しさは特に印象的で、これらの作品が持つ管弦楽の美があますところなく発揮させられており、その点では指揮者とオーケストラの共同作業は成功していたと思われる。

 とはいうものの、このマズアの指揮には、いつものことだが、何か心に強く訴えかけてくる人間的な感情といったものが不足しているように感じられる。
 協奏曲でのソリスト、ニコラ・アンゲリッシュも、明晰で生き生きとしたピアニズムにあふれた音楽を聴かせたのだが、この躍動感の表情が、それと拮抗するはずの管弦楽の箇所にはなぜか引き継がれないのである・・・・。

2004・4・19(月)ユーリ・テミルカーノフ指揮読売日響

       サントリーホール  7時

 前半はストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲。さすがテミルカーノフ、重厚で色彩的な、民族色あふれる響きを読響から引き出し、ロシア民謡も多く取り入れられたこの作品を、いっそう面白く聴かせてくれた。

 後半はオルフの「カルミナ・ブラーナ」だ。
 テミルカーノフは、特に後半を嵐のような速いテンポで押し、作品が本来持つエネルギーをさらに高めて行ったが、オーケストラはともかく、合唱(栗友会合唱団)がこのテンポに煽られ気味で、歌詞の発音が表情を失い単調になり、慌ただしさを感じさせる部分が随所にあったのが惜しい。
 またこのよく響くホールの2階席では、オーケストラも含めて、細かく刻まれるオルフ特有のリズムとアクセントの細部が混然として聞こえてしまう結果を生んでしまったのは、結果的に成功とは言い難い。この曲に華麗な勢いだけを求めるのがねらいだったのなら、それはそれで申し分のない演奏だったのかもしれないが・・・・。

 ソリストの宮本益光も、後半ではこのテンポのため歌唱に明晰さを欠いたきらいがある。ソロは他に高橋薫子と高橋淳。後者は「焼かれた白鳥」の箇所をオペラ的な身振りも交えて歌い、聴衆を楽しませた。少年合唱はTOKYO FM合唱団。

2004・4・18(日)ホールオペラ「トスカ」

     サントリーホール  4時

 あまりプッチーニのオペラを聴きたいという気持ではないが、仕事ゆえ聴きに行く。
 ダリオ・ボニッスィの演出と石井幹子の美術・衣装・照明は凝ったものだったが、とりわけ印象的だったわけではない。
 レナート・ブルソン(スカルピア)は流石の貫禄の悪役で、ニール・シコフ(カヴァラドッシ)もよく声が伸びた。ドイナ・ディミートリゥ(トスカ)はかなりパワフルでよく通る声である。

 指揮のニコラ・ルイゾッティはオケを鳴らすこと鳴らすこと、しばしば声をかき消したが、それはこのホールのアコースティックと、舞台の配置の所為によるものかもしれない。2日目の公演がもしあったら、バランスを変えた演奏も可能だったであろう━━という類のものである。
 いずれにせよこの指揮者、ややワイルドな音楽の持主だが、ドラマティックな盛り上げは悪くない。すでにパリ・オペラ座やスカラ座にデビューを行い、この2、3年のうちにはメットへのデビューも決まっているというから、成長株なのだろう。

2004・4・16(金)沼尻竜典指揮日本フィル

     サントリーホール  7時

 早朝7時40分成田に着き、午後2時からミュージックバードで翌日放送のメトロポリタン・オペラ・ライヴの番組を制作するというぎりぎりの作業を行なった後、サントリーホールに向かい、日本フィルの定期を聴きに行く。

 この日は、ツェムリンスキーのオペラ「フィレンツェの悲劇」の演奏会形式上演だ。正指揮者・沼尻の感覚のよさ、オーケストラの音の良さと雄弁さは出色のものだし、クライマックスへ向けての緊迫感もなかなかのものであった。
 沼尻は、やはりこのような近代・現代作品に良さを発揮する。先日の「ルル」の不出来はもちろん東フィルの責任だったが、今日の日本フィルとの演奏では、彼の音楽も冴え渡った。

 3人の歌手も決して悪くはなかったが、最強奏箇所でオケのなかに埋没してしまうのは仕方のないところだろう。
 まあ今日の演奏は、指揮者とオケと字幕とで保った、と言ってもいいかもしれぬ。前半のプログラム、モーツァルトの「ハフナー交響曲」も、きちんと組み立てられた立派な演奏であった。

