2017-05

3・18(日)ドレスデン・リヒャルト・シュトラウス・ターゲ
 楽劇「影のない女」

ザクセン・ドレスデン州立歌劇場

 今回初めてパルケット席に入る。12-30という位置で、ここではオーケストラもあまりガンガン来ないでやわらかい音になるだろうと思いきや、マルク・アルブレヒトがオケを鳴らすこと鳴らすこと。怪獣のごとき咆哮で、しばしば声をかき消してしまう。新国立劇場の何ともかぼそいオーケストラの音に比べると、恐ろしくなるくらいに巨大なサウンドだ。アラン・タイトゥス(バラク)の声だけがそれを突き抜けて聞こえてくる。
 だが、昨夜のレンネルトの指揮みたいに金太郎飴的ではない。起伏があって、叙情的な箇所ではそれなりに美しく聴かせる。激しい箇所では、このオペラが20世紀の現代音楽としての鮮烈さを充分に備えているのだということを改めて思い起させた。

 舞台装置と衣装はロザリエ。例のごとく奇抜なデザインによる、キッチュでカラフルな舞台だ。彼女の舞台装置は、以前のバイロイトの「指環」でもそうだったが、常に演出まで左右してしまうらしい。これまで凡庸な演出家と組んだものばかり観せられたからかもしれないが。今回の演出を担当しているハンス・ホルマンもまた、型通りのことしかやっていない。

 ラストシーンで乳母が独り本を読んでいたのは、彼女を語り部として設定したのか。リーンドラ・オーヴァーマンというあまり冴えない乳母役のいかつい顔は、まるで「あなた方はこんな話を信じますか?」と言っているみたいに見えるが、そこまでの伏線が何もなかったので、真意は定かでない。
 第2幕大詰の、大洪水にバラクの家も人間たちも巻き込まれるという場面にも、所謂ケレンはなく、乳母と皇后が一緒に退場し、一方バラク夫妻は、蝿みたいな格好をした霊界の兵士たち(?)に連れ去られるという演出で、面白みも何もない。演技の上での心理描写もあまり詳細に行なわれていないので、バラクにとっては、なぜ自分まで罰を受けねばならないのか、おそらく納得できないのではなかろうか。
 敷居の護衛者はコップを捧げて皇后に飲めと勧めるのみ。生命の水を飲むか、影を諦めるかといった切羽詰まった状況を描くには迫力が皆無である。こういう舞台を観ると、つくづく、あの猿之助の演出した舞台がいかに凄まじく大がかりで、見せ場に富んでいたかと改めて懐かしくなる。
 
 アラン・タイトゥス(バラク)とルアナ・デヴォル(妻)は、19年前に日本でやったミュンヘン・オペラの時と同様、強力である。皇后は、2日前にダナエを歌ったスーザン・アンソニー。役柄の性格を見事に使い分けて、こちらは可憐さを見せ、いずれも魅力的であった。オーヴァーマンは声は有るが、演技はあまり冴えない。皇帝のヨン・ケティルソンはヤサ男で、調子も良くなかったらしく、存在感はほとんどゼロに近い。今回観に来た5本の内では一番のお目当てだったのだが、期待外れというところか。

 この翌日以降、「カプリッチョ」「ナクソス島のアリアドネ」「エレクトラ」「ばらの騎士」という魅力あふれる作品が並んでいたのだが、東京でのロバート・カーセン演出と小澤征爾指揮による「タンホイザー」をどうしても観たかったので、涙を呑んで帰国するスケジュールになった。

3・17(土)ドレスデン・リヒャルト・シュトラウス・ターゲ
 楽劇「サロメ」

ザクセン・ドレスデン州立歌劇場

 主役の変更も、時にはありがたい場合もある。サロメがエヴァ・ヨハンソンに変わっていた。馬力のある人だから、安心して聴ける。
 ヘロデのヴォルフガンク・シュミットも、ヨハナーンのアラン・タイトゥスも力強い。2 Rang 1-24 の席にさえ、オーケストラを強烈に突き抜けて声が響いて来た。

 ただヴォルフガンク・レンネルトという指揮者は、オケを鳴らしすぎる傾向があるだろう。鳴らすのはいいとしても、一本調子で変化がないのが問題だ。冷たい音色も耳を疲れさせる一因である(平土間で聴いていた知人たちも、バランスはよかったと言う人、やはり鳴りすぎだと言う人、さまざまだ。聴き手の感覚の問題もあるだろう)。

