2017-09

2017・2・18(土)井上道義指揮大阪フィル ショスタコーヴィチ2曲

     フェスティバルホール(大阪)  3時

 第505回定期の2日目。
 ショスタコーヴィチの「交響曲第11番《1905年》」と「交響曲第12番《1917年》」を一夜のプログラムに組むという、まさに破天荒な定期だ。こんな物凄いプログラムは、私もこれまで聴いたことがない。

 内容としては、前者が「血の日曜日」、後者が「十月革命」で、ロシア革命の通史を描くようなものであり、かつ音楽に双児のような性格の部分が無くもないのだから、一緒にやる理屈は充分に立つ。とはいえ、なんせその音楽的な重量感が凄い。演奏時間も各々65分と40分の長さ。休憩を含め、終演は5時20分、ということになる。いかにも井上道義らしい斬新なプログラミングだ。
 彼はこの日が大阪フィルの首席指揮者としての最後の定期になる。3年前の4月、ショスタコーヴィチの「第4交響曲」で幕を開けた彼の首席指揮者としての活動は、再び得意のショスタコーヴィチの交響曲で幕を閉じるというわけであった。コンサートマスターは崔文洙。

 ところで、今日は初めて、このホールのバルコン席(下手側)に座ってみた。
 ペア席なので、知人の女性新聞記者を━━高所は苦手だと嫌がるのを強引に頼み込んで付き合ってもらったのだが、いざ桟敷席に向かって一歩足を踏み出した瞬間、ワッという感覚。想像していた以上に、高所感が強い。眼下に拡がる客席に目をやった瞬間、くらくらするような感覚になる。
 高所感という点では、他のホールにもこれより強く感じられる場所も数多くあるが、ここフェスティバルホールのバルコンは、席全体が空中に突き出ているので━━空中浮揚感というのか、それがちょっと慄きを呼ぶのである。金属製の手摺がステージへの視覚の上で若干障害になるが、この手摺が無かったらもっと怖いだろう。

 さてこの下手側バルコン席で聴く音だが、ステージを斜め上から見下ろす位置なので、今日の編成の場合は、ヴァイオリン群を上から、チェロやコントラバスなど低弦群を正面から聴くことになる。したがって、弦の響きは素晴らしい。昔好きだった東京文化会館大ホールの4階下手側舞台より最前列の席に似たようなアコースティックである。
 「第11番」第1楽章の弱音の弦など、極めて拡がり豊かに、ミステリオーゾに感じられた。この弦とハープによるアダージョの個所が、これほど静謐な大空間を感じさせ、美しく聴けたのは初めてかもしれない。もちろんそれは、演奏の所為もあっただろう。また「第12番」冒頭の弦も、たっぷりと豊かに聞こえ、豪壮なスリルを味わわせてくれた。

 このバルコン席、大編成の管弦楽のあらゆる楽器が明晰に聞こえて来るのは、もちろんそれはそれでいいのだが、その一方、どの楽器も音量的に均等に聞こえてしまい、楽器群に距離感や奥行き感といったものが薄れてしまうという傾向もある。
 特にそれが最強奏で轟く瞬間になると、拡がる弦よりも咆哮する金管が強く聞こえ、更にそれよりも絶叫するピッコロなど高音の木管群が強く聞こえ、なおそれよりも怒号する打楽器群の方が強く耳に入って来る結果となる。

 しかし、この日の井上と大阪フィルの演奏は見事だった。
 「11番」では、特に第1楽章 の形式感が明晰に整理され、刻々と変わる色合いが浮き彫りにされて、些かも長さを感じさせない。血の修羅場を描く個所は壮絶であり、斃れた同士を悼む革命の歌も情感に富んでいる。
 ただ、第4楽章終り近くでのコール・アングレの長い歌は、スコアの指定では「p」が基本だが、かなり強くリアルに、武骨に感じられた。これは、必ずしも席の位置による印象とは言えないようである。もう少し哀調を籠めた挽歌として歌われれば、感動もひとしおだったのではなかろうか。

 これ1曲だけでもういいんじゃないか、と思えるような重量感のある演奏だったが、さらに20分の休憩を挟んで「12番」が始まると、これまた実に密度の濃い演奏だったので、一気に引き込まれてしまう。
 オーケストラのまとまりとしてはこちらの方が良かったように思えるが、それは作品の性格の所為もあっただろう。ショスタコーヴィチの作曲技法が明らかに円熟に向かいつつあるということが、この2曲を「ナマ演奏で」続けて聴いてみると、まざまざと感じられて来るのである。

 最後の頂点での井上の指揮はまさに入魂というべきもので、管弦楽の響きはいっそう濃密になり、調和のハーモニー、均整の坩堝、豪快な熱狂に満たされた。彼の大阪フィルとの活動の総決算に相応しい昂揚の瞬間であった。

 その大阪フィルの演奏も、2曲を通じてアンサンブルも濃密、金管のソリも良く、ティンパニは張りのある響きで強い存在感を示していた。あらゆる意味で、大阪フィルの底力を示した演奏会であったろう。

 井上は、こうして、首席指揮者としての最後の定期公演を本領発揮で飾った。彼と大阪フィルの演奏を全部聴いたわけではもちろんないけれども、今日のそれは、おそらく彼の大阪フィル時代における最高の演奏だったのではないか、と想像する。さすがショスタコーヴィチの交響曲に愛情と熱意を注いでいる井上ならではの指揮だ。
 彼の大阪フィルの首席指揮者としての期間はわずか3シーズンと短く、しかもその最初の年は闘病のためほとんど振れなかったので、不本意なことが多かったろう。オケの側からしても同様だったと思う。だが、今回の定期で、彼の名は大阪フィルの歴史に刻まれるだろう。

 今後ももちろん、井上の大阪フィルへの客演はある。22日には同一プログラムで東京公演があるし、次のシーズンの定期への客演は18年3月にもある(やはりショスタコーヴィチで、「2番」と「3番」だ)。定期以外にも、ブルックナーの「5番」やバーンスタインの「ミサ」を指揮するコンサートがある。

 何度かのカーテンコールの最後に、井上は指揮台の上から客席に向かって答礼した姿のまま、長いあいだ動かなかった。それからゆっくり指揮台を降り、今度はオーケストラに向かって静かに頭を下げたのち、ステージを去って行った。
       別稿 モーストリー・クラシック5月号 公演Reviews

コメント

入魂のショスタコ11,12

初日を聞きました。11番のなまは5回目、今まで聞いたトップ演奏は韓国のKBS響でしたが今回それを上回るものでした。フェスティバルホールの合性はやっぱりいい。井上氏の11番は初めてだが、1楽章の半ば金管のミスがあったがそんなことは小さなことすごいものを聞けた。11,12番は標題の影響で評価は今まで低いものでした。繰り返しなまで演奏されることにより11番は10番と同等の人気曲になってきた。イングリッシュホルン良かったです。
ムラビンスキー以外は駄目と思っていた難物12番は京響時代に聞いているが今回はるかに超えている。1楽章冒頭の低弦を中心とした(ブルックナー的?)響に驚く。おそらく最近演奏したN響ではここまでいかなかったと推測される。(録音では判らないので)大フィルの音は井上氏の指揮の下で楽器の音を超えて人の魂にまで昇華したのである、コーダの音がひつこく今も耳に残る。また8番や13番も期待したい。

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