 最近の日本フィルは、音楽監督の指揮で荒れ、正指揮者の指揮で引き締まる。

2004・4・14(水)ドレスデン(終)ワーグナー「ヴァルキューレ」

    ドレスデン・ザクセン州立歌劇場  5時30分

 ザルツブルクのような華やかな音楽祭も悪くはないが、このような古式床しい街の歌劇場で、そこをホームグラウンドとして強みを発揮しているカンパニーの公演を観るのも実にいいものだ。普段着の観客ばかりだし、不思議にくつろいだ雰囲気がある。

 今回の「ヴァルキューレ」は、ヴィリー・デッカー演出、ヴォルフガンク・ガスマン美術・衣装の「指環」プロダクションの一環で、2001年のプレミエ。世評はすこぶる高いと聞くが━━。

 劇場を模した「客席」と「内舞台」とからなる第1幕の光景は、またかと思わせるたぐいのもの。第1幕前奏曲のさなかからヴォータンが現われ、自ら内舞台の幕を開け、出来事の進行を見守るあたりも、さほどめずらしくないテだ。

 この内舞台は白木の作りで、中央に大きな柱があり、そこに大きなノートゥングが突き刺さっている。フンディングが持っている武器も(槍ではなく)ノートゥングと同型の剣であるのが面白い。後方の壁が消えて月光が差し込むあたりは美しい。
 舞台と客席の関係は、主人公と観察者の関係でもあるようだが、時折この関係は逆転する。フンディングがヴォータンに倒される以前にすでによろめいているのは、ジークムントには所詮かなわぬ彼の存在を暗示しているというわけだろう。

 第3幕に至って内舞台はすべて客席となり、ヴァルキューレたちもヴォータンもこの客席の通路を右往左往するというわけだが、この意図は明確でなく、しかも視覚的にすこぶるメリハリを欠いて煩わしい。音楽と物語の両者が本来持っている宇宙的な壮大さが、日常に見るような調度の大道具により矮小化され、イメージを限定してしまうのだ。
 たとえわずかの照明で変化が行なわれたとしても、1時間以上(あるいは3時間半)も「劇場の客席の椅子」ばかり見せられていては、視覚的に飽きてしまうのも当然だろう。策に溺れたとはこのことである。

 第3幕冒頭では、ヴァルキューレたちは大きな矢印(これもどこかで見たような光景だ)の吊り装置に乗って降りてくる。ラストシーンは舞台奥に白い卵形が浮上し、ブリュンヒルデはその上に寝ているという構図だが、別に火がそれを囲むわけではなく、拍子抜けさせられる光景だ。

 総じて舞台は単調の印象を免れない。といって、キース・ウォーナーのようなゴテゴテといろいろなものを並べた舞台がいいという意味ではない。ともかくこうした手法がそろそろ鼻についてきたという感を拭えないのである。先日の「コジ」といい、この「ヴァルキューレ」といい、いっそ演奏会形式で聴きたかったとさえ思う。そうすれば、このすばらしい音楽からいささかも気を散らされずに済んだものを。

 指揮はペーター・シュナイダー、この人はやはり「10勝5敗」型の指揮者だ。スリルはないが破綻もなく、良くも悪くも安定している。昔ならホルライザーといったところだろう。テンポは少し素っ気なく、「魔の炎の音楽」など踊るようなテンポで軽快にやってしまっていた。
 今日聴いた席は2階上手側中央寄り2列目で、屋根の下に入っているせいかオーケストラの音はやや硬い。1階で聴いた知人が、オーケストラの音のふくよかさに痺れたと言っていたくらいだから、席によって随分音が異なる様子である。

 ジークリンデのヴィオレッタ・ウルマナが歌唱で流石に光り、ビルギット・レンメルトも貫禄のフリッカ。エントリク・ヴォトリッヒのジークムント、ユッカ・ラシライネンのヴォータンも安定して立派だ。
 エヴェリン・ヘルリツィウス(ブリュンヒルデ)は体調不完全とアナウンスがあったが、第3幕前半では声をセーヴしていたものの、全曲を通じて聴かせどころでは見事な歌唱を聴かせた。フンディングのヨハン・ティルも長身の迫力で、ちょっとルネ・パーペを思わせる。