 演出・装置はペーター・ムスバッハ。アレクサンダー・コッペルマンの照明ともども、非常にモダンで冷徹である。前方下へ向けて極度に傾斜した舞台(歌手も大変だったろう)の中央に冷たい光(つまり蛍光灯色)に輝く建物のようなものが在る。舞台には枠のようなものがあり、上手の一角にプールサイドの手摺りのようなものがある。

 白いつなぎを着たヨハナーンが、最初からその手摺りに掴まったまま、足を手前に下げて腰掛けている。あたかもプールサイドに腰掛けたまま「救世主が来るであらうぞ」と、物々しく繰り返しているようなものだ。したがって彼は古井戸の中にいるのではなく、常に「地上」に居て、時にはあちこち歩き回る。
 サロメは、ややはすっぱなドレス姿。彼女とヨハナーンだけが白い服で、その他ヘロデ側の連中は黒の衣服だ。ナラポートは自殺するのではなく、サロメを殺そう(もしくは脅かそう)と手にしていたナイフが、ヨハナーンに偶然ぶつかられたはずみに胸に刺さってしまうという具合である。読み替えだが、この方がずっと筋が通るだろう。
 
 「7つのヴェールの踊り」は字義どおりではなく、ヘロデがサロメを犯す場面として扱われる。サロメとヘロデとヨハナーンとヘロディアス(ダグマール・ペッコーヴァ)の4人の相関関係が複雑に絡む。
 ヨハナーンは結局地上で殺され、その死体にかけた白い布の中へサロメも潜り込む。ヘロデは「その女を殺せ」と叫びつつ、自ら斧を手にして駆け寄るが、サロメの恐ろしい形相にたじろぎ、後退りするところで暗転。

3・16(金)ドレスデン・リヒャルト・シュトラウス・ターゲ
 歌劇「ダナエの愛」

ザクセン・ドレスデン州立歌劇場

 ザルツブルク音楽祭との共同制作と銘打たれているように、2002年夏にザルツブルク祝祭小劇場で上演されたプロダクションと同じ舞台のはずだったが、豈図らんや、似て非なるもの。舞台装置も、人物の動きも、大幅に異なる。
 舞台上方の回廊は殆ど使われず、メルキュールはロイヤルボックスに出現。
 ラストシーンでは、ザルツブルク版と共通しているのは、ユピテルが山荘の一室で寝てしまうことと、窓外に山の光景が拡がっていることのみ。その光景が大きく転回し、山荘もろとも地上に落下するようなシーンや、新生を決意したダナエが独り傘をさして雨の戸外に出て行くあの印象的な光景は一切なく、ダナエが紗幕越しにミダスと見つめあう場面が挿入されるに止まっていた。演出担当のギュンター・クレーマー自ら手直ししたのだろうか?

 ユピテルのヴォルフガング・ネヴェルラ、ダフネのスーザン・アンソニー、メルキュールのマルティン・ホムリッヒらが手堅い。ダナエの分身たるダンサーのアンナ・フランツィスカ・スルナという美女は、黄金色の薄ものを纏って水浴したり転げ回ったり、第3幕では30分近くも身動きせず舞台手前に座り続けていたりと、ご苦労なことである。

 指揮はヨハネス・フリッチという人。ザルツブルク上演におけるファビオ・ルイジの、あの瑞々しさと生気に満ちた指揮を知る者にとっては歯痒いかぎりだが、しかしこのシュターツカペレ・ドレスデンは、誰が振ろうと素晴らしい音を出す。R・シュトラウスの音楽を演奏したら自分たち以上の存在があろうかという誇りと自負がこのオーケストラにはあふれているように感じられる。たとえ演出の面では他の歌劇場に一歩を譲ることがあっても、音楽では揺るぎない王座を占めるという自負だ。これに拮抗できるのは、ただウィーン国立歌劇場だけだろう。