2004・4・13(火)ドレスデン(1)ヴェルディ「ファルスタッフ」

      ドレスデン・ザクセン州立歌劇場  7時

 午前中にフランクフルト経由で空路ドレスデンに入る。ヒルトン・ホテル投宿。このホテルは、いま大改修中の聖フラウエン教会の斜め前にあり、大聖堂やゼンパー・オパー(ザクセン州立歌劇場)にも程近く、すこぶる便利である。近辺には、もはやあの洪水の被害の痕跡は見て取れない。

 今夜の「ファルスタッフ」は、ウィル・フンブルク指揮、ウルリヒ・エンゲルマン演出によるプロダクション。タイトル・ロールのベルント・ヴァイケル以外に私の知る名は見当らないが、歌手たちはおしなべて手堅いレベルに達しており、アンサンブルとしても安定していて、音楽的によくまとまった上演であった。

 とりわけオーケストラ━━シュターツカペレ・ドレスデン(所謂ドレスデン州立歌劇場管弦楽団)の、それも弦の響きの柔らかく美しいことはまさに「いぶし銀の魅力」というべきか、日本を含めた他国の都市での公演では(宣伝文句はともかく実際には)あまり感じられぬこのオケの良さがあふれんばかりに伝わって来る。

 たとえば第3幕で、音楽に和解のイメージが顔を覗かせる箇所での弦の豊麗な歌と来たら! こういう演奏を聴くと、このオペラもやはり雄弁なオーケストラ・パートを基盤として展開されている作品なのだ、ということに改めて気づかされるのである。そしてまた、こういう演奏は、器楽を重視するドイツの歌劇場でなければ味わえないものだろう。

 ヴァイクルは、声の上でも随分老けたものだという印象だが、無理をせずに声を出して破綻は感じさせぬ。ただ、周囲の歌手たちに比べて演技は少々手抜きのように見える。ルーティン公演のせいか、第3幕の群衆の動きも雑だが、しかし全体としてみればやはり相当がっちりした出来栄えだ。ドイツの各都市のオペラの底力を感じないではいられない。

2004・4・12(月)ザルツブルク・イースター(終)
モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」

     祝祭大劇場  6時

 ラトルがモーツァルトの大作オペラを指揮し、アーゼル&カール=エルンスト・ヘルマンが演出(後者は衣装と装置も)、バルトリとコジェナーとボニーとアレンが歌う、ということで、今年の音楽祭の目玉になっていた。

 たしかに女声歌手陣は強力だ。演技はちょっと素人っぽいけれども歌唱は相変わらず強烈なチェチーリア・バルトリ、その彼女ほど拍手は大きくはなかったけれども安定した実力のマクダレーナ・コジェナー、3枚目の役回りながらまじめ(すぎたか)な歌唱を貫いたバーバラ・ボニー。いずれも音楽的に充実していた。

 ただし男声陣は若干劣る。アルフォンゾのトーマス・アレンと、グリエルモのジェラルド・フィンレイはまず無難だったが、フェランド役のクルト・シュトライトという人は技術的にも少し苦しい。

 あの広大な舞台を左右いっぱいに使っての演出は、そのわりには散漫さを感じさせない巧妙なものだったが、ただ登場人物の心理の微細な動きを演技から読み取るには、これはやはり巨大な空間でありすぎた(特に1階前方で観ている者にとってはそうだ)。
 姉妹が男たちの芝居に気づいて意図的に乗る設定や、グリエルモが怒りのアリアをその場面だけ客席に向かってアピールしながら歌うくだりなど、ピーター・セラーズがすでに試みている手法だけに、何を今更という印象も拭えない。もちろん全体に洗練されたものではあるけれど。

 また慎重な姉と冒険的な妹との性格づけが明瞭な原作と異なり、どちらがどちらともいえないこの演出の設定は、その2人の女の対比をやや曖昧にし、ドラマを単調なイメージにしてしまっていたのは確かだろう。装置はかなりシンプルなものだったが、照明と併せきわめて美しかった。

 さて、ラトルのモーツァルトは━━ベルリン・フィルに徹底したピリオド楽器的奏法を要求し、音楽の持つ緊迫感と構築性、畳み込むエネルギーを存分に発揮させていた。それは極めて卓越したもので、たとえば序曲のコーダなどは息を呑むほどの迫力に満ちていた。

 そういう良さは認めながらも、いくつかの不満は残る。まず、レチタティーヴォの演奏だが、それを演技優先のテンポにするものだから、音楽的な流れが完全に損なわれる。アリアや行進曲の部分で折角見事に築かれた緊迫感をも失わせてしまい、オペラ全体をだらだらと長く引き伸ばさせる結果になってしまうのである。
 それと、ハーモニー感覚の希薄さ。モーツァルトのオペラの中で、「コジ」ほど和声の美しさが目立つ曲は、他に例を見ないはずだ。女声の3度のデュエットの下に波打つ弦楽器の神秘的で柔らかいロマンティックな響きなど、その美しさは本来、驚異的でさえあるのだ。ところが、ラトルがそういう箇所で引きだす音は、実に硬直しているのである。それには、オーケストラの音色のドライさ、汚さも関連しているだろう。

 総じてラトルのモーツァルトのオペラは、現在のところでは、特に傑出したものではない、と言わざるを得まい。
 今年のザルツブルク・イースター訪問は、これで完了。次の目的地はドレスデン。

2004・4・11(日)ザルツブルク・イースター(5)
ラトル&ベルリン・フィル

     祝祭大劇場  6時30分

 前半はラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲と、ラベック姉妹を迎えてプーランクの「2台のピアノのための協奏曲」。後半はそのラベック姉妹の演奏のみの「白と黒で」があって、アデスの新作が演奏され、最後はドビュッシーの「海」となる。

 総じてフォルティッシモは音色が汚く、ひどく騒々しい。このホールの1階席でこんな風に聞こえたことは、かつてなかった。ベルリン・フィルの音もどうやら荒れたかと思わされたが、しかし無理のない響きで演奏されたアデスでは豊麗さが蘇っていた。もちろん演奏もこれが一番良い。

 ラベック姉妹の演奏は最低。こんな無表情なプーランクもドビュッシーも聴いたことがない。

2004・4・11(日)ザルツブルク・イースター(4)
シャルパンティエ:「ダヴィデとヨナタス」

      モーツァルテウム大ホール  11時

 1688年パリで初演の「音楽悲劇」。フランス語による演奏会形式上演。
 プロローグと第1幕45分、第2幕15分前後、第3~5幕50分という長尺物で、ストーリーに関しては下調べもできず、フランス語の台本を手にして聴いたのだが、不思議に内容はよく伝わってきた。

 エイジ・オブ・インライトゥンメントの演奏は爽やかで明晰で水際だっており、エマニュエル・エイムという女性の指揮者がこれまた要を得た音楽の作りで面白く聴かせてくれたので、マルカントワーヌ・シャルパンティエの音楽がきわめてドラマティックに楽しめたのである。5列目中央という位置はこの種の音楽を細部まで聴き取るには丁度手ごろな席であった。

 サウルを歌ったロラン・ナウリが風格のある歌唱で厳然たる存在感を示す。ダヴィデのポール・アグニューはこの役をヒューマンで穏やかな性格として強調、これは当然サウルとの対比を際立たせるためだったのだろう。ヨナタスはヤエル・アッツァレッティという女性が歌ったが、個性としては少々弱い。
 大勢の脇役たちがしっかりしており、中でも Richard Savage というプロローグで1度しか登場しないサムエルを歌ったいかつい顔をしたバス歌手など、凄味のある声を聴かせていた。

 変な騒々しい演出を見るよりも、演奏会形式のこの上演は音楽に集中して聴けるので疲れなくて済む。

2004・4・10(土)ザルツブルク・イースター(3)
ブーレーズ&ベルリン・フィルのバルトーク

   祝祭大劇場  6時30分

 ある意味ではこれがいちばんの注目演奏会であったが、意外に平凡で面白みに欠けた。ベルリン・フィルもこのようなオーソドックスな響きを上手く出せなくなってしまったのだろうか? 
 「舞踏組曲」も「中国の不思議な役人」も淡彩な音色で、それはもともとブーレーズの個性の中に含まれるものではあったが、今回はそれだけに終始してしまったような印象である。