3・15(木)ドレスデン・リヒャルト・シュトラウス・ターゲ
 歌劇「アラベラ」

ザクセン・ドレスデン州立歌劇場

 昨年のバイロイトで感激したピエチョンカの歌うタイトルロールを楽しみにしていたのに、リイカ・ハコラというソプラノに替わっていた。容姿も好いし声も良いのだが、これからというタイプの人だろう。最初のうち声が伸びなかったが、それでも次第に改善されていった。彼女の声が出てきたためか、指揮者のペーター・シュナイダーがベテランの腕でオーケストラをうまく制御してくれたためか。最後のカーテンコールではブラヴォーももちろん出たが、ブーもいくつか飛んだ。
 だがウテ・ゼルビッヒのズデンカは悪くなかったし、特に最後に女性に戻ってからはの歌唱と演技は、主役のアラベラを食ってしまうほどの存在感を示していた。
 ヴォルフガンク・シェーネのマンドリーカは文句なしで、演技の面でもクマと格闘できるくらいの野性味をもほどほどに交え、大成功。

 ハンス・ホルマンの演出は、ごくまっとうで、可もなく不可もなしといったところか。この演出では、アラベラとマンドリーカはめでたく結ばれるが、ズデンカとマッテオは危ないらしいという解釈である。台本には確かにこの2人の行末についてはそれほど明確に語られているわけではないし、マッテオの言葉にもそれを具体的に示唆するものは無いのだから、彼が絶望とこだわりとをあからさまに示しつつ退場して行くこの演出も当を得ているだろう。
 ハンス・ホッファーの装置は、黒と赤を基調にして、暗い。第2幕のフィアカー舞踏会の場面では、階段を挟むようにして、恐ろしく大きな馬が3つ4つ。幕が上がった途端に客席もざわめいたが、1人早くもブーを飛ばした客もいた。1992年プレミエのプロダクションだから、そう新しいものでもない。

 最近好調のペーター・シュナイダーが指揮するこのオーケストラの音色は、昨日にも増して素晴らしい。私の聴いた席は、日本なら4階席にあたる場所で、音も少し硬く聞こえるはずなのだが、それでも並みのオケとは比較にならぬほどしっとりとして美しい。もし今、世界一良い音を出すオケを挙げろといわれたなら、ウィーン・フィルを凌ぐ存在として、私もこのドレスデン・シュターツカペレを挙げるだろう。

3・14(水)ドレスデン・リヒャルト・シュトラウス・ターゲ
 歌劇「平和の日」

ザクセン・ドレスデン州立歌劇場

 ザクセン・ドレスデン州立歌劇場におけるR・シュトラウス・ターゲ、オペラ10連発のうち、2日目から6日目までを観るために、前日にドレスデンに入る。

 「平和の日」は短いオペラなので、8時開演。
 ペーター・コンヴィチュニーの演出としてはかなりストレートなものだ。1995年のプレミエというから、あのシノーポリも指揮した(CDにもなっている)プロダクションである。

 長い戦争が終結した大詰近くの場面では、舞台後方にそびえたっていた「壁」が取り払われる。90年代前半の発想による演出で、「季節モノ」は時代が変わると旧く見えるというけれど、致し方ない。そうすると、司令官が錦の御旗のように振りかざしていた「皇帝の手紙」は、ウルブリヒトかモスクワの指令書ということになるわけか。
 壁が無くなると、そこに出現するのは一面の十字架の墓。そこに転がっていた「死体」が一斉に起き上がって合唱に参加するわけだが、死者が蘇るなどという野暮なことをコンヴィチュニーがやるわけはないから、これは死者の子供たちということになるのかもしれない。

 ハンス・ツィマーの指揮は、やはり凡庸の部類に属するだろう。最後の合唱とオーケストラの空前の大咆哮は、よほど巧い指揮者の手によらないと、カオスに陥ってしまう。しかしシュターツカペレ・ドレスデンは、常に全く硬くならず、惚れぼれするほどいい音を響かせる。すばらしいオーケストラである。

 司令官役のハルトムート・ヴェルカーが出られず、アルベルト・ドーメンが代役を勤めたまではよかったが、いくらDGGのCDでこの役を歌っていた彼でも、突然では無理らしく、舞台下手袖で譜面を見ながら歌う仕儀となる。司令官役は他の歌手だか役者だかが演技だけ行なったが、この人が冴えず目立たず、従って舞台はあまり引き締まらないものになった。
 マリア役のエヴァ・ヨハンソンと、市長役のランス・リアンが凄い馬力を出した。特に前者は、最後の大音響のカオスの中でも堂々と声を浮き上がらせていた。

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