 ギドン・クレーメルとユーリ・バシュメットをソリストにしたそれぞれのコンチェルトは、さすがフェスティバルにふさわしい豪華な顔触れではあったが。

2004・4・10(土)ザルツブルク・イースター(2)
ラトル&ベルリン・フィルの公開リハーサル

    祝祭大劇場  11時

 1時間半ほどの公開練習。翌日演奏されるトーマス・アデスの新作(5分程度の作品)を取り上げ、ラトルが例のごとくユーモアと懇切丁寧さのあふれる語り口調で聴衆(ほぼ満席)を楽しませながら進める。

 このサービス精神は見上げたものだ。客席の赤ん坊が泣き出せば、退場する母親に「戻って来て下さいよ」などと声をかけたり、演奏終了時に抑えたクシャミが客席から聞こえ、場内にクスクス笑いが起こればすかさずそれをネタにしたりと、センス抜群の対応ぶりである。

 客席には作曲者もいて、時にラトルの求めに応じて舞台に上がり、マイクを使ってその指示を客席にも聞かせていた。現代作品が、最初は少々バラバラなオーケストラの合奏から次第に調琢されて精妙な音色の音楽にまとまって行くまでの1時間半、これは面白い一時でもあった。

2004・4・9(金)ザルツブルク・イースター(1)
ラトル&ベルリン・フィルの「イドメネオ」

         祝祭大劇場 6時30分

 前日、ルフトハンザとオーストリア航空でザルツブルクに入る。なじみの便利なクラウン・プラザに宿泊。ここはJTBグループの常宿だから、旧知の人たちと顔を合わせることも多い。フリーで来ている大阪の歯科医夫妻ともバッタリ。他のホテルには同業者も何人か。

 今日は復活祭音楽祭の第2チクルス初日で、モーツァルトの「イドメネオ」だ。
 演奏会形式だが、オーケストラはピットに入っている。ピットの位置は比較的高く、オーケストラの音がよく聞こえるようにしている。
 今回の席はすべて1階17列23番(これは通路側の理想的な位置)だが、そこで聴いてもベルリン・フィルの音色はきわめてシャープで、クリアーで、時には耳にきつくさえ感じられた。カラヤンやアバドの時代には想像もできなかった音だ。良くも悪くもラトル色が大きく拡がって、━━やはりこのオケは変わってしまった・・・・。

 イドメネオを歌ったフィリップ・ラングリッジは、流石に年を取ったなという印象が拭えない。高音での細かい動きの部分では、技術よりも老練さでカバーしている雰囲気でもあったが、味はある。
 ここでのイドメネオは、王にしては威厳を欠き、イダマンテに対してさえも逃げ腰になっているという演出になっているが、これは些か解釈に苦しむ(演出者のクレジットはない)。

 そのイダマンテ(マッダレーナ・コジェナー)は少し体調が悪いという断りが事前にあったが、ややセーヴした歌唱で支障なく最後まで聴かせた。クリスティアーネ・エルツェ(イリア)の進境は目覚ましいものがある。
 アンネ・シュヴァンネヴィルムス(エレットラ)は、歌唱はいいのだが、エレットラという役柄には少々生真面目すぎるのではないか。最後のアリアのクライマックスでは、「怒り」というよりも「笑い」のような声の転がし方が些か気になった。

2004・4・3(土)ルチアーノ・パヴァロッティ・リサイタル

     サントリーホール  5時

 超人気テノール、ルチアーノ・パヴァロッティの登場。ソプラノ歌手と一緒に、ピアノ伴奏で一応のリサイタル形式。

 手に持ったハンカチは昔のままだが、もちろん声の方は、往時を知る者にはいささか悲しい。しかし「ラ・ボエーム」第1幕最後のような箇所でもちゃんと高音は確保している。齢をとったなりの活動をしていることは見上げたものだ。会場は「善男善女」で超満員。終演後にはパーティがあるとかで、正装した連中も多かった。

 共演のソプラノは、アンナリサ・ラスパリオーシという人で、悪くはない。添え物的存在となっていたのは少々気の毒だった。